16) 2周目 花を植える、魔術について知る、夜風にあたる
翌日の夕方近くなってから、裏庭でリアとウィローが植木鉢に花を植えている。ウィローはリアに教えながら植えようとするのだが、ウィローの手つきもぎこちない。
「そしたら土を……ええと、見ているようで、意外と覚えていないものだね」
「お花を育てるのを見てたの?」
「そうだよ、お花を育てるのが好きなひとが近くにいたんだけど……ぼくは花は見ていなかったものと思われるね」
「じゃあ何を見てたの? 虫とか?」
「虫 ふふっ あはは」
笑うウィローを見上げたリアは、本当に不思議そうな顔をしている。
2人で、ああでもないこうでもないと言いながら花の種を植えたあとで、水をかけるのにジョウロがないという話になり、キッチンからコップをもってきてリアは土に水をかける。
「これで完成! お花咲くかなあ」
「リアが手をかけてあげたら、きっと咲くよ」
植木鉢をのぞきこんでわくわくしているリアに、ウィローは優しく言葉をかける。
家に入ろうとするウィローの茶色のローブを後ろから、くいくい、とリアがひっぱる。
ウィローが振り向くと、今度は前からローブの襟をひっぱるので、ウィローは疑問に思いつつ屈む。
リアはウィローの髪先のにおいをかぐ。
「ウィロー 2回も水浴びしたのにまだ焦げくさい気がするわ」
「そのうち消えるよ」
「どうしたらこんな不思議な焦げくさいにおいになるのかしら」
「不思議な」
眉をひそめるリアと、(アラーニェのにおいかなあ)と心の中で思うウィローだった。
ーーーーーーー
「ロアン! お花を植えたんだよ! あとで見に来てね!」
居間のテーブルで試験勉強中のロアンに、リアが元気よく声をかける。
ロアンは、古本屋で買ってきた神聖力や聖騎士についての本を読んでいる。難しくてちんぷんかんぷんだ。神聖力と魔術を比較する話からはじまるのだが、「魔術についてはみなさんご存知ですよね」というはじまり方なので、「ご存知ありません」という気持ちになる。
「ウィロー、魔術の基本的なことについて教えてくれませんか?」
勉強は苦手だ、と頭を抱えているロアン。体を動かすことはロアンの方が得意だが、本を読むのはウィローの方が得意なはずだ。
「ちょっと見せて」
ウィローは神聖力についての本を手にすると数ページ、ぱらぱらとめくって読む。
「なるほど、話の前提が魔術なんだね」
「私も聞きたい!」
リアが、ぴょんぴょんと跳ねる。
「ちょっと待っていて」
ウィローは部屋に戻ると、メガネ(魔力値測定用のもの)をかけ、紙と羽根ペンとインクを持って戻ってきた。
並んで座るふたりの生徒たちの前にテーブルをはさんで立つと、ウィローの中での教師のイメージなのか? 羽根ペンを振る。
「えー それでは、魔術についてお話したいと思います」
「ウィロー、そのメガネは必要でしたか?」
「ウィロー、礼儀作法の先生みたい!」
「ぼくは魔術の先生のつもりだよ、リア」
ウィローはニコッと笑う。
「まず、魔術は万能ではありません」
「はい!」
リアが勢いよく手を上げる。
「はい、リアさん」
「でもウィローは、魔術でなんでもするよね?」
「なんでもしているように見えるかもしれないけれど、裏で色々やった結果が、表に出てきている感じかな」
ウィローはテーブルの上に紙を広げて、真ん中に「魔術」と大きく文字を書く。となりに「魔力」と文字を書き、矢印で繋げる。
「魔術は、いろいろな要素が複合的に合わさって発動するものです。まず、発動者が魔力を持っている必要がある。これが大前提。そして魔術の効力は、発動者である魔術師の魔力の性質や量に左右されるものである」
ウィローが早口で話し始めたのを聞いた瞬間、(ウィロー先生は教えるのが上手じゃない)とロアンは思った。大量の情報を、一気に一度に言われても覚えきれない。
しかし、リアはふむふむ、と聞いている様子だ。
(リアに負けてたまるか……)
ロアンもウィローの話にがんばってついていくことにする。
「それから、触媒や代償が必要である。場合によっては、魔法陣や詠唱が必要である」
ウィローは「魔術←魔力」の図式に、「触媒・代償」と「魔法陣・詠唱」を追加する。
「魔法陣や詠唱は、スターターだね。魔術をうまく軌道に乗せるためのものだ」
ウィローは羽根ペンにインクをつけると、「魔法陣・詠唱」から「魔術」に向かって矢印を引く。
「だから魔術のおぼつかない初心者は、詠唱からはじめることが多いね」
「ウィローは、このあいだ木の剣に詠唱しましたよね。あれは珍しいなと思ったのですが」
ロアンの言葉に、ウィローはちょっと痛いところをつかれた、という顔をした。
「実は、あれは物の性質まで変えたわけじゃなくて、物を切ることができる材質のカバーをかけるイメージで術をかけたんだ。
たとえば魔術の実験をするのに、影響を避けるために部屋にカバーをかけるイメージとかもそうなんだけど、そんな感じの魔法はぼく、あんまり得意じゃないんだよね」
ウィローは、自らの小麦色の髪の端を触る。
「イメージも大事ってこと?」
リアが質問をする。
「そうだね、想像力も大事だ。『術者が想像できないことは、魔術は実践できない』つまり、術者にとって『できる』と信じるに足る根拠や自信が、大事だってこと」
ウィローは「想像力・イメージ」と紙に書き足した。
なるほど、ウィローがためらいなく魔術を使うのも頷ける、とロアンは思った。
人生のほとんどの時間を魔術に費やしているから、知識や経験からくる圧倒的な自信が、魔術の発動や発動速度につながっているのだろうと。
「根拠を得るためには『どうしてそれを引き起こすことができるのか』という理論の理解も大事だよ。魔術師は、複雑な魔術を成立させるために、魔術計算式を使うんだ」
ウィローは「理論」と「計算式」と書く。
「なお、魔法陣や詠唱には、魔術を失敗しにくくする効果もあるね。魔法陣だったら転移魔法陣とか、ある程度、型が研究されて定まっているものもある」
『魔法陣集とかもあるにはあるんだけれど、たまに間違ってたりね〜』と、聞かれてもいないことを話すウィロー。
(本当に魔術が好きですよね、ウィローは。いわば、魔術オタクですね)
「触媒ってなに?」
リアが聞く。
「魔力を帯びたり秘めたりした何か、だね。魔術発動のトリガーだ。ぼくが日常的に使うのはやっぱり魔石かなあ」
ウィロー先生がローブのポケットに手を入れると、テーブルの上に、じゃらじゃら、といっぱい魔石がでてくる。
いろいろな色、大きさ、かたちをしている。
「これ全部、魔石?」
「そうだね」
「この割れてるのも?」
「それは使ったやつだね」
「捨ててください」
「でも、使って割れた魔石も素材に使えたりするから……」
この人はやっぱり魔術オタクだ、とロアンは思う。
「魔石が便利なのは『帰還の魔法』を込めたお守りとか、灯りに使う魔石みたいに、魔石自体に魔術を込めることができることだね。そしてそれは、魔力がない人にも使うことができる。
魔術師が、魔術の発動の触媒として消費するだけじゃなくてね」
うんうん、魔石は素晴らしいよ、とウィローは1人で頷いている。
「代償ってなに?」
リアが聞く。
「最初に決めた触媒のみで足りなくて魔術が失敗しそうなときに、たとえば術者が自分の手を切るとか、口の中を噛むとかすると、途端に成功したりするんだよね。
つまり、魔術師の体は魔力を帯びているから、触媒として使うことができるんだ。爪とか、髪とか……肉や、骨でも。それを魔術師は『代償』って呼んでいるんだ」
「こわ〜い」
リアが両手で体を抱いて、ぶるぶる、と震える仕草をする。
「代償は本人の魔力を帯びているから、強い威力を発揮する。多少、無茶なこともできてしまう」
ロアンは呆れ顔だ。
「だから、魔術師同士の戦いとか、血を流して倒れているときがあるんですよね。代償を知らない頃は、魔力切れで肉弾戦をしたのかと思っていましたけれど……」
「魔力切れはねえ、動けなくなる感じだよ。昨日、ぼくが玄関で寝ちゃったのは、ただ睡魔と疲れに負けたからだけど、でもあれに近いかな」
魔力切れからの肉弾戦なんて、とてもとても、とウィローは手を振る。
「こわいことを思いついたんですが、魔術師は他人の命や血を使うことも可能なんですか?」
「うーん 血に関してはその人に魔力があるかどうかによると思う。命はちょっとわからないな。でも、自分のものではないから、威力としてはどうなんだろうね?」
ウィローは考え込み、記憶を辿り、思い出す。
「えーと 歴史上は、どこかの城に立て籠もって、魔術師本人と、その城内の人たちの血だか命だかを触媒と代償にして、城を爆破した魔術師がいるんじゃなかったっけ」
「こわ〜い」
リアはまた、ぶるぶると震える。
「大掛かりなことをするには、それなりの触媒や代償が必要ということですね」
「そうそう。広範囲に焼いたりね〜」
ウィローのぼんやりした声に、リアとロアンは顔を見合わせる。
(やっぱり何か、焼いてきたのかな?)
(人間を焼いていたらどうしましょう……)
リアは椅子から降りてウィローのそばに行くと、口を あー と開ける。
「ウィロー、口、あーんして!」
「え、な、なんで」
ウィローは困惑しながらも、リアの勢いに負けて、屈んで あー と口の中を見せる。
「口の中は切ってなさそうだわ」
大丈夫そう、とロアンに目配せするリア。ウィローは笑う。
「大丈夫、大丈夫。ぼくは大掛かりなことする用に、自分の血をいれたオリジナルの魔石をつくったりもしているから、その場で口の中を噛むこととかは、あんまりないよ」
「自分の血で作った魔石持っているの、十分怖いですよ」
「こわ〜い」
ロアンはじとーっとした目でウィローを見て、リアもロアンの表情を真似してウィローを見る。
ウィロー先生の魔術講義を終えて、ロアンとリアは、(魔術師ってこわ〜い)という感想を抱いた。
ーーーーーーー
晩ごはんのあと、リアは家の灯りを頼りに庭の植木鉢を見ている。少し夜風が涼しくなってきたようだ。ウィローは戸口に立ち、リアに声をかける。
「リア、何度見たって、今日は種のままだと思うよ」
「急に育てば良いのになあ」
リアは、芽が出るのが待ちきれない様子だ。
「リアだって急に育つように言われたら、嫌でしょ?」
ウィローはリアのそばに行き、頭をなでる。
「花は時間をかけて、のんびり育つ物みたいだね。一緒に観察しようね」
「私は、嫌じゃないよ」
リアは、植木鉢を見ながら言う。
「?」
ウィローは、よくわからない、という顔をした。
「私は、はやく大人になりたいよ。そうすれば」
(ウィローに)
リアは頬を赤らめるが、ウィローには、リアの発言の意図が伝わらなかったようだ。
「リア、今夜は涼しいから、もう中に入ろう。でも、もしリアがまだ見たいなら、これをあげる」
ウィローはローブを脱いで、リアの肩にかける。リアはローブの袖に腕を通して、着る。
(うん、大人になるにはまだまだ時間がかかるね)
ウィローはリアが袖もぶかぶか、ローブもやや引きずっているのを見て、微笑む。
リアは、
(ウィローのにおいがする)
と思う。ローブを着ていると、ウィローにハグや抱っこをされたことを思い出して、すこし気恥ずかしかった。
家の戸口から、ロアンがひょいと顔を出す。
「リアの花は、どれですか?」
「これだよ!」
「何を植えたんですか?」
「ないしょ!」
リアはいたずらっぽく笑った。ロアンが「見に来てね」を覚えていてくれて嬉しいなあ、とリアは思う。
「あれ、リア、魔術師になるんですか?」
「リア、やめたほうがいいよ。代償は痛いよ〜」
ロアンもウィローも、リアをからかう口調だ。
「絶対いや! 絶対に魔術師にはならないって今日決めた! 私は何になろうかな〜」
ぶかぶかのローブを着ながら、そんなことを言うリアを見て、ウィローもロアンも笑った。
もうすぐ、秋が来る。