38) 2周目 お守りの裏面、名前、花の咲く部屋
「リア……」
ロアンは、声をしぼりだす。
リアの目と髪は、ほとんど黒い色になりつつある。
「一緒に、いろいろなところに行くのはどうでしょう」
「行く? アズールの家を出るってこと? ウィローはどうするの?」
「ウィローが帰ってきて、話し合いをしてからで構いません」
(でもウィローは、私の考えに賛同してくれると思えない)
ウィローにはウィローの考えがあって、リアの神聖力を本人にも周囲にも隠していたはずだ。その証拠に『ウィローのお守り』を身につけてからというもの、ロアンにはリアの神聖力がほとんど見えなくなっている。
「リアには力があるんです」
「私の魔法のこと?」
「魔法だって、ウィローが言ったんですか?」
「そうだよ、リアは魔法が使えるんだよ、って。でも……他の人には言っちゃダメだよって言ってた」
ロアンは告げる。
「リアの力は、神聖力です」
「え、神聖力だったの? そうなんだ……」
リアはちょっと、がっかりした様子だ。
「じゃあ、ロアンと一緒だね」
「一緒ではありません」
「どういうこと?」
「生まれ持っての神聖力は、本当に稀な力です。リアの神聖力は、私のものよりずっと強いし、多くの人に役立てる力なんです」
「そんな」
リアは否定する。
「そんな力、私にあるわけがないわ」
「いいえ、リアは聖女なんです」
ロアンは大真面目に言った。
しかし、リアは吹き出し、笑い出した。
「本気で言ってるの? ロアン」
「本気です、ウィローはリアが聖女であることを隠しているんだ」
「それでウィローに怒ってるの?」
リアはひとしきり笑ったあと、真面目になって言う。
「でもウィローが隠すなら、隠すだけの理由があることなのよ」
それは……そうなのかもしれない、とロアンは思う。
教会がリアを殺したがっていると、ウィローは言った。ウィローはリアを守るために、神聖力をひた隠しにした。そう考えるのが自然だ。
「ロアンは私の力を、多くの人に役立てたいから、一緒に行こうって言っているの?」
「そうです」
魔王の呪いをウィローは一人でなんとかすると言っているが、無茶すぎる。それこそ、ニフタの見せた夢のようなことにならないだろうか。
それを防ぐためには、リアの力が必要になるはずだ。そして、聖女の力を練習せずして、魔王の呪いを封印できるとは思えない。
しかし、リアはきっぱりとロアンに言った。
「そういうことなら、私、どこにも行かないわ」
「でも、リアは誰かの役に立ちたがっていたでしょう」
「誰かの、じゃないわ、私は、ウィローとロアンの役に立ちたかったの」
リアは、まっすぐにロアンを見る。
「私、この力を、知らない誰かのために役立てようって思ってないわ。
そんな大層なこと、私にはできないわ」
ロアンは気づく。
リアは、聖女として育てられていない。
ウィローはリアを聖女にならないようにと育てたのだ。
聖女として育てられていない人間に、聖女としての役割がこなせるのだろうか?
それ以降、ロアンは言葉が見つからなくなり、味のしない食事を進める。リアはケーキを食べて「美味しい」とロアンに微笑む。
リアはやはり、ケーキは一個しか食べられなかったようだ。ロアンよりはやく食べ終わり、お皿を片付けると、席に戻って『お守り』を見つめている。
リアは『ウィローのお守り』を、こんなにしっかり手にとって、触って、まじまじと見るのははじめてだった。お守りの裏面を見て、リアは顔を赤らめる。そっと触りながら眺めるうちに、疑問に思って、ロアンにも見せることにする。
「ロアン、これを見て」
リアは首からお守りを下げたまま、ロアンにお守りを見せに行く。お守りの裏面には『愛するシンシアへ』と小さな文字で彫ってある。何度も撫でられたらしく、お守りの裏面はすり減ってつるつるしている。
「あ、愛する……?」
ロアンも顔を赤らめて、リアにお守りを返す。
「……私のことなのかしら?」
リアは首を傾げる。
「そうなんじゃないですか?」
「でも、このお守りっていつからあるの?」
「私がこれをはじめて見たのは、私が10歳の頃ですね。ア……ウィロー様はまだ13歳で、ずいぶん大人びたものを持っているんだなと思ったものでした」
「そんな前から、ウィローは私のためにこれを持っていたってこと?」
リアは眉をひそめる。
「ずっと不思議だった。私のためのお守りを、ウィローはいつもは私に渡さずに自分で持っているのよ。『守られているのはウィローではないの?』って聞いたら『そうかもしれない』って言ったの。このお守りが、命よりも大事だって言ってたわ」
(命よりも大事なものを、いったんとはいえ私に託したのか)
ロアンは思う。
(言いつけを守らず、リアを危険に晒した、そんな私に託したのか)
「本当に、私のことなのかしら……」
リアはお守りを撫でながら、旅行中のウィローの不思議な言動のこと、奇妙な行動のことを考える。
『たまにリアが可愛すぎて、リアと結婚したら、リアみたいな可愛い女の子が生まれてくるのかなって思うときがあるよ』
ウィローが何度も触り、撫でたであろうお守りを、リアも撫でる。
「ところでロアン、今、アって言いかけた?」
「……」
「ウィローの本当の名前は、アからはじまる名前なの?」
ロアンは、しまった、という顔をする。
「私、知らないの。ロアンの本当の名前も、ウィローの本当の名前も。ウィローに聞いたことがあるけれど、教えてくれなかった。小さいから口をすべらすと思ったみたいなの。でももう、私、あと少しで13歳よ。もう、知っていても良いと思わない? 2人は私の本名を知ってるのに、私だけ知らないのって、ずるい」
ロアンは考え込む。
ウィローはいつも、ロアンの判断を尊重してくれる。
もしウィローやロアンがこのあと、リアと離れ離れになるとする。たとえば教会にリアが連れ去られたりして。そのときにリアが、ウィローとロアンの本当の名前を知らないのは、確かに可哀想かもしれない。知っていれば、たとえばコルネオーリにリアが1人で戻り、辺境領には帰りたくなかったときに、コルネオーリ王家は難しいかもしれないが、カスタノ家は頼りになってくれるかもしれない。
ロアンは黙って、紙と羽根ペンとインクを持ってくる。
紙に自分の本当の名前を書く。『ルアン・カスタノ』と。
「ほとんど一緒なのね。なんでもっと違う名前にしなかったの?」
「私の名前は、ウィローがつけたものなんです」
リアは紙の名前を指さす。
「もともとの、この名前が、ウィローにもらったものだったってこと?」
「そうです。だから、あまり変えたくなかった」
ロアンは微笑み、カスタノの姓を指さす。
「コルネオーリで困ったことがあったら、このおうちに行けば、きっと力になってくれます。ですから覚えておいてくださいね」
「わかったわ」
リアは紙をじーっと見て、ロアンの本当の名前を覚えようとする。
ロアンは深呼吸すると、一思いに筆を走らせて、ウィローの本当の名前を書く。
『アステル・ラ・フォティノース・コルネオーリ』
(アステル)
リアは、心の中で呼んでみる。
(ウィローの本当の名前は、アステルっていうんだ)
木からとった名前より、よっぽど見た目に合っている、とリアは思う。
「それにしても、ながい名前……よくこんなに綺麗に書けるわね、ロアン」
「私が間違えるわけがない」
「すごくキラキラした名前なのね、王子様みたい」
「そうですよ」
「?」
ロアンは、微笑み、ウィローの名前の下にこう書く。
『コルネオーリ王国 第四王子』
『ルアンは、アステルの護衛騎士だ』
「えっ」
リアはびっくりする。そして、ウィローに『王子様みたい』と言ったら、変な顔をしていたことを思い出して、恥ずかしくなる。
「まあ、リアと一緒で、私たちも国ではもう死んだことになっているんですけどね」
「私も死んだことになっているの?」
「そうです。だから私たちは、もう、ただのウィローとロアンとリアですよ」
「王子様と護衛騎士と辺境伯姫じゃなくて、ただの魔物の魔力を持つ魔術師と、ただの聖騎士と、ただの神聖力を持つ女の子ってことね」
リアは笑う。
ひとしきり眺めたリアがロアンに紙を返すと、ロアンはキッチンで魔石で火をつけ、紙を完全に燃やす。
「ロアン、ありがとう」
リアが微笑むと、ロアンも微笑みを返す。
いつのまにか朝日がのぼっていた。ほとんど寝ていないというリアを、ロアンは、部屋まで送っていく。
リアが部屋を開けると、ロアンは、部屋のなかに植物がたくさんあることに気づく。花が咲いているものも多い。そのひとつひとつから、リアの神聖力を感じる。リアはロアンを振り返る。
「すごいでしょ! 私が、魔法で咲かせたのよ!」
リアは本当に嬉しそうに笑っている。
ロアンは、夕方、ウィローにぶつけた言葉を思い出す。
『生まれつき、すごい力を持っていたのに、貴方はリアに教えないで、取り上げていたんだ』
ロアンは、リアの部屋の植物を見る。あたたかい光を感じる花たちを見る。リアの笑顔を見る。
ロアンは言った。
『ウィローのふりをするな、魔物』
ウィローは言った。
『バカだなんて思ってなかったよ』
リアの剣や弓の練習を心配そうに見ているウィローの姿を思い出す。『うまくできた』とロアンやリアが笑って、ウィローのほうを見ると、幸せそうに微笑んだウィローのことを思い出す。
ケーキの味を思い出す。アステルの優しい笑顔を思い出す。
暗い森のなかに消えていく、ローブを着た背中を思い出す。
ロアンは涙がでてきて、手で顔を覆う。