トゥリフェローティタ
アステルは喪服姿だ。黒い上着を脱ぎ、腕にかけ。手にふたつの本を持ち、結界をあけてその部屋に入った。
アステルが部屋に入った瞬間、それまで蠢いていた生き物たちが、サアアッと音をたてて塵となり、全て消えた。ただ一匹の魔物を除いて。
「だれ?」
魔物は手のひらに乗るくらいの大きさで、白く、小さい。スライムのようにも見えるが、ちいさな2本のやわらかなツノがあり、ふわふわとして見える。
涙を流し、泣いていたようだ。
アステルは部屋の片隅に魔術で小さな椅子をつくると上着と2冊の本を置く。魔物に手を差し伸べかけて――考え直す。
2冊のうち、ちいさな聖典のようなものを魔物に差し出す。保護魔法がかかっており、相当古いもののようだ。
「これは、きみにかりたものなんだ。長くかりていて、ごめんね」
「わたしの?」
魔物はふるふる、と体をふるわせる。
「わたしにもちものなんて、ない」
「あるよ。今ないなら、この、アサナシア様の聖典をひとつめにすればいい」
「あさなしあさま? だれ?」
「むかしの、えらいひと。いろんなひとの指標になったんだ」
魔物はアステルの持つ聖典の上によじのぼる。かたつむりのように、ゆっくりと動く。
「なつかしい。あたたかい……」
アステルは、魔物を乗せたまま聖典をそっと持ち上げて――白い魔物と目が合うようにした。小さな紫色の目を見て、微笑んだ。
「ぼくは、魔王をしているアステルという者だよ」
「あすてる」
「今日は、ぼくの義理のお父さんのお葬式だった。すごく長生きしたんだ、大往生だよ。
覚悟はしていたけれど、ぼくは、とても寂しかった」
「でもふと、思い出したんだ。ルーキスは、自らの命をここの鍵にしていたことを」
「だから、きみを迎えに来たんだ。ぼくは、精一杯の抵抗として――ぼくがふたたび足を踏み入れたときに魔術を解除できるように、魔法陣を書き換えていたからね」
「むずかしい」
魔物にはむずかしい話のようで、ゆっくりとまたたきをする。そのあと、ひどく哀しそうな顔にもどった。
「どうして泣いていたんだい?」
「わたしのまわりには、いつも、うまれてはきえるものたちがいて。それがずっとこわかった。わたしもいつか、きえるのかとおもうと」
「ひとりできえるのが、こわかった」
「でも、もう、いなくなった。いきものたちはいなくなった。わたしもきえるときが、きたのかもしれない」
ちいさな白い魔物は、聖典の上で震えている。
「もう、大丈夫だよ。生まれたての魔物さん。きみは、いま、生まれたといっても良いんだ」
アステルは白い魔物をなぐさめる。
「魔物さん、だと呼びづらいね。
きみは、自分の名前を覚えている?」
「わたしは、なにももっていない」
「では、ぼくが名前をつけてあげる。
トゥリフェローティタ、というのはどうだろう? 慈しみという意味だよ」
アステルは優しい声で伝える。
「慈しみ、慈しまれる存在になりますようにって、そういう意味」
「トゥリフェローティタ……ながいなまえ」
「あはは! きみがそれをいうなんて!」
アステルは、笑う。
昔、もっと長かったじゃん、と思ったからだ。
「トゥリフェローティタ……」
魔物は、口をもごもごさせて、名前を繰り返す。魔物のかなしむ雰囲気がやわらいだのをアステルは感じる。
「気に入ったなら、よかったよ。トゥリフェローティタ」
「ぼくは、ずっと、君のことを友人だって思ってきたんだ。後悔して、自分を呪うこともあったけれど。でも、いつか会えるってわかっていたから」
「ぼくってほら、長生きでしょ?」
「ルーキスも逝ってしまって。あの時代を知っている者は、本当にわずかになってしまったよ」
アステルは魔物の目をみて、微笑みかける。
「だから、きみに、ぼくと友達になってほしいんだ」
「ともだち?」
「ごはんをたべたり、あそんだりする相手のこと。それから、物語を読んだりね」
「ものがたり?」
「たとえば、この本のような。
長い人生には、物語が必要だよ」
アステルは、椅子の上のもうひとつの本を手にとってトゥリフェローティタに見せる。
「きみはきっと娯楽に飢えているだろうと思って。きみに最初に聞かせるなら、このお話が良いかなって思って、持ってきたんだ」
「あすてるとともだちになれば、それがきける?」
「もちろんだよ」
「わかった。ともだちになる」
トゥリフェローティタは、頷いた。
「ぼくとまた友達になってくれて、ありがとう。トゥリフェローティタ」
アステルはちいさな魔物を慈しむように微笑むと、椅子に座って、トゥリフェローティタをのせたまま聖典を膝の上に置く。
そして、もう片方の本を開く。
「きいていてね。きみに話す、最初の物語は、これだよ」
アステルは本を開くと、優しい声で、トゥリフェローティタに語り始める。
「むかし、むかし――」
〜あとがき〜
『異世界恋愛書いてみたい!
歳の差と主従と好きな要素もりもりで!
タイムリープも書いてみたい!』
という気軽な気持ちではじめて、長期にわたる蛇行運転小説となりましたが、読んでくださっている方々のおかげで続けることができました。
長編はむずかしいなあ! と思いつつも、好きな要素をもりもりに込めて書くのはとても楽しかったです。(曇らせが好きという業を背負った)作者が一番楽しい小説であったなあと思いますが、ものづくりが楽しいなって気持ちをまた得られたことが、とても嬉しかったです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!