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ロアンの選択、リアの選択


 アステル112歳(見た目は20歳)の春。


 タフィの村にはじめてやってきたタフィ教徒は、齢100歳を超えるちいさなおばあさんと、そのおばあさんの世話を焼く美しい青年を目にする。タフィの村の人たちはおばあさんを尊敬しているようで、ふたりに恭しく接している。


「あのおばあさんは何者ですか?」

「タフィ様だよ」

「え!?」


 タフィ教徒はタフィ様に夢を見ていることが多いので、ちんまりとした、腰の曲がった髪の白いおばあさんがタフィ様と知って、すごくがっかりする。


「お若い頃はそれはそれはお美しかったんだ」

 がっかりしたあとで、若い頃の姿絵を見せられて満足するまでが一定のパターンだ。

 そのあとで、忠告を受ける。

「この村ではタフィ様の悪口を言ってはならないよ」


 しかし中には、口をすべらす者もいる。

 村に唯一ある食堂で、若い男が言う。

「いくらタフィ様だからって、綺麗な男の人をはべらしていて心象が悪い」


 食堂の空気が凍りつく。

 男がごはんを食べようとした手が、動かなくなる。誰かに抑えられてるわけでもないのに、スプーンを器から上げることができなくなる。

 テーブルに置かれた見知らぬだれかの指先から、視線をあげるとそこには金髪の青年が立っている。

「ぼくが、なんだって?」

 タフィ様の世話をあれこれ焼いていた青年だ。青い瞳は、怒っているようだ。


「ねえ、何を勘違いしているの? ぼくは彼女の夫だよ」

「夫!?」

「彼女は114歳で、ぼくは112歳だ」

「いや、でも、俺と同い年くらいにしか」

「この体は呪われているからね。本当はすごくおじいさんなんだよ。わかった? 今度シンシアの悪口を言ったら、ぼくは、きみを許さないよ」


 青年はそれだけ言うと食堂をでていく。

「あーあ、魔王様を怒らせた」「タフィ様の話は魔王様がどこで聞いているかわからないから……」とまわりが男に苦笑する。そこで男は、『若い見た目のおじいさん』が魔王様だということを知る。


ーーーーーーー


 春先の午後。

 アステルはリアと、村の広場でお花見をしている。頭上に咲く黄色い花を見ながら、ふたりはベンチに座り、ひなたぼっこをしている。

 村人は『魔王様がタフィ様との時間を邪魔されるのを嫌う』のを知っているので、最近はあまり話しかけてこない。

 114歳の白い髪のリアは、アステルに寄りかかるようにしてお花を見ていたが、そのうちに、うとうととしだす。


「眠い? シンシア」

 リアは頷いた。アステルはリアのお気に入りのちいさな膝掛けを魔術で家から呼び寄せて、リアの膝にかける。

「風がでてきたね。もう少ししたら、帰ろうか」

 おばあちゃんのリアは眠ってしまって、返答がない。


 しばらくしてリアが起きると、アステルはリアと手を繋いで家に帰る。ふたりは、指先を恋人つなぎにしている。



 ばんごはんを食べて、アサナトスの花で出来たお茶を飲んで……すぐにベッドに入り、眠ってしまったリアのことを、部屋の戸口に立ってアステルは見つめる。

 これまで。90歳までのリアはものすごく元気だった。80代のおばあちゃんになっても、タフィ様は村を駆け回って神聖医術に明け暮れていたのだ。そのあとに大きな病気もあったけれど、持ち前の神聖力と、アステルの回復魔術とで山を超えてきた。アステルが「もうシンシアは、病気はこわくないね!」なんて言うと、リアは「自然の摂理に反しているけどね」と苦笑していた。

 アサナトスの花のお茶を飲み始めたのはリアが60を過ぎてからで、眠気がでるので、夜寝る前だけに飲んでいた。100歳を超えてから、お茶が効きすぎるような感じだ。アサナトスの花のお茶のせいなのか、老いのためなのか、眠っている時間が増えている。


 眠るリアを見つめて、硝子玉のような瞳をしているアステルの服を、後ろから紺色の毛並みの犬がひっぱる。本当は狼の魔物なのだが、自分のことを犬だと思い込んでいる。まわりも犬扱いをしている。

「なんだよ、ルアン」


 遊んで、とでも言いたげな顔で、大きな犬はアステルの服を引っ張ったり、まとわりついたり、鼻先でつついたりする。


「やーめーろー! シンシアが起きちゃうから……」

 ルアンを追い出すため、アステルはリアの部屋から出ると、優しく扉をしめる。


 居間にふたりとなると、犬のルアンはアステルに突進して、アステルは尻もちをつく。アステルの膝に前足をかけるルアンは、何か言いたげだ。

 本当はアステルもわかっている。きっと『不安に思っていても仕方がない、前を向け』と愛犬は言いたいのだ。

「わかった、わかった、ルアンとも遊ぶよ」

 もふもふもふ、もさもさもさ、とアステルが両手で首のまわりの毛並みを撫でると、紺色の毛並みを持つ犬は、嬉しそうにする。


 この犬は、ロアンだ。


ーーーーーーー


 テイナが67歳で早くに亡くなってしまったとき、ふたりの3人の子どもは全員が独立して家庭を持っていた。アステルとリアは独り身になったロアンを支えて、つかず離れず、気遣っていた。

 そのころ、アステルの末子ミーロが、ルーキスとアステルとリアのそばにいた。ミーロは事情があり、ルーキスの養子という立場だったのだが、容姿がアステルにそっくりで、まるで小さなアステルだった。

 気持ちが塞いでいたロアンの心を救ってくれたのは、この子だったといえよう。


 とはいえ、おじいちゃんになったロアンにとっても、誰より大切な存在はアステルであり、それは周囲から見ても明らかなことだった。


 リアがアサナトスの花の服用をはじめた頃、ロアンは教職を退き、家で勉強したり、剣を振るって運動し、狩りに赴くようになった。60を過ぎて狩り? とリアが不思議に思い聞くと、魔物について調べているという。

 ある日、ロアンはリアに打ち明けた。


「魔物になろうと思う」


 リアは驚かなかった。長い寿命のアステルのそばに居る方法のひとつが、魔物になることだったからだ。長命な魔物を選び、人間から魔物に転化すれば、アステルのそばに長く居ることができる。

 リアは悩んだ末に、それを選択しなかった。結局、魔物になって寿命がのびても、1000年やそれ以上、生きたとしても、いずれは死んでしまう。アステルのそばに、ずっと居ることはできない。リアは「ずっと」にこだわった。

 ずっとアステルの伴侶であることに。


「転生して、アステル様に探してもらうという方法は、私には向いていない。そもそも探してもらえるような身分ではないので……」

「向いていない? 身分?」

 相変わらず変なことを気にする、とリアは首を傾げた。


「リアが転生して、見つかるまで時間がかかったときのアステル様が心配だから、いつもアステル様に寄り添える存在でありたい」


 ロアンの緑色の瞳は、優しい色をしていた。


「おれの役目は、アステル様を支えることだ。

 今までも、これからも」



 愛と想いある人間という大前提の上で、人間が魔物になるには2通り方法がある。ひとつめが苦痛に晒されて呪いを獲得するパターン。生きているうちに転化することもあるし、死後に転化することもある。人間が、魔物になるつもりはなかったが魔物になってしまったケースはこちらが多い。

 ふたつめが『グレモースの洞窟』という魔王カタマヴロス生誕の地であるダンジョンに潜り、その歪な性質を利用して魔物へと転化する方法だ。過去に『魔物と人間の混血で人間の要素が強いが、魔物になりたかった人間』がグレモースの洞窟に潜り、魔物となることができた記録がタフィに幾つか残っている。しかし魔物の魔の字もない、ましてや魔力もない人間がグレモースの洞窟に潜るのは前代未聞だ。


 ロアンはルーキスに協力を求め、ルーキスはアステルのためになると判断して協力に応じた。

 愛と想いはクリアしているとロアンは言う。最下層に辿り着くための戦闘力は、ダンジョンとしてはそれほど難しくないので大丈夫だろうとルーキスは言った。

 あと必要なのは「魔力」、「転化対象となる魔物の遺体からとった物をいくつか」、そして「代償」だった。代償は、愛と想いの証明と呪いの構成のために必要であるという話だった。


 魔力は、ルーキスが上手いこと言ってアステルに魔石に魔力を込めてもらった。結構な量を持っていこうとするルーキスに、流石のアステルも「国家転覆でもするつもりなの?」と訝しんだという。

 グレモースの洞窟と魔王の魔力は相性が良いだろうから、これでダメならダメだろう、とルーキスはロアンに話した。


 ロアンが調べて望んだ、転化対象となる狼の魔物は、寒い土地に生息する魔物だった。ルーキスとロアンは狩りに行った。その道中、ロアンは話した。


「代償は、大切なものでないといけないんですよね」

 ルーキスは無言だが、肯定の空気だった。

「忠誠心は失えないし、むずかしいと思っていましたが……私にとって大切なもの、見つけました」


「馬鹿だったんです」

 ロアンは寒さに鼻を赤くしながら、遠くを見つめた。

「昔、勉強が苦手でした。よく、ウィローに教えてもらっていました。でも、ウィローと離れて暮らすようになってからだんだんと学ぶことが好きになっていった。タフィの教師になったあとも、学ぶことは好きでした。

 だから、私は教養を捧げようと思います。今までの努力とか、嫌いだったものを好きになった気持ちを」


 ロアンは笑った。


「なので、すごく馬鹿になって帰ってくる予定です。あんまりに馬鹿すぎてアステル様のそばにいるのに相応しくなかったら、ルーキスさんに殺してもらえたら」


 ルーキスは思う。ロアンの選んだ魔物は長命種だが、教養を代償として捧げてしまったら、長く生きても人の形をとったり、喋ったりすることができないのではないか? と。アステル様と、もう、会話することができないのでは?

 それを指摘すると、ロアンは言った。

「まあ、そうですね。でも、他に私は、捧げられるようなものを何も持っていないので……。

 私は長くおそばにいられて、アステル様を支えたり、守ったりできれば、それで良い」


 ルーキスは考える。

(ルアンくんが会話できなくて構わなかったとしても、アステル様がそうであるとは限らないのではないか?)


「私には、犬がお似合いですよ。

 人間のときだって、犬のようなものだった」

(そんなことはない、)

とルーキスは言いたかったが、魔物になるには強い想いが、願いが必要だ。犬になりたいと本人が願っている以上は、犬になるのが一番良いのかもしれなかった。


ーーーーーーー


 70歳になる前に、ロアンは出かけて行った。初夏のことだ。出かける前の日、ロアンはアステルと川に釣りをしに行った。

「おじいちゃんになってまで、ミーロじゃなくてぼくとふたりで遊びたいだなんて、ルアンは本当に仕方ないんだから」

 アステルは、嬉しそうに笑った。

 ロアンは幸せだった。


 アステルは何も知らされておらず。

 翌朝、日がのぼる前に、リアだけがロアンの見送りをした。


「ちゃんと帰ってきてね。ダンジョンで野垂れ死なないでね、おじいちゃん」

「ええ、もちろん」


 リアは手作りのお守りを、ロアンに渡す。

 すごく上手な、丁寧に刺繍も入ったタフィのお守りだ。12歳のリアが作ったお守り(ニフタ人形)とは雲泥の差だ。


「テイナが生きていたら、きっと貴方にこうしてあげたかったはず。刺繍を私に教えてくれたのは、テイナだもの。だからこれは、私とテイナ、ふたりからの分よ」

「ありがとう、リア」

 懐かしい模様の刺繍を眺めながら、ロアンは微笑む。


「犬のごはんを用意しておくわ」

「上等な肉を用意しておいてください」

「贅沢な犬ねえ」

 リアおばあちゃんは呆れながらも、ロアンおじいちゃんとハグをする。


「もう言葉を交わすことはないかもしれないが――また会いましょう、リア」

「ロアン、またね」

 去る後ろ姿に、リアはちいさく、手を振った。


 声が聞こえないくらいロアンの背中が遠くなったとき、リアは、祈るようにぽつりと呟く。

「どうか無事に帰ってきてね」


(ロアンがいつか、魔物になる選択をするのなんて、わかりきっていたわ。でももう、あの憎まれ口を聞くこともないのかと思うと……寂しいわ)



 リアはアステルに、ロアンは旅行だとはぐらかした。1〜2週間たち、はぐらかしきれなくなって、ルーキスがいる席でアステルにちゃんと説明すると、アステルは「なんでぼくに教えなかったの」と激昂した。しかし、グレモースの洞窟は一人でクリアする必要のあるダンジョンだ。アステルに教えたら、ついて行って助けてしまうとルーキスもリアも思っていたのだ。



 ロアンは半年も帰ってこなかった。まさか失敗してしまったのかと、不安に駆られていたころ。


 陰鬱屋敷の庭でアステルが果物をとっていると、一匹の子犬がアステルの足元にまとわりついてきた。紺色の毛並みの可愛い子犬(子オオカミ)だ。

 アステルには、すぐにわかった。


「ルアンだ!」

 アステルは果物の入ったカゴを取り落とすも、果物はそっちのけで、子犬を抱き上げた。子犬は嬉しそうにもふもふした尻尾を振った。

「ルアンだよ! ぼくが見間違えるはずがないよ!」

 アステルも嬉しそうだ。


「ルアンは死んでしまったわけじゃなかった、成功して、可愛い魔物になっちゃっただけだったんだ!」


 アステルはリアを呼んでくる。

 リアも、子犬の帰還を喜んだ。


 子犬はアステルには嬉しそうに擦り寄るが、リアのことを同じ扱いはしない。リアをチラッと見て、ツーン、と子犬はそっぽを向いた。


「ある程度の記憶は、残っているのかもしれないね」

 アステルはすごく嬉しそうだ。

 リアは、リアにはツンツンしている子犬を無理にアステルの腕から抱き上げようとする。

「わう!」

「ああ、シンシア、気をつけて! きっとルアンは、噛み付くよ!」


 それからまたリアとアステルは、犬になったルアンと一緒に、家族になって暮らした。

 ルアンはルーキスの話によれば教養を失っており、確かに本を与えても(???)という様子で、あんなに好きだった物語を読み聞かせても、あくびをしていた。

 しかし犬としては大変利口で、歳を重ねて弱っていくリアを支えるアステルの支えになってくれた。そしてその先、シンシアを探し続けるアステルを支える手のひとつにもなった。


ーーーーーーー


 リアがおばあちゃんになってから、90歳くらいまでのあいだ。リアにせがまれて、たまに、アステルはリアに若返りの魔法をかけることがあった。たまに、だった理由は、体に負荷が強い魔法だったためだ。

 しかもアステルがその魔法をかけると、リアは何故か10歳〜12歳くらいの姿になってしまうのだった。リアとアステルは、リアがウィローと過ごしていた頃の身長差だ。


「どうして20歳くらいにできないの?」

 幼い姿のリアは、赤い頬を膨らましている。

「12歳じゃ、恋人としては幼すぎるわ」


 アステルは微笑んで可愛らしい姿のリアを見つめる。


「でも、体が軽いでしょう?」

「そうね!」


 タフィの村人に見つからないように、夜に2人はデートをする。

 

 月の綺麗な夜に。またアサナトスの花畑に忍び込んで。白いワンピースで、嬉しそうに走りまわったり、踊ったりするリアの姿を、アステルは幸せそうに見つめる。


「お姫様、ぼくと踊っていただけますか?」

「ええ、もちろんよ、アステル」


 ふたりは月夜に、ワルツを踊る。


ーーーーーーー


 リアは118歳でその生涯を終えた。

 最後にアステルに遺した言葉はこうだ。


「アステル、私を見つけてね」


 その言葉は何よりの呪いになって、魔王様を縛ってしまったが、それはまた、別の物語だ。


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