23) 愛しさだらけ (後章最終話)
アステルは、夢をみる。
魔王城の池の夢だ。
目の前にイリオスの背中がある。
(そうだ、それでいい)
アステルは、両手を伸ばす。
(それでみんなが助かる)
アステルはイリオスの背中を押す。
友人は、暗い池のなかへと落ちていく。
明け方、アステルは泣きながら目を覚ます。
寒くて怖くて苦しくて、助けを求めて恋人の部屋へ行くと、リアの毛布に潜り込む。
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リアは、夢をみる。
リアが、寒くて暗いところでひとり、死のうとしているときに、ロアンが駆けつけてくれる夢だ。目は見えないのだが、足音と声でロアンだとわかる。リアを抱き抱える体はあたたかくて、リアは(もう寒くない)と感じる。けれど――他の誰かを待っていたような、と、寂しく、悲しくもなる。
起きたときの気持ちは、せつないけれど幸せな夢だ。ひとりで死なずに、ロアンが駆けつけてくれる夢は。
しかし、目が覚めてきて。
我に返ると、リアは拗ねる。
(なんで、ロアンなの! アステルが良いわ!)
ウィローの記憶をすべて読んだあとから、リアはそんな夢を見ることがよくあった。
笑い話として話すと、ロアンは驚いた顔をした。聞けば、アズールの家で昔、ニフタがロアンに見せた夢も同じ内容なのだという。
「調べたら、ニフタは家の中をまわって、他のひと同士の夢をつなぐ性質があるそうなんです。だから、おれの夢は、ウィローの記憶からきた夢だったと思うんですよね」
(私の見る夢も、読んだウィローの記憶の影響だわ)
でも、シンシアが亡くなる場面を、ウィローは知らなかった。ウィローは、シンシアを看取らなかったことと、ルアンとシンシアの結末を知ることができなかったことを悔いていた。
(私の……シンシアの、願望なのかしら?)
リアには、そうは思えなかった。
今や、リアにとって、ロアンは誰よりも信頼できる人間だったからだ。
(ウィローは、ルアンがシンシアを助けたかどうかわからないって思っていたようだけれど――助けたに、決まっているじゃないの)
リアは、ルアンはシンシアの死体とともに、スペンダムノスのウィローの木へ行ったと、確信めいた気持ちを持っていた。ルアンはシンシアを、アステルとの約束の場所に連れて行ってあげたに違いないと。
だって、ルアンはロアンだからだ。
リアがそんなことを思いながら、そこそこ男前なロアンの横顔をじーっと見つめていると、ロアンは怪訝そうにリアを見た。
「なにか言いたげですね、リア」
「愛しているわ、ロアンお兄ちゃん」
「は? なんか変なもの食べました? まったく……」
悪態をつき、去るロアンの照れた後ろ姿を、リアは笑って見つめる。
リアは、アステルに『話す』ときに――結末がわからなかったとは、伝えなかった。
ルアン・カスタノは、亡くなったシンシア姫を助けたのだと、アステルにそう物語った。
アステルは、それを聞いて満面の笑顔を見せた。
「さすが、ルアンだよ!
ルアンはぼくの、最高の親友なんだ!」
ーーーーーーー
その朝も、リアはロアンに助けられる夢を見て――あたたかいな、と思う。やけに、あたたかい。むしろ、熱いくらいだ。だれかが、リアの体をうしろから抱きしめている。リアは、ハッとする。アステルがまた毛布に潜り込んできたと気づいて。
アステルの腕から抜け出そうと、リアがもぞもぞしていると、アステルはリアをぎゅう……と抱きしめ直した。毛布の中で。
「おはよう、シンシア」
「アステル、なんで私のベッドに入っているの?」
「家のなかにニフタがいるんだ……また、悪夢を見たよ」
リアは寝返りを打ち、アステルに向き直ると金色の髪に触れる。相変わらず、妙に跳ねている。
「ニフタはいないわ。私は良い夢を見たのよ、アステル」
「ぼくの夢?」
「いいえ、ロアンの夢よ」
「あ! わかった、ルアンにいじわるする夢だね」
アステルは冗談を言い、すこし笑う。リアはその笑顔に、ホッとした。アステルの悪夢の内容を知っていたからだ。
一周目のアステルは「またね」とリアに言ったが、あれから、一度も出てこない。
魔王アステルが友人を封じ、呪いを獲得したことで――彼は、自由になれたのかもしれない。願いを叶えて、ウィローの木の下に行けたのかもしれない。
(だとしたら「またね」って、どこで会おうってことなのかしら)
ウィローの木の下で? 天国で?
リアにはわからなかった。
「ご褒美」の魔術計算式は、アステルの机のなかに、封筒に綺麗におさめられて入っていた。その計算式の筆跡を見ると―― 一周目のアステルに、ウィローに会えるようにも、リアは感じた。
恋人のアステルは『太陽の光を防ぐ魔法』の計算式を見て(難しすぎる〜)と目をバッテンにしていたが、チャレンジ意欲も燃やしていたので、いつかは解読できるだろう。
「そういえば、今日はルアンの家に行くんでしょう? 赤ちゃんを診にいくんだ。ぼくも、行って良い?」
「もちろんよ。一緒に行きましょう、アステル。ロアンも喜ぶわ」
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テイナがふたりめの子を生んで、ひと月が経った。今日は健康観察のための往診だ。ふたりめは、茶色のくりくりの髪に、薄茶色の瞳でテイナにそっくりな女の子だ。髪質は、ロアンに似たようだ。
リアは丁寧に診察して、「元気ね、順調よ」とテイナに声をかける。その様子をアステルはうしろのほうで、ロアンと一緒に見ていた。
リアが診察を終えてアステルを呼ぶと、アステルは赤子を「かわいい」と言うが、少し距離をとっている。
(ぼくが触って良いのかな?)という顔だ。
あまりにもちいさな生き物を目にして、珍しく、巨大な力を持つ魔王であるのを気にしているようだ。
「アステル様も来てくださるなんて、思いませんでした。どうぞ、赤ちゃんを抱っこしてください」
赤子を抱くテイナは嬉しそうに、アステルに赤子を渡そうとする。タフィ教徒にとって、魔王に赤子を抱いてもらうなんて、たいへん名誉なことに違いない。
「え!? アステルに抱っこさせるの? 首のすわっていない赤ちゃんを!? 怖いわ!」
「ぼくも怖いよ! 壊しそうで!」
リアもアステルも恐怖しているが、テイナとロアンは顔を見合わせて笑う。
「大丈夫、アステル様。何事も経験ですよ」
ロアンはアステルを椅子に座らせると、赤子の抱き方を教える。リアはハラハラするし、アステルも緊張しているようだが、アステルはロアンから赤子を腕に受け取る。
赤子の不安定な首を、アステルの腕が支えている。
「あったかい ふにゃふにゃで やわらかいね」
目を閉じて眠る小さな赤子を、アステルは慈しみ、見つめて、触れる。
(きみも、生き物なんだね)
アステルと赤子の触れ合うのを見て、ロアンはとても幸せそうだ。リアはジトっとした目をロアンに向ける。
(ほら、強がってたけどやっぱりアステル不足だったんじゃない)
リアが、最近ロアンが仕事や家のことが忙しくてアステルに会っていないのに気づいて、アステルを連れていっても良いかと聞くと『アステル様、忙しいのでは』となんとロアンは遠慮してきた。
クレム大聖堂事件や旧エオニア城の前後、思春期で機嫌の悪いアステルと、過保護なロアンはなんとなくぎくしゃくしていたようだ。
(アステルはけろっとしているのにね)
まあそれも、ロアンがアステルを大切に想う気持ちのためなのかな、とリアは思う。
「アステル様もいずれ、父親になりますからね」
幸せそうなロアンを見ながら、リアは気づく。
(ロアンって、私とアステルの子どもをすごく構ってきそう……困った兄さんだわ)
愛しい妹分と愛しいご主人様の子どもなので仕方がないのだが。
(こうなったらロアンの手に負えないくらい、すごく強い魔物を生むっきゃないわ!)
そんな馬鹿げたことをリアがつらつら考えていると、赤子から離れたアステルがやってきた。
ロアンとテイナが嬉しそうに何か話しているのを離れたところで見ながら、アステルは呟く。
「ぼく、赤ちゃん欲しかったんだ」
「え!?」
アステルはリアの驚きように、逆に驚いたようで、真剣になり伝える。
「もちろん、シンシアの赤ちゃんだよ」
「え!?!? そういう意味で聞き返したんじゃないわ!」
「……ああ、ええっと。たぶん、ウィローの記憶だよ」
リアは、ホッとする。ホッとしたあとで、自分で自分の両頬をペチ、とたたいた。
(ホッとするなんて、私ってなんって意気地なしなの……)
リアは、スペンダムノスのボートの上でのウィローとの会話を思い出す。もう10年近く前の記憶だ。
「そういう想いがあったから18歳で、私のことを『娘のように思っている』だなんて言ったのかしら。
今となっては、わからないことだけれどね」
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アステルの19歳の誕生日。
ふたりで、タフィの村の広場で春先に咲く黄色の花をお花見をしていたら、「魔王様」「タフィ様」と村のみんなが差し入れをくれるので、たいへんな騒ぎになってしまった。
みんながお花見をはじめるので、広場は小さなお祭りのようになった。リアが村で作った果実酒をすすめられるのをアステルが断る。村人がかなしそうな顔をするので、アステルが飲む。村人は「魔王様が飲んでくれた!」と大喜びだ。
歌って踊る、楽しそうな村の人たちの笑顔を眺めながら、アステルはリアの指先をそっと握る。
「シンシア」
「え? なに?」
リアが振り向いたとき、アステルとリアの姿はもう村の広場にはなかった。
アステルは、魔王城近くの花畑に転移する。春先のこの時期に、珍しい花がたくさん咲いている場所だ。
リアの黒い瞳が、きらめく。
「すごく綺麗!」
「そう。シンシアに見せたかったんだ」
薄い水色や、白や、青の花が咲く花畑には、魔物の姿もなかった。ふたりきりだ。
(アステルが入らないようにしているのかしら?)
花は、風にそよそよと揺れるものもあれば、地面の近くで咲き誇っているものもあった。
アステルはリアに向き合い、両手をつなぐ。
「ねえ、シンシア。来年の今日だよ。
ぼくと結婚してくれる?」
「アステル。もちろん、よろこんで」
リアは、微笑んで頷く。
「じゃあ、練習しよう」
「え!? 1年も前から練習するの?」
「だれもいないから、良いでしょう?」
アステルは跪いて白い手をとると、口付けるふりをしてリアを見上げた。
「愛しているよ、シンシア。
きみのために、ぼくの一生を捧げるよ」
「アステルの一生って、すごく長いんじゃなかった?」
リアがびっくりして聞き返すと、アステルはふんわりと笑った。
「そうだよ。ぼくの悠久なる時を、きみにあげる」
リアは、どういう意味だろう、と考える。
そして返答しなければならないと気づき、言葉を返す。
「私も、愛しているわ、アステル」
アステルをまっすぐ見つめたあとで、リアは目を泳がせる。
「わた、私は何も、あげられるものを持っていないのだけれど……」
リアは目をぎゅっとつむって意を決すると、手を差し伸べて、アステルが立つように促す。
立ち上がったアステルの両手を握り、リアは宣言する。
「でも、アステルの子どもを生むわ。アステルが、ひとりぼっちにならないように。
たくさん子孫を残しましょ!」
アステルはなぜか、ムッとしたようだ。
リアを両腕で抱き寄せると、そのままうしろむきに花畑に倒れ込んだ。
「きみじゃなきゃ、意味ないよ!」
「わ!」
白と青の花びらが舞い散るなかで、アステルの体の上で、リアは起き上がる。アステルも起き上がると、リアに口付けをして、愛しそうに笑いかけた。
「でも、子どもはつくろうね」
「え!?」
リアは顔を真っ赤にする。
自分で言うのは良いのだが、アステルにまっすぐに言われると、恥ずかしくなってしまうのだ。
「え!? ってなに。シンシアが言ったんだよ」
「生き物はね、愛しい人と、家族をつくるんだ。魔物も人間も、それは一緒だよ」
「ね? だから、ぼくと家族をつくろうね、シンシア」
「もちろんよ、アステル」
アステルは花畑に座り込むと、リアの体をぎゅーっと抱擁する。リアもアステルに抱擁を返す。
太陽のもとで、青と白と水色の花畑で。ふたりは嬉しそうに、幸せそうに笑い合った。
今からもう、200年も昔の話だ。