17) 2周目 ニフタ
ウィローは全身、汗だくになって目を覚ます。手のひらをぐーぱーしてみて、現実に帰ってきたことを確認する。
悪夢を見ることはウィローにとって、よくあることだった。だが、今日は強い違和感を覚えた。外からの影響を感じたのだ。
まだ、真夜中のようだ。
(家の中に、ニフタがいるかもしれない)
ニフタは、悪夢を見せるちいさな魔物だ。
ウィローは暗い廊下に出る。リアとロアンの部屋のドアを見比べて、もしかしたらニフタはロアンのところにいるかもしれない、と考える。
リアには毎晩、魔除けのおまじないをしているし、部屋にも魔除けの薬草が下がっているためだ。
しかし、リアの部屋のドアが少し開いており、うなされる小さな声が聞こえる。たまらずウィローは、リアの部屋に入る。
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目を覚ましたら、あたりは真っ暗だった。目が見えていないのかもしれない。感覚も変だ。においもわからない。
目が見えていないなら、陽のあたる場所に出ないように、他の五感を研ぎ澄まさなければならないのにそれができない。
なんだか、石の棺の中にいるような感覚だ。
(もしかしたら、私、死んじゃったのかな……)
(ウィロー! ロアーン! どこー!?)
声が出ず、頭の中で叫ぶ。当然、返事はない。
遠くからウィローとロアンの笑い声が聞こえる。
「リアのことは、置いていこう」
「そうですね、リアは、役に立たないですし」
「毎日魔法をかけるのも、疲れちゃった」
リアの目が見開かれる。
ふたりが、リアを石の棺のなかに置いて行ってしまう。
(こんな、寂しくて暗いところに居たくないよ!)
(置いていかないで!)
叫びたいのに声が出ない。足も動かない。触るとなぜか左足に火傷の跡があって、すごく痛い。陽の光に焼かれた証拠だ。
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「うう、うう……」
「リア、リア」
ウィローは、ベッドで横向きに丸まっているリアの肩を揺さぶったり、頬をぺちぺちしたりするが、起きない。
「リア!」
必死な大きな声で、リアはぱちっと目を覚ます。目の前に心配そうなウィローの顔がある。リアの目にじわっと涙が浮かぶ。
リアはベッドから上体を起こすと、ベッドの端に座っているウィローの服の袖をつかむ。
「ウィロー、置いていかないで! 役に立たないって言わないで……」
「リア、それは夢だよ」
ウィローはリアの背中に腕をまわして、抱きしめるかたちで、背中をぽんぽんとたたく。
「ぼくがそんなこと、きみに言うはずがないでしょう」
「うん……」
すごくリアルで怖い夢だったなあとリアは思う。まるで、心の恐れがそのまま夢にでてきたみたいだった。
ウィローは手をリアの背中に置いたまま、声をかける。
「リア、落ち着いて聞いてほしいんだけど、きみが見たより酷い悪夢を、ロアンが見ていると思うんだ」
「たいへん!」
「だから、今からバケツを持って、ロアンの部屋に行こう」
ウィローは立ち上がり、部屋から出て行く。リアもベッドの上から降りて、ウィローのあとをついて行く。
「バケツ? なんで?」
「たぶん、寝起きに吐くから」
ウィローはまるで経験したことがあるかのような口ぶりだ。
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リア。
足元にリアがいる。魔法が解けて、白い髪が床に散らばっている。白い可愛らしいドレスを着ている。床に身を投げ出し、眠っているようだ。
「リア?」
眠っているのではない。リアは、息をしていない。触るとすでに、体が冷たくなっている。血が通っていない温度をしている。
「ああ、ああああ……」
ロアンはリアを抱き上げようとする。しかし、触れれば触れるほどに、もう中身がないことを再確認してしまう。
(ウィローに守るように言われていたのに。自分は、守りきれなかった。リア、リア……)
可愛いリア、愛しいリア。そのリアが急に冷たくなって、こんな寂しいところに1人でいる。ロアンは、リアの開かない手をとる。
しかし、ロアンは思い当たる。ウィローは、自分自身の命にかえてもリアを守るだろうと。
では、もう息をしていないリアがここにいて、ウィローはどこにいるんだろう? と。
ロアンはリアの死体からすこし離れたところに、黒焦げのひき肉のようなものが飛び散っているのを見る。そして、気づく。
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「ロアン、ロアン」
「ロアン!」
ふたりで必死に、眠るロアンに呼びかける。ウィローがロアンの肩を揺さぶったり、リアが顔を両手ではさんだりするが、戻ってこない。
ウィローはロアンにいったん、睡眠魔法をかける。そしてそれを解除することで、強制的に起床させる。
ロアンは目を覚まして上体を起こし、瞬間、嘔吐する。リアがバケツをサッと目の前に出す。
「吐いたほうが楽になるよ」
ウィローはロアンの隣に座り、背中をさする。ロアンは、胃の中身を全部吐いたのではないか、というくらいに吐く。
「ニフタに近ければ近いほど、夢で脳をゆさぶられるんだ。ぼくも小さい頃、取り憑かれたとき盛大に吐いたよ」
ウィローは笑う。
ウィローのやわらかい笑顔を見て、ロアンは夢を思い出す。絶対にダメだ、と思う。
ウィローが背中においた手をとると、ロアンは聞いた。
「ウィローは、城を爆破した魔術師みたいに、自分自身を代償にしたりしませんよね?」
緑色の瞳が、真剣に訴えかける。
「そんなの絶対にダメですよ」
「……」
藍色の瞳がロアンを捉える。次に呆然としているリアを。そしてもう一度、懇願するような顔のロアンを見る。
ウィローはロアンの手を、自分の手からそっと、優しく離す。
「ぼくは、たとえばぼくの命ひとつで、リアやロアンの命が救えるとすれば、迷いなく代償とすると思うよ」
「ダメですよ!」
「そうだよ!」
ロアンとリアが、猛反発する。
ウィローはふたりの勢いに驚きながら、おそらく本心であろうことを言う。
「何がダメなのか、わからない」
本気でわからない、という顔だ。
「私もロアンも、ウィローが大事だから!」
「?」
「貴方はリアに危ないことをしないで、と言うでしょう。それはリアが大事だからでしょう?
私たちだって貴方が大事だ。だから、危ないことをしてほしくないということです」
リアもロアンも、真剣にウィローに伝える。
「でも」
(きみたちを守るためには、危ないことだってしないといけないときがあるよ)
ウィローは、言葉をのみこむ。ふたりの気持ち自体は嬉しいものだし、尊重したい思いもある。現実的には難しくても、嘘でもいいから言わないといけない。
「……わかった、努力する」
ウィローは言葉をしぼりだす。
そのとき、
「ピイーピキー!」
と甲高い、不満そうな声がロアンのベッドの下から聞こえた。
3人は、ロアンのベッドの下を覗き込む。
「ピキーピィー!」
耳が長くて三角の目をした、手のひらサイズの黒い毛むくじゃらが、(もっと恐怖の感情をよこせ!)と叫んでいる。
ウィローはすぐ、魔法で捕縛する。ニフタが今夜はもう悪さをしないように、なにか唱えている。
「これがニフタ? かわいい!」
「朝になったら、ギルドに報告に行くよ」
ウィローは伸びをしている。
「飼わないの?」
「絶対に嫌ですよ! もうあんな夢を見るのは!」
呑気なことを言うリアに、ロアンが叫ぶ。
「ニフタの夢にはあたたかいお茶がきくから、3人で居間に飲みに行こう」
ウィローの提案に、ロアンとリアは頷き、ウィローについていく。
「このまま起きていても、いいかなあ」
「どうせ眠くなってリアが真っ先に寝るでしょうね。ソファーでゴロゴロしているうちに」
「そんなことないもん!」
真夜中にわいわいしながら、灯りのついた廊下を居間に向かって歩く3人。幸せだ。
(あー 夢でよかったなー)
(みんな、生きててよかった)
と思う、リアとロアンだった。