21) 1周目 魔術院のひきこもり
顔合わせの席は、夜だった。シンシアの体調を考慮してのことだ。シンシアは大臣と別れ、アステルとルアンと、部屋の外にいた数名の護衛騎士ともに暗闇のなか魔術院へ向かう。ルアンが灯りを手に先導する。
アステルはシンシアがつまづかないように手を差し伸べて、サポートしながら歩いた。魔術院の入り口でアステルは、ルアン以外の護衛騎士たちを帰す。
魔術院は、王城の敷地の北西にある施設だった。広い庭のなかに、2階建ての大きな灰色の建物がある。魔術院の中へ入り、地下に行く途中に階段があった。
「シンシア姫、ここに階段があるよ」
アステルは、シンシアの手をとって伝える。
「さあ、どうぞ、シンシア姫」
部屋に着くとアステルが自分で扉を開き、シンシアを案内する。ふたりは部屋の中に入る。ルアンは見張りのために入り口に立つ。
ふたつ続きの部屋だった。入ってすぐの部屋にソファーやテーブル、本棚などがあり、奥の部屋にベッドと書き物机がある。手前の部屋にもうひとつドアがあり、洗面所やお風呂があるようだ。
アステルに手を引かれながら、シンシアは部屋のなかを冒険する。シンシアは、いろいろなところに手を触れながら、部屋の間取りを覚えようとする。
「この部屋にはもちろん、窓はないよ」
アステルは話す。
窓はないが、魔石でできた灯りがたくさんともっていて、あたたかな部屋だ。
「素敵なお部屋を用意してくださり……本当にありがとうございます、殿下」
シンシアは、心から、ふわっと笑った。本当に嬉しかったのだ。その笑顔を見て、アステルは頬を赤らめる。
「もう、うるさいひともいないから、殿下と呼ばなくて良いよ。畏まられるのは苦手なんだ。以降はアステルでいい」
「そ、そのようなこと、できません……」
シンシアは慌てて、断ってしまった。ぼんやりとしか見えていないのでアステルの表情が読めずに、王子の意向を断るなんて、と後悔する。アステルが怒ったかもしれないと思ったのだ。
「し、失礼致しました」
シンシアは頭を下げる。
アステルは、ルアンに目配せする。女の子だからなのか、シンシア姫だからなのか、すごく畏まられてしまって、アステルは居心地が悪そうだ。
アステルは、深緑色のソファーに座る。
「城の部屋に戻るのも面倒だから、ぼくもこの部屋に帰ってこようかなあ」
「この部屋でおやすみになられるんですか?」
ぼんやりとした声でシンシアが聞く。
「うん」
アステルは答えた後で、ルアンの咳払いで失言だったと気づいたようだ。
「あー いや、そういう意味じゃなくて」
アステルは困った顔をした。シンシアには見えていないが、声が困っているのを感じた。
「もちろん、君が嫌だったら、ここでは寝ないよ。でも別に構わないなら、そこのソファーでも床でもどこでも貸してくれたら、すごく助かるんだけど」
「わ、わわわ、私がソファーで寝ます」
王子がソファーや床で寝る状況が、シンシアには想像ができない。
「えっ 婚約者にそんなことさせられないよ……」
アステルも困惑して答える。
シンシアは勇気をだして、ずっと聞きたかったことをアステルに聞いた。
「あ、あの…… 殿下……いえ、アステル様……私、本当に正妃で良いんでしょうか?」
シンシアの疑問に、アステルは何故?という顔で返す。
「ぼくは器用じゃないから」
「?」
シンシアは首を傾げる。
「アステル様に何人も女の人なんて無理ですよ、この話が決まったときからたった1人でもだいぶ狼狽えていますのに」
「ルアン、そういうこと言わないように」
(たった1人……)
それが私のことだとしたら、本当にこの人は可哀想だ、とシンシアは思った。
アステルは立ち上がると、うつむいているシンシアに近づく。
「きみはどうしてそんなに、下ばかり見ているの? こんなに美しいんだから、もっと、自信をもって生きたら良いのに」
アステルがすごく近づいてはじめて、シンシアはアステルの顔を見ることができた。ハッとした顔のシンシアを見て、アステルはシンシアの手を持って、自分自身の顔の輪郭をそっと触らせる。
「そうか、見えていなかったんだね。
ぼくは、こんな顔をしているよ。
はじめまして、よろしくね、シンシア姫」
青い瞳をしていたんだ、とシンシアは思う。なんてやさしく笑うんだろう、とも思った。
(美しいのはこの人のほうだ)
シンシアは思う。
この人が、本当に大切にしてくれるかどうかはわからない。でも、この部屋は、今までの場所よりはマシな場所に違いない、と。
ーーーーーーー
アステルは本人が言ったとおり、シンシアの部屋に帰ってきた。毎日帰ってくるときもあれば、何日か帰らない日もあったが、おそらく、魔術院から一歩も出ていない。シンシアと同じだ。アステルも、陽光を避けて生きているかのようだ。
(魔術院のひきこもり、の噂は本当だった……)
シンシアは毎日、奥の部屋のベッドで眠る。ベッドで眠っているときに、手前の部屋で何か音がすると、アステルがいる。
ソファーまでたどり着いて眠っていたら、良いほうだ。だいたいが部屋の入り口で倒れるように眠っている。床で寝て、起きて、シンシアの部屋でごはんを食べて、時間があるときは湯浴みをして、また研究に戻っていく。シンシアの存在すら忘れたように、起きてすぐ、何かブツブツ魔術のことを呟いて、そのまま走って研究に戻っていくことすらあった。
しかし、ちゃんとごはんを食べる余裕のあるときは、シンシアのことを気にかける言葉をくれる。「やあ、シンシア。体調はどう?」「昨日は何をして過ごしたの?」「シンシア、暇じゃない? 何か本を差し入れしようか」等々…。
(どうしよう)
今夜もまた、部屋の入り口で倒れて、眠っているアステルをシンシアは見る。
城に来て、1ヶ月がたってしまった。
(私、役立たずかもしれない)
シンシアは奥の部屋から毛布をもってくると、アステルの体にかける。そして、自分は毛布に入らず、となりに横になってアステルを見つめた。
翌朝、アステルが目覚めると、シンシアの寝顔が目の前にあった。アステルは驚いて起き上がると、体にかかった毛布に気づく。シンシアはアステルに毛布をかけてくれたようだ。しかし、シンシアには何もかかっていない。アステルがシンシアの細い肩に触れると、ひんやりとしている。
アステルはシンシアを毛布でつつみ、抱いて、奥の部屋に行く。抱き上げたとき、シンシアの細さと軽さにびっくりしてしまう。ちゃんと食べているんだろうかとアステルは心配しながら、ベッドの上に、毛布で包んだままのシンシアをそっと置く。
静かに立ち去ろうとするアステルを、シンシアのか細い声が引き止める。
「あの、アステル様」
「起こしちゃった? ごめんね」
アステルは、純粋な疑問をシンシアに投げかける。
「ねえ、シンシア……どうしてとなりで寝ていたの?」
「お父様に、アステル様のとなりで寝るように言われていました」
「?」
アステルは一瞬、意味がわからない、と思った。そのあと、意味に思い当たって、思考が停止した。