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39) 2周目 アステルの計画


 アステルが城の自室に引きこもって、1週間が経つ。ルアンは毎日アステルの部屋まで行き、扉をノックをして声をかけていた。扉は、どうやら魔法で鍵を閉めてしまっているようだった。

 最初の数日は、声すら返ってこなかった。ここ数日は声は返ってくるものの「大丈夫だから」と言われて入れてもらえない。アステルの声は酷くガサガサで、本当に大丈夫なんだろうか? とルアンはとても不安だ。 


 9歳のルアンが最後にアステルに会ったのは引きこもりはじめた日の前日、アステルの12歳の誕生日パーティーの夜だ。それはとても楽しい夜で、パーティー嫌いなアステルとこっそり抜け出して、一緒に花火を見たりして、ルアンは本当に楽しかったのだ。アステルもたくさん笑っていた。

 あんなに楽しい夜に、そのあとに、アステルに何かあったのだろうか? 最初は体調を崩したのかと思っていた、でも医師も薬師も部屋に入れてもらえないのだと聞いた。


「アステル様」 

 ルアンは、扉をノックする。

「ごはんを、ほとんど召し上がっていないと聞きました。おれ、心配しています」 

 声はかえってこない。 

「アステル様、ごはんを食べてください。部屋の扉を開けてください。心配しています」

 ルアンは、泣きそうになってしまう。もう1週間だ。1週間ほとんどごはんを食べずに、人間は生きられるのだろうか? 涙がでてきてしまって、ルアンは鼻をすする。アステル様が死んでしまったらどうしよう。


「アステル様、会いたいです。アステル様が死んじゃったらどうしよう――死なないでください」

 泣き声まじりにルアンが訴えると、カチャ、と扉のカギが開く。ルアンはおそるおそる扉を押し開いて、部屋の中に入る。ルアンが部屋の中に入ると、また扉のカギがかかる音がする。


 アステルは魔法でカギを開け閉めしたようで、近くにはいなかった。部屋の中は暗く、カーテンの隙間からさす淡い光を頼りにルアンは進む。何か踏んだ。紙だ。魔術の計算式が書かれた紙がところ狭しと、部屋中に散乱している。何枚も積み重なって、部屋の床が見えない。


 アステルは、ベッドの上にいた。ベッドの上も紙だらけだ。アステルは上半身裸で、羽根ペンを持って、紙に書いていた途中のようだ。手はインクで真っ黒だし、腕や体にもインクが飛び散っている箇所がある。白いズボンの膝もインクで汚れている。

 目の下に隈があり、白目が赤くて酷い顔だ。金色の髪もボサボサだ。痩せたようだし、体も髪もずっと洗っていないような感じだ。


「アステル様!」

 ルアンは紙の上を走って、ベッドの上に乗り上がるとアステルに近づく。

「アステル様、アステル様!」

 ルアンは座ってアステルの手をとろうとするが、アステルはルアンの手を避ける。視線をそらす。

「アステル様!」

 ルアンはむきになって、アステルの手をとる。やっぱり痩せた、とルアンは思う。

「何があったんですか?」

 アステルから答えが返ってこない。青色の瞳はルアンを見ずに、ベッドの上に散らばった紙を見つめている。

「アステル様、食べられていないのは知っています。眠れていますか?」  

 アステルはようやく答える、声がガサガサだ。 

「眠れるわけがない」 

「どうしてですか?」

「計算しないと――」

「魔術の計算をしているということですか? 1週間ずっと計算していたんですか? アステル様、本当に死んでしまいます、死なないで――」

 アステルがおかしくなってしまった。どうしてかはわからない。でもとにかく、死んでほしくない。生きてほしい。

 ルアンは不敬を承知で、手を伸ばし、アステルの痩せた体を抱きしめる。

「――……」

 アステルはもがいてルアンの抱擁から離れる。前に倒れ込むようにして、手と頭をベッドにつく。

「ルアン、ごめんね……ごめんなさい」

 涙声だ、とルアンは気づく。

「何を謝っているんですか?」

「ひどいことをして、ごめんなさい」 

 ひどいことなんて、されていない。

 ルアンはおかしくなってしまったアステルの背中をさする。アステルの声がガサガサなのは、この1週間たくさん泣いたからかもしれないとルアンは気づく。


 そのままアステルは、ベッドに横向きに寝転ぶ。

「少し眠る」

「寝れるなら、よかったですけれど……」

 ルアンが言葉を迷っているうちに、アステルは眠りにつく。


 アステルが寝ている間に、ルアンはカーテンと窓を開けて、紙の束をまとめ、部屋の掃除にとりかかる。アステルが眩しさに起きないように、一部のカーテンは閉めておく。


 アステルは小一時間眠り、起きる。

 横になったまま、つぶやく。


「起きたくなかった」

「なんでですか?」

「好きな人の声を聞いた」

「アステル様、好きな人がいるんですか!?」

 それは魔術とか物語とか、そういう話ではなく? とルアンは訝しむ。

「いる。でも、もういなくなってしまった」

 アステルはもう一度目をつむる。寝ようと試みる。しかし、もう眠れないようだ。


 ルアンはアステルとよく一緒にいるのに、アステルの好きな人に心当たりが全くない。アステルは、失恋のショックでおかしくなってしまったのだろうか? 


「アステル様、果物を食べますか?」

 ルアンはアステルが寝ている間に剥いた瑞々しい果物をアステルに差し出す。好物を見て、アステルは起き上がる。

「食べる」

 黄色い実をひとつつまみ、口に入れ、アステルは少し微笑む。

「おいしい」

 おいしいと言ってすぐ、アステルは吐き戻す。ルアンはびっくりする。アステルの背中をさする。


「受け付けないんだ」

 アステルはすまなそうに言った。

「ぼくだけがこんなふうに、おいしいものを食べているって思ったら、体が拒絶するんだ」

「じゃあ、おれと一緒に食べたら良いんじゃないですか?」

「……わかった、でも、また今度ね」

 アステルは水を飲む。水は吐き戻さないようで、ルアンはホッとする。

 水を飲んだあと、力尽きたようにまた寝転ぶアステル。食べられていないから、力がでないのだ、とルアンは思う。


 アステルは横になり、目を伏せる。

「ぼくには、食べる権利も寝る権利もお風呂に入る権利もない」 

 ルアンには難しい言葉だったが、「けんりがない」とは、つまり「できない」ってことかと思い、アステルを心配する。

「幸せになる権利もない、失った」

 アステルは自分自身を嘲るように笑う。

 アステルが決してしないような表情だ。ルアンは辛くなってくる。 


「でも、ぼくには幸いなことに役目ならある」 

「やくめ」

「はやく役目を果たして、死んでしまいたい」

「なんでそんなことを言うんですか?」 

 ルアンが泣きそうなのを見て、アステルは黙る。


 

「アステル様、お風呂入りましょう、このままでは病気になってしまいますよ……」


 ルアンは嫌がるアステルを浴場に連れて行く。アステルをお湯につけて、体や髪を洗うのを手伝う。入浴に対する自発的な意思が全然感じられない、とルアンは思う。

 まるで、何かにずっと心を縛られているようだ。ここにいない。


 部屋に戻ると、ルアンはタオルでアステルの髪を乾かし、髪に櫛を通す。本来はメイドの仕事だが、自分しか部屋に入れてもらえないのなら、仕方がない。 

 ルアンは、服も着て、王子らしく艶のある髪に戻ったアステルを見て、ひと仕事を終えたと感じる。アステルもさっぱりしたのではないかと思う。しかしアステルは、綺麗な格好になったことが、居心地が悪そうにすら見える。


 アステルはずっと心ここに在らずな感じだったが、ふっと気がついた様子で、魔術の計算に戻って行く。


 アステルの言う『役目』が魔術の計算のことだったらどうしようと、ルアンは怖くて仕方がない。答えが出たとき、一体、どうなるんだろう? と。 


ーーーーーーー


 ルアンはカスタノ家に帰るのをやめて、アステルの部屋のとなりの部屋で寝起きする。そして剣の訓練と寝るとき以外の時間は、アステルの部屋にいることにする。  

 アステルはずっと魔術の計算をしていて、ルアンのことは見えていないことが多かった。


 アステルが自室に入れるのは、ルアンと魔術院の院長先生だけだった。院長先生は忙しいので、ほぼほぼルアンが、アステルの世話を焼く。部屋の外からメイドや執事に手伝ってもらい、アステルが食べられそうなものを部屋に運んだり、眠る時間だと伝えたりした。入浴はアステルがつらそうなので、たまににした。


「こんなに小さいのにアステル王子のお世話をしてえらいね」と大人みんながルアンのことを褒めて、頭を撫でる。

 しかしルアンは、実は、こわくて仕方がなくて、アステルが死なないようにアステルを見張っているだけだった。 


 ルアンが無理にお風呂に入れた日以降、アステルは自分から食べるようになったが、よく吐き戻した。謎の熱もよく出した。アステルの熱が高いとき、ルアンは魔術院に走って、院長先生を呼びに行った。アステルは夜まとまって寝ずに、朝も昼も夜も力尽きると寝た。睡眠は細切れで、悪夢を見て起きることもよくあるようだった。アステルに会ったときに、泣きはらした目をしていることもあった。となりの部屋で寝起きしているのに、泣き声は聞いたことがない。声を出さずに泣いているのかな、とルアンは思った。


 「おかしい王子がとうとう本格的におかしくなった」と噂を聞くと、ルアンは(おまえたちに、アステル様のなにがわかるんだ)と悔しくなった。



 それからどれくらい経ったのだろう。

 ある日、アステルの魔術計算がおわった。


「できた」

 アステルはひと言、そう言った。

 ルアンはその言葉に震え上がったが、アステルを見ると、心底嬉しそうな顔をしていた。こんなに明るい表情を見るのは久しぶりで、ルアンは嬉しくて涙がでそうになった。


「何の魔法なんですか?」

「太陽の光を防ぐ魔法」

 ルアンは、暗い顔して計算していたのは、やっぱり暗い魔法だったと思った。

「一度といた計算のはずなのに、何度も間違えてしまって、正解に辿り着けなくて――本当に、どうしようかと思った」

 ルアンは、むしろ、あれだけ寝れていない食べられていない状態で、よく正解に辿り着けたと感じる。


 アステルは窓のところに立って、魔術計算を書いた紙を手に持っている。窓から、夕焼けの赤い空が見える。


「ルアン、計算を手伝ってくれて、本当にありがとう」

 計算を手伝ったわけではないし、大変だったけど――アステルが嬉しそうなので、よかった、とルアンは胸を撫でおろす。


 アステルはとても大切なものを見るように紙を見つめ続けていたが、顔をあげてもう一度ルアンに声をかけた。


「ルアン、ぼくには計画があるんだ」

 アステルは夕焼けの窓を背に、ルアンに話す。

「ぼくは、王子をやめようと思う」

「え!?」

 ルアンは掃除にとりかかっていたが、びっくりして紙の束を取り落とす。

「なんでですか?」

「向いてない」

「そりゃ、向いてないかもしれないですけど……」

 ルアンは動揺する。


「まったくの別人になって生きるつもりだ」

 ルアンには(そんなことできるんだろうか?)という思いと、(もし本当なら、困ったぞ)という思いがあった。

(おれは、どうすればいいんですか?)

 ルアンは思う。


「アステル様、置いていかないでください」

 置いていかないで、と聞いてアステルの表情がかたまる。

「ごめんね」

 アステルは辛そうに言った。その言い方が、もう連れていってもらえないことが確定に聞こえて、ルアンも辛くなる。


「……連れていってくれないんですか?」

 縋るような気持ちで、ルアンは聞く。

「いいや」

 ルアンの気持ちに、光が差す。

「もし、危険な旅でも、きみが一緒に来てくれるというなら――連れて行くよ」

 アステルは微笑む。

 

「ありがとうございます。絶対についていきます。アステル様、おれは何があっても、アステル様の味方ですからね!」

 ルアンは、満面の笑みで笑う。

 

「本当に?」 

 アステルの青い瞳が、きらめく。

「ぼくが、なにものでもかい?」 

「え?」

 ルアンには、よく意味がわからなかった。


「アステル様は、アステル様ですよ」

 ルアンは微笑む。

「王子をやめて、たとえなにになるおつもりだろうと、おれは、ずっと味方でいます」


「ありがとう、ルアン」

 アステルは微笑みを返す。

「ぼくの計画は、きみとぼくだけの秘密だよ」

 秘密と聞いて、小さなルアンの心は踊る。

 

「ところで王子をやめて、アステル様は何をなさるおつもりなんですか?」

 すこし沈黙のあと、アステルはこう言った。

「お姫様を助けに行くんだ」

「それは……王子様のままのほうが良いんじゃ?」

 ルアンは疑問に思いながらも、久しぶりに明るい表情のアステルの姿に安堵し、本当に嬉しく思う。


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