24) 1周目 雨の日
雨の日に、シンシアはよく熱を出した。
「じゃあ、シンシア、ぼくは研究室に行ってくるけれど……」
アステルはベッドの上のシンシアに声をかける。
「何かあったら、この魔石に触れて呼ぶんだよ。触ると、光って――ぼくの研究室にある魔石も光るからね」
「わかりました、アステル様」
起き上がるのもつらそうなのに、シンシアは無理して起き上がり、アステルに微笑む。
「また来るからね」
アステルもシンシアに微笑み返すと、部屋をでる。
ーーーーーーー
『また来る』とシンシアに約束したのに、ふと机から顔をあげたら、小雨降る外の景色が夕方近いように見えて、アステルは慌てて研究室を出て階段を駆け降りる。
魔石は一度も光らなかったから、よく寝ているのかと思っていたが……シンシアのことだから、気をつかった可能性もある。
アステルの研究室は魔術院の2階の西側にある。地下にあるシンシアの部屋も西側にあり直線距離では近いのだが、階段の登り降りをする必要があった。
(寝ているかもしれない)
走ってあがった息を整えてから、音をたてないように扉を開ける。シンシアの寝ている部屋にそっと近づいたところで、小さなうめき声が聞こえた。
「…………痛い……痛い……」
「シンシア? どうしたの?」
心配して声をかけると、ピタッと声は止む。
「どこか、痛むの?」
もう一度声をかける。シンシアは毛布をすっぽりと頭まで被ってしまっている。珍しく、アステルの存在に気づいても、出てこない。
「アステル様」
しばしのち、毛布が喋った。
「このようなお見苦しい姿で、申し訳ありません」
アステルはすこし笑った。
「でておいでよ、シンシア」
「……」
シンシアは毛布に手をかけて、ぴょっこりと顔をだす。うさぎのような赤い目をしている。ああ、泣いていたのだな、とアステルは気づく。
「シンシア、泣いていたの?」
「……はい」
「どこか痛いの?」
「……お気になさらないでください」
「気にするよ」
シンシアは黙り込んで、また、毛布をかぶってしまう。
アステルは考える。こんなシンシアの姿は珍しいので、なにか知られたくないことがあるのだろう。
「お医者さんを呼ぼうか」
シンシアは何も言わない。
「ちょっと待っていてね、シンシア」
ーーーーーーー
城に仕える医師をルアンに呼んできてもらい、シンシアを診察してもらう。診察のあと、アステルと医師は廊下で話をする。
「火傷の跡?」
「左足に、大きな火傷の跡があります。シンシア様は『雨が降ると痛いときがある』と仰っていました。発熱も、関連しているかもしれません」
「でも、なんで……」
アステルは、シンシアの病気のことに思い当たる。陽の光を浴びてしまった? 左足だけ?
「年月の経った火傷の跡ですので、医術や魔術の分野ではありません。痛みを抑えるために、薬師に薬を調合してもらうのが良いかと」
「治せないってことだね」
アステルの言葉に医師は頷いた。
回復魔術は、その場ですぐ『もとの状態に復元する』魔術なので、時間が経っていたり範囲が広いものだと難しくなっていく。
「神聖力で治らなかったと仰っていました」
神聖力は神聖医術にて用いられ、治療に関して、魔術や医術の上位互換だ。
せめて、痛みや熱の原理さえわかれば、魔術で取り除くことができる……とアステルは考える。しかし、シンシアの病は珍しいものなので、病が関係しているなら解明には時間がかかりそうだ。今、シンシアのための研究が難航しているのと一緒だ。
「足に傷があることは、シンシア様にとって、あまり知られたくないことでしょう。特に、婚約者であるアステル様には知られたくなかったことなのでは。あまり話題にださずに、本人から話があるのを待つのが良いかと思われます」
アステルとしては、今すぐ、過去にどうして火傷してしまったのかを聞きたかった。同じことを繰り返さないためにも。しかし医師の話し方が『デリケートな問題だから』とアステルを諭す感じだったので、その気持ちをぐっと飲み込む。
考えてみれば、シンシアは長い丈のドレスやスカートばかりはいている。以前から隠していたのだ。
薬師にもらった薬を飲むと、シンシアはすこし痛みがひいたようで、よく眠るようになった。
眠って回復しているであろうシンシアを見ながら……一日中、痛みに耐えながらもアステルを呼ばなかったシンシアのことを思った。
アステルは、シンシアが痛みを感じるのも、それを自分に隠すのも、嫌だった。
ーーーーーーー
それからというもの、雨が降ってシンシアが熱をだすと、アステルは研究室から研究を持ってきてシンシアの部屋で研究をした。床が紙で足の踏み場もなくなるので、ルアンに「やめてください」と言われながらもやめなかった。
シンシアに薬や水を飲ませたりと、看病することにも次第に慣れていった。
視力をよくする魔術研究のほうは、先行研究があり、その上でシンシアの協力を得ることで進んでいた。以前よりも見えるようになってきていた。しかし、太陽の光を防ぐための魔術研究は、難航していた。
ある雨の日、シンシアの部屋でアステルが研究をしていると、紙に字を書く音に混じってシンシアのうめき声が聞こえた。
アステルはすぐにシンシアの様子を見に行く。
「いやだ…… いや お父様 たすけて……」
汗ばみ、うなされているようだ。アステルは少し迷ったが、シンシアの肩をゆさぶる。
「シンシア、起きて」
シンシアは目を開き、ぼーっとした表情でアステルを見る。
「ごめんね、悪い夢を見ていたようだから起こしてしまったよ」
「私……何か寝言を……」
「お父様って言ってたよ」
シンシアは起き上がり、毛布の上から膝を抱える。
「アステル様、お仕事がおわったら、私の話を聞いていただけますか?」
「今ちょうど、きりが良いところだよ。なんでも聞くよ」
アステルはシンシアの書き物机の椅子をもってきて、シンシアのベッドの横に座る。
「ありがとうございます」
シンシアはアステルにお礼を言ったあと、どう話せば良いかを考えているようだった。
やがて、シンシアはぽつりぽつりと、話し始める。
「……私、10歳まで、お屋敷にある塔で暮らしていました。塔には小さな窓ひとつしかなくて。分厚いカーテンが下がっていました。
生まれてからずっとそこで、お母様とばあやと3人で暮らしていました。本当に幸せでした。
9歳でお母様が亡くなり、しばらくばあやと2人で過ごしました。寂しかったけれど、ばあやも優しい人だったので、幸せでした」
シンシアは抱えた膝を見つめながら話し続ける。
「ですが11歳の誕生日から、本邸で暮らすことになりました」
「お父様は、私のことを憎んでいました」
シンシアの声には、感情が感じられない。
「憎む?」
(嫌う、ではなく?)
「神聖力を持った子どもなんていらなかったと言われました」
「……」
そこからのシンシアの話を聞いて、アステルは、辺境伯がシンシアにしてきたことは、明らかに虐待だと感じた。
辺境伯 ルーキス・ラ・オルトゥスは、『娘のシンシアから神聖力を追い出そうと』した。食事を抜いたり、ずっと水につけ続けたり、叩いたり、無理に陽の元に連れ出そうともした。
「お医者様からお聞きなのだと思うのですが、私の左足の火傷の跡は、そのときにできたものなんです」
シンシアはようやく、アステルに目線を向ける。
「私……アステル様の回復魔術を見て、お話を聞いて、時間が巻き戻ってすごいって思いました」
「もし、時間を戻せるなら、私、塔で暮らしていたころに戻りたいです。本当に幸せだったから」
アステルは聞いた。
「戻って、どうするの?」
「お母様が亡くなったら、ばあやと一緒に家出します」
「家出!?」
そこでシンシアは、急にくすくすと笑った。
「アステル様が見たらびっくりされると思います、私、昔は本当にお転婆で手がつけられなかったんです。しっかりした教育を受けたのは、本邸に行ってからなので……」
「だから、本邸に連れて行かれる前に――冒険気分で、もちろん夜に。ばあやと一緒に家出したいんです」
シンシアはふふ、と笑った。
「家出されるのは困るなあ」
アステルはぼやく。
「どうしてですか?」
「シンシアとぼくが出会えなくなるでしょ」
シンシアはおどろいた表情ののち、アステルに笑いかける。
「じゃあ、アステル様が迎えにきてください」
シンシアは毛布のかかった膝を抱えて、微笑みながらアステルを見つめる。
「過去に戻るのがシンシアなら、それは難しいんじゃないかな?」
「それなら、アステル様と一緒に戻ったら良いんです、そうしたらお互いのことを忘れないですよ」
シンシアがそう言ってくれたので、アステルは、仲がすこし深まっているのかなと感じて嬉しくなる。
「私、塔にいたころは『世界は良いもの』って信じていました。私自身のことも、『とても良い子』だと思っていました――本邸に行ってから、それが全部揺らいでしまった」
シンシアは膝を抱えたまま、目を閉じる。
「だから、たまに、願うんです。足の傷を負う前の、お母様と暮らしていた頃の、世界が良いものと疑わずにいた頃に戻れたらなあ……って」
シンシアの話を聞いて、アステルは考え込む。
過去に戻る魔術なんて、実現可能なのだろうか? 理論は組み立てられるかもしれないが、一体、どれほどの触媒が必要となるのだろう? ましてや、シンシアの幸せなころは5年以上前の話なのだ。
(ぼくの命を代償として捧げたって、到底、難しいんじゃないかと感じる話だ)
けれど、理論を考えてみるのは面白そうだと感じた。シンシアの願いを聞いて、回復魔術からの着想だということも聞いて。
シンシアのための研究の合間に、休憩や余暇の時間に考えてみても良いかもしれない。そしてうまく考えがまとまったら、シンシアに話して聞かせたら――笑ってくれるだろうか?
アステルはいつのまにか、シンシアに笑っていて欲しいと思っていることに気づく。泣いたり、痛がったりせず、ただただ幸せに笑っていて欲しいと思う。
(ぼくはシンシアが好きなのか)
気づいてみれば、すごくシンプルなことだった。婚約者だから、やがて妻になる人だから大切にしないといけないと思っていた。形から入るうちに、どんどん、大切な存在になっていっているようだ。
シンシアに、アステルは顔を近づける。
「話してくれてありがとう、シンシア」
シンシアは急にアステルが近づいたので、頬を赤らめる。
「シンシアが過去に戻る日がきたら、ぼくを置いて行かないでね。一緒に過去に戻ろうね」
絵空事とは思いつつ、シンシアに優しく言葉をかけた。
「はい、アステル様、約束ですよ」
シンシアは頬を染めたまま、嬉しそうに笑う。