15) 1周目 15歳 温室にて
「――も急務です。我が国としても、教国エオニアに協力は惜しまずに――」
外交担当の大臣の眠くなる声を聞きながら、着地点のあらかじめ決まっている会議ほど退屈なものはない、とアステルは思った。
アステルは普段、王城内の会議に招かれることはほとんどない。そのため入室したときから『あれは誰だ?』という奇異の目に晒されていた。アステルにとっては、この場にアステルとの会話を試みようという人間がいることが不愉快だった。
会議がいったんの決着を得て拍手が起こると、真っ先に席を立ち、会場を後にする。アステルに声をかけようと思っていた人間たちが動揺しているようだが、(知るか、)といった気持ちで足早に出ていった。
部屋を出ると短髪の騎士が、アステルの少しあとをついてくる。癖っ毛の紺色の髪に紺色の瞳の騎士は長身で、アステルよりも背が高い。
城の外に出るとアステルは騎士を振り向く。
「ルアン、ここまでで良いよ。ぼくは温室に行く」
「アステル様、それでは温室の近くで待っております」
「良いって言ってるだろ ルアンも、ちょっとは休め」
「アステル様こそ……どうぞ、ごゆっくり」
ルアンと呼ばれた騎士は、なんとなく含みのある言い方で微笑む。
魔術院の温室に入ると、つばの広い白い帽子を被った少女の姿が見えた。少女は長くウェーブを描く白い髪を右肩のあたりでまとめ、結いている。薄黄色のワンピース姿で花壇にしゃがみこみ花の世話をしているようだ。
アステルが近づくと、足音に驚いたように振り向き、それが誰かに気づくとぱあっと笑った。
「アステル!」
「やあ、シンシア。調子はどうだい?」
「私の? お花のですか?」
シンシアは首を傾げる。
「どっちも」
「私はおかげさまで、とても元気です!」
シンシアは立ち上がると、その場で、くるっと回ってみせる。シンシアの胸にある、大事な『お守り』が揺れている。
「お花も元気がなかったんですが、今、元気になりました」
「神聖力で元気にしたってこと?」
「はい!」
「本当にすごいね、触媒や代償なしで……本当に不思議な力だ」
アステルは感心する。魔術と神聖力によってなされることの違いはそこにある。触媒が必要かどうかだ。
アステルは21歳、シンシアは15歳になっていた。今は初夏だ。去年、シンシアが14歳の秋に『お守り』は完成した。少しずつ慣らしながら改良を重ねて、今は夏であろうとも帽子があれば外で過ごすこともできる。
目も、かなり見えるようになっていた。
どちらもアステルを含む魔術院の研究者たちが、研究を積み上げて得た成果だった。
(外で過ごすことができるようになってから、シンシアは明るくなった)
『アステル』と明るく呼ぶ声が本当に嬉しくて、シンシアに呼ばれるたびにアステルは口元がゆるむ。
アステルがシンシアにはじめて出会ったときに抱いた最初の感想は、
(なんて綺麗なひとだろう、だけど暗いなあ)
というものだった。シンシアはずっと俯いていたし、アステルだけではなく、人間というものにひどく怯えていた。
アステルは、シンシアほど自信がなさそうな女性に会ったのもはじめてだった。アステルの知っている貴族社会の女性といえば、偶然かもしれないが気の強い女性ばかりだったのだ。
シンシアは魔術院の温室の世話をはじめてから、さらに明るくなったようだ。自分の力で植物に元気を与えられるのが嬉しいようで、自信がついたようにも見える。
とても良いことだとアステルは思った。出会ったころ、生きるのがしんどそうだったシンシアが、今は育てた花が咲くことや、野菜の収穫を楽しみにして生きているのは。
「このお花が……こっちは、お野菜なんですけれども……」
シンシアは土で汚れた(もともとは白い)指をさして、アステルに説明をする。アステルはシンシアの植物の話を聞くのが好きだった。嬉しそうに話す横顔を見ているだけで、先ほどの退屈な会議のことも忘れ、(ああ、今日も良い一日だった)と思えるのだった。
(ぼくは、シンシアと過ごす時間が一番好きだなあ)
2番目の兄が『妻をもらうのは良いことだ』と言っていた。2番目の兄には4人も妻がいるので、それとはまた違うだろうが……確かに1人なら、そしてそれがシンシアなら、妻をもらうのは良いものだなあとアステルは思う。
冬に、シンシアが16歳になったら結婚式を挙げる予定だ。春に2人、ともに関わらねばならない用事があるので、その前に結婚式を挙げようという話になっている。
結婚式より前、秋に旅行に行こうとも約束した。木々の紅葉が美しいと有名な湖へ行くのだ。
温室にさしこむ光の色合いが、午後も夕方に近くなったことを教えている。アステルは、シンシアの身を案じる。
「そろそろ疲れたんじゃない? シンシア、部屋に戻ろうか」
「そうですね、アステル」
シンシアは差し出されたアステルの手をとる。すると、アステルに急に引き寄せられた。
「ねえ、シンシア、キスしてもいい?」
シンシアは頬を赤らめて狼狽する。
「えっ ここ 温室とはいえ、誰か入ってきたら……」
「誰も来ないよ、それなら、こうして」
アステルはシンシアの帽子を手に取ると、温室の入り口から帽子で隠すようにしてシンシアに口づける。目を閉じ、唇に柔らかい感触を覚え、きっとシンシアも同じ感触を得ているだろうな、と思う。
名残惜しく離れると、真っ赤なシンシアを見て、アステルは笑う。
「かわいいなあ、シンシアは」
シンシアは帽子をアステルから奪いとると、深く深く、顔が見えないようにかぶってしまう。
「あれ、シンシア姫? ごきげんを損ねましたか?」
「お外でこういうことをするのは、恥ずかしいです」
帽子から声がする。
アステルは帽子のつばを少しもちあげると、覗き込む。
「じゃあ、部屋の中なら良いの?」
「……もう!」
シンシアは口をとがらせる。こういう仕草をとってくれるようになったのも、アステルとしては嬉しくて、ついついからかってしまうのだった。
「ごめんごめん、シンシア。今度、旅行に行く場所のね、小さな絵をいくつかもらってきたよ。部屋に帰ったら、見ようよ」
シンシアが、興味を惹かれている様子なのをアステルは感じ取る。すこし遅れて、シンシアは小さく頷く。
アステルがシンシアの手を取ると、シンシアも握り返してくれる。アステルが微笑むと、シンシアも頬を赤らめて少しだけ微笑んだ。
2人は、温室の出口に向かって歩きはじめる。