48) 1周目 アステルの誕生日
翌日の午前中、シンシアはアステルの研究室を訪れる。シンシアから研究室を訪れることなんて滅多にない。コンコン、と扉をノックしてみるが、返答はなかった。
「アステル様」
声をかけたら、中からガタッゴトッと大きな音が聞こえた。しばらく時間が経ってから扉が開いて、アステルが顔をだした。
「おはよう、シンシア」
笑いかけるアステルを見て、シンシアは安心した。いつもどおりのアステルだ、と。でも、アステルは寝不足な表情をしているとシンシアは思った。
「散らかっているけれど、どうぞ、入って」
本当に散らかっていた。紙と本だらけだ。机のまわりだけ少し綺麗にしてある……たった今、片付けたのだろうか? アステルは小さな椅子をとってきて、アステルの机の近くに置くとシンシアに着席を促す。アステルは自分の椅子に座る。シンシアは座る前に謝りたくて、椅子のそばに立ったまま口を開く。
「アステル様、あの」
「シンシア、昨日はごめんね」
「え?」
「あんな態度をとってしまって」
先に謝られると思っておらず、シンシアは慌てる。
「アステル様、私のほうこそ、本当にごめんなさい。心配をかけて……」
「心配」
アステルの青い瞳がまあるくなる。目の前にあるシンシアの両手を、両手でとって、アステルは自分の額に近づける。
「心配なんてものじゃ、なかったよ……」
シンシアはアステルの表情を見て、本当につらい思いをさせてしまったのだと気づく。アステルはシンシアの顔を見上げる。
「どうしてあんな危ないことをしたのか、聞かせてくれる?」
「……」
ぱちくり、とシンシアはまばたきをする。落ち着かない気持ちで、アステルに両手をとられたまま椅子に座る。座ると向かい合うかたちとなる。アステルと目を合わせ、言った。
「い、言えません! ごめんなさい!」
「え」
アステルはとても寂しそうな顔をした。
アステルはシンシアの手を離す。目をつむる……言葉を選んでいるようだ。
「……じゃあ、いいけれど、もう本当にあんなことはしないで」
「ひとりで歩いたら、ダメですか?」
この子は何を言っているんだ? とアステルは思う。ダメに決まっている。
「ダメだよ」
「そうですか」
シンシアの表情が曇る。アステルには、どうしてそこで表情が曇るのかがわからない。シンシアが昔はお転婆だった、辺境伯のところから家出しようと思っていた……という話を思い出す。本質はいまも変わっていないのかもしれない。
(自分のところからもいつか家出したらどうしよう……)
アステルは小さなため息をつく。
「アステル様、あの、あの人たちは、私を心配して送り届けてくださろうとしただけなんです。ですからアステル様が警戒することなんて、何もなかったんですよ」
アステルは、思う。シンシアは本当に危なっかしい子だと。この子は本当に、何もわかっていない。自分の身を自分で守れそうにない。
(だから、ぼくが守ってあげないといけない)
「シンシア」
守らないといけないし、教えないといけない。
「でもあの人たちが、もしかしたら悪い人たちで、シンシアを送り届けるふりをして、危ない目に合わせたかもしれないでしょう」
シンシアはシンシア自身が非力なことを忘れている、とアステルは思う。神聖力は魔力と異なり、攻撃性に欠ける力だ。それこそ魔物に対しては威力があるのだろうが……。
「アステル様は、ひとを信じちゃダメだよ、っておっしゃっていますか?」
(ぼく以外を、信じないで欲しい)
そんな気持ちがあるのに気づく。でもそれはエゴだ。
「そういうわけじゃないけれど……でも、用心して」
アステルはシンシアの白い片手を、自分の両手で包む。包んだあとで、撫でる。
「あの人たちが、たとえ良い人たちであっても、ぼくはシンシアに話してほしくなかったんだ」
「どうしてですか?」
「ぼくがシンシアのことを、愛しく思っているから」
「?」
全然わかっていなさそうな顔だ。
(こっちは嫉妬と不安で身がもたない思いだったのに)
このなにもわかっていなさそうな子を、ひとりじめにしたい、と再びアステルは思う。そこで、ふと日頃の不満を思い出す。
アステルはシンシアの手をひいて、シンシアの体を抱き寄せる。そのまま抱き上げて、膝の上に乗せた。
「え」
シンシアは頬を赤らめて、あたふたとする。
「ち、近すぎませんか?」
「近くで言いたいことなの」
アステルはシンシアが落ちないように支えながら話す。
「シンシア、ぼくは最近、ひとつ不満に思っていることがあるんだけれど」
シンシアはすこし怯えてアステルを見る。
「ルアンのことはルアンと呼ぶのに、どうしてぼくのことはアステル様って呼ぶの?」
「……」
(そんなこと?)
シンシアは思う。
「だ、だってアステル様は偉いので」
「偉くない」
近い距離でまっすぐに見られて、シンシアには逃げ場がない。
「ぼくの名前を呼んでみて、シンシア」
「……アステル」
シンシアは言う。
アステルは嬉しそうに微笑む。
「もう一回言って」
「アステル」
「もう一回」
「な……そんなに何度も必要ですか?」
「必要だよ、何百回でも言って」
アステルがニコニコと機嫌良さそうなので、安心なのだが……恥ずかしい、とシンシアは思う。
「……アステル」
もう一度呼ぶと、アステルは膝の上のシンシアのことを抱きしめる。
「愛しているよ、シンシア。だから、勝手にいなくならないで。大切なきみが危ないめにあったら、ぼくは本当に悲しいんだからね」
「……はい」
シンシアは、アステルにぎこちなく抱擁を返す。
ーーーーーーー
誕生日の朝だ。前夜、アステルは珍しく城の自室に帰っていた。ここ何年も誕生日パーティーの開催は断っていて、けれど城で働く人や魔術院の研究者たちはよく覚えていて「おめでとうございます」と声をかけてくれる。兄たちよりは断然少ないが、手紙や贈り物もそれなりに届く。
国王に挨拶に行き、母、ミルティアにも挨拶に行ったあと、魔術院へ行きシンシアの部屋へ帰る。すると扉を開けて部屋に入った瞬間に、ルアンとシンシアの声がした。
「アステル様、お誕生日おめでとうございます!」
「おめでとうございます、アステル!」
アステルはあっけにとられてふたりを見る。テーブルにはごちそうが並んでいて、シンシアの部屋は可愛らしく飾り付けがされている。ふたりのニコニコと満足そうな顔を見て、すべてを察したアステルは、立ち尽くして目を閉じる。
(ぼくの心労を返してほしい……)
「アステル?」
「アステル様?」
立ったまま目をつむり動かないアステルに、ふたりが心配そうに声をかける。しばらくしてアステルは目を開き、ふたりに微笑んだ。
「なんでもないよ、ふたりとも。本当にありがとう」
誕生日のごちそうを食べる。アステルが、ルアンも食べなよ、と誘い、3人で食べる。
城の料理人がつくったものを魔術院に運んできたそうだが、ケーキについては、料理人に教えてもらいながらシンシアも手伝って作ったそうだ。ルアンが提案したらしい。ルアンはアステルの喜ぶことをよくわかっている。
ごちそうのあとで、ルアンは贈り物をアステルに渡す。
「アステル様、これ、今年のです」
「ありがとう、ルアン」
包装紙に包まれているが、ルアンからの贈り物は、数冊の本であるとわかる。
「アステル、私からは、これを……」
シンシアは小さな包みをとりだして、アステルに渡す。
「ありがとう、シンシア」
(この贈り物のために、本当に生きた心地がしない思いをした……)
シンシアを探したときのことを思い出し、アステルはため息をつきたくなるが……シンシアを不安にさせたくないので、それはのみこむ。
「開けて良い?」
「もちろんです!」
シンシアはドキドキしながら、アステルの様子を見ている。
包みをあけると、青いリボンが巻かれた白い箱がでてきた。アステルはリボンをほどき、箱を開ける。中に入っていたのは、対の耳飾りだ。耳につける部分の先に、片方は星、片方は月の金細工がついている。さらにその先にそれぞれ、色味の異なる青い小さな魔石がついている。指先でつまむと、星と石、月と石が揺れる。
アステルは装飾品をつけるのがあまり得意ではなかった。しかしこれは、ついている魔石が良いものなので、長く使えそうだ。
(それに、発想が可愛らしい)
シンシアの名前は月に由来し、アステルの名前は星に由来するものなので。シンシアから『月と星を身につけて』だなんて。
(シンシアも実は、ぼくをひとりじめしたい気持ちがあったりして――なんてね)
アステルは満面の笑みで笑いかける。
「ぼくにとって一番、大切な魔法を込めようと思うよ。ありがとう、シンシア」
アステルの言葉を聞き、シンシアも、とっても嬉しそうに笑う。
ーーーーーーー
昼過ぎ。アステルは贈り物や手紙の整理のために、ふたたびルアンを連れて城の自室を訪れる。自室に入り、ふたりきりになってすぐ、アステルはルアンを振り返る。
「ルアン、何かぼくに言うことは?」
「アステル様、本当に申し訳ありませんでした」
ルアンは深々と頭を下げる。叱られることは、わかっていたのだろう。わかっていてシンシアに協力した。アステルとシンシア、ふたりのために。
「許す。ぼくのシンシアの相談に乗ってくれて、ありがとう。でも、シンシアにも話したんだけど、今度から秘密で驚かせることはやめて、ぼくにも相談してほしい」
もう二度とこんな不安な思いをするのは嫌だ、とアステルは思う。
ルアンは呆れた顔をする。
「ぼくのシンシア……言ってて恥ずかしくないんですか?」
「牽制しただけだよ」
「私とシンシア様にはなにもないですよ! 断じて!」
慌ててルアンは断言する。
「ルアンは、もっとふくよかな女性が好きだものね」
「そうですよ、シンシア様は……いえ、なんでもありません」
シンシアのことを悪く言おうとしたルアンの足をアステルが軽く踏もうとする。ルアンは長年の勘から、避ける。
積み上がった贈り物のなかで多いのは、やはり魔術に関連した贈り物だ。そのほか、アステルのことをよく知らない人間からの的外れな贈り物も多い。物語の本は見当たらない。アステルに物語の本を贈るのは、ルアンとミルティアくらいだ。
「アステル様、そういえば」
ルアンは、手紙の仕分けを手伝う。
「シンシア様に、物語が好きだって言っていないんですか?」
「……」
「シンシア様、今朝、私の贈り物が物語の本で、毎年そう決まっていると知って、びっくりしていましたよ」
アステルは髪をかきあげてため息をつく。
「なんでルアンはそう、余計なことを」
「なんで言ってなかったんですか?」
ルアンを軽くにらんだあと、アステルは白状した。
「シンシアから見たら、ぼくは少しほら、大人だと思うんだ」
アステルはかきあげた髪をなおす。
「もう大人なのに物語が好きだなんて、がっかりされるかなって思ったんだ」
ルアンはびっくりする。
「アステル様が、人目を気にするなんて珍しい」
「どういう意味だよ」
「いえ、アステル様は本当にシンシア様が好きなのだなあと思いまして」
「そうだよ」
アステルは、知らなかった? とでもいうような自慢げな顔だ。
「もう本当に可愛くて仕方がないんだ、ぼくは、シンシアのことが」
「でも自分で手を出さないと決めたから、お預けなんですね……」
「おいルアン、無礼だぞ」
アステルはルアンをにらむ。
「無礼」
ルアンが言葉を繰り返す。ルアンとアステルは顔を見合わせる。アステルに無礼だと怒っていた護衛のことを思い出したのだ。ふたりは「ふふ」「あはは」と笑いあい、贈り物と手紙の整理を再開する。