アステルおじいちゃん
アステル237歳 (見た目は20歳)の秋。
魔物と人間の混血である青年ミミは、魔王城を訪ねる。肩より少し上で切り揃えられたふんわりとした髪は、暗いところでは小麦色に見えるが、光が当たると珊瑚色に見える。横髪の後ろだけが長く、それを三つ編みにして後ろで束ねている。伝承にあるエルフに近い耳の形をして、青緑色の瞳だ。
ミミは深緑色のローブを着て、城内を歩く。
読書が好きな祖父の住む魔王城は、その三分の一ほどの部屋が人間の本で埋め尽くされている。そのためミミは魔王城を、図書館がわりに利用している。
勝手に城に入り、勝手に本を返し、新たな本を持っていこうと本棚に木のハシゴを立てかけて登る。城内のことは祖父に筒抜けなので、許可をとる必要はない。
しかしミミはこの日、本を選んでいる最中に、何者かにハシゴをガタガタと揺らされた。
「あわわ」
何かと思い下を見ると、白く可愛らしい猫がハシゴに擦り寄っている。いたずらごころからのようだ。
(まずい! 最悪!)
ミミは肝を冷やす。ハシゴが倒れて、白い猫が怪我でもしたら大変だ。
『白い生き物に触るべからず』
魔王城の、鉄の掟である。
祖父である今代の魔王 アステルの機嫌を損ねる前に、『おじいちゃ〜ん!』と助けを求めようとミミが声をあげようとしたとき。
「だめじゃないか、シンシア!」
パッとその場にアステルが現れて、白い猫を抱き上げ、ミミのハシゴを魔術で止めた――床にナナメに固定した。
アステルがホッとため息をついたのは、猫の無事を確認したからだ。ミミじゃない。孫のミミは、ナナメになったハシゴの上で大変なことになっている。
「やあ、ミミ。いらっしゃい」
アステルは猫に怪我がないかを確認してから、魔術でミミを救出し、床に下ろした。
にゃあ、とアステルの腕のなかで白い猫が機嫌良さそうに鳴いた。猫は、青みがかった灰色の瞳を細める。
「アステルおじいちゃん、本を借りにきたよ」
アステルは金色の髪をミミと同じくらいに伸ばしている。髪が数本、ふわっと謎の跳ね方をしている。ミミと同い年くらい――人間の20歳前後に見えるが、不老不死で、200歳を超えているはずだ。
「ミミ、きみの入れる場所であれば、どうぞご自由に」
アステルは愛しそうに腕のなかの白い猫を撫でている。
(本当に怪我させなくて良かった)
ミミは心の底から思う。
祖父は祖母を傷つけた者に対し、容赦がないからだ。
「今はその猫が、おばあちゃんなの?」
「そうだよ」
アステルは、ミミに微笑む。
「今のシンシアは、いたずらばかりするんだ……でも、そんなところも可愛いのだけれどね」
ミミは、祖母はシンシアという名前だと知っている。人間だった時代に会ったことはない。ミミが生まれたのは、祖母が亡くなったあとだからだ。
「おじいちゃんはすごいね。いつもおばあちゃんを見つけてくる。流石、魔王様って感じだ」
「まあね。でもぼくは、魔王をやっているだけで、人間だけれどね。便利だから、魔王城に住んでいるだけの……人間だよ」
ふわ、とアステルはあくびをする。
ミミは祖父が、自分を人間だと言い張っているだけの『自称 人間』と知っているので、とりあわない。人間になりたいという気持ちは、よくわかるのだが。
ミミは祖父のあくびを見て、言った。
「暇そう」
アステルは心外そうな顔をした。
「暇じゃないよ。魔王の仕事のほかに、古今東西の物語を集め続けているし、魔術の研究もあるし……家庭菜園も忙しい。とれた野菜で美味しい料理をつくったりもする。ミミ、きみがひまなら、手伝ってほしいことが山ほどあるよ。
シンシアが転生するたびに、見つけてここに連れてくるのも、大仕事だし……」
ミミは祖父の腕のなかの可愛い猫を、チラッと見た。
(猫かあ)
少なくとも十年は、祖父が安定するのかな、とミミは考える。蝶などの短命の生き物に転生したときよりはよっぽどマシだ。
(今度のおばあちゃん、長生きしてください!)
ミミは心のなかで、猫に祈る。
この先、十年〜二十年の魔国の安寧はこの猫にかかっているからだ。
今代の魔王アステルは、賢王として名高い。積極的に魔物の勢力を広げようという気はないが、魔物たちがこの大陸で強かに生き延びるための力をつけさせてきた。なにより、人間との安定した関係を築けているのが大きい。人間と魔物の仲良し教であるところのタフィ教も、地道に布教を続けてきた。
しかし、今代の魔王アステルには魔物たち(特に身内)のみが知る大きな弱点があった。それは、妻のシンシアを溺愛しており――妻に関することに対して、ひどくネジが外れていて、狂い続けているということだ。
もともと人間であったシンシアは、『アサナトスの花』を長期的に服用したことで、いろんな生き物に転生を繰り返す存在となった。
アステルは各地で転生した妻を見つけては、魔王城に連れてきて、妻として愛でることを繰り返している。
しかし、アステルはシンシアが亡くなるたびに心のバランスを崩す。アステルの持つ膨大な魔力も一緒にバランスが崩れるため、魔国全体に大雨が降り続いたり、雷が落ち続けたり、竜巻が起こったり、作物が不作となったり、とにかくシンシアが亡くなると毎回大変だ。アステル自身も食事を拒否して地下にこもってしまったこともあるし、精神的なものからくる高熱に伏したり、アステル以外が誰も理解できない謎の研究に打ち込んだこともある。
転生したあとも大変だ。アステルがシンシアを探し、連れてくるために魔王城を長期に渡り、あけてしまう。配下の魔物たちはアステルのシンシアへの愛に、振り回され続けているのだ。
何の生き物でも良いので、シンシアがそばにいてくれさえすれば、アステルは安定し、良き魔王様でいてくれるのだが。
一度、シンシアがミミズに転生したときに、魔王城内で事故で死んでしまったときなんて本当に大変な事態となったため、『魔王城内に白い生き物がいたら、触るな』は絶対に絶対の掟なのだ。
(アステルおじいちゃんは、素晴らしい魔王様なのに、おばあちゃんに本当に狂っている……愛妻家すぎる……っていうのが、おじいちゃんに対する一般的な魔物の評価だよ……)
人間のシンシアに関しては、あまり記録が残っていない。タフィのコミューンに住んでいたようで、タフィ教のタフィ様と同一視する声が多いが、昔から魔王城勤めの魔物はなぜか「聖女」「聖女コワイ」と呼んだりもする。よくわからない。
アステルに聞くと「素晴らしいひと」「とんでもないひと」「突拍子もないひと」「つよい」とふんわりした答えしか返ってこない。
(ボクは一度、幼いころに詳しい話を聞いたことがある気がするんだけど……でも、幼すぎて忘れてしまったんだよね)
アステルは窓辺の椅子に腰掛けて、幸せそうに猫のシンシアを撫でている。あたたかなひだまりで、のどかな時間をすごしているふたりを見ながら、ミミは祖父に聞いた。
「おじいちゃんは、おばあちゃんがいつか、もう一度、人間に転生したらどうするの?」
アステルは、魔物らしい表情で笑った。
「もちろん、生まれたその日にさらってくるつもりだよ」
「おじいちゃんは、やっぱり人間じゃないや。
魔物だって、ボクは思うよ」
ミミは呆れたように、愛妻家の祖父と妻の白い猫を眺める。
「ミミ。自分が何者であるかなんて、心の持ちようひとつなのさ」
背中を撫でるうちに眠ってしまった猫のシンシアを愛おしそうに見つめながら、アステルはミミにそう教える。