22) 罪と罰 そして呪いを得る
カッ カッ カッ
小さな部屋に――石を打ちつけながら、魔法陣を描く音が響く。描かれつつあるのは、非常に美しく複雑な魔法陣だ。床で面積が足りずに、壁にも、魔法陣は広がる。
「本当に、良いの?」
描く手を一旦止め、座り込んだまま、『アステル』はリアを見上げる。
「きみの王子様は、大荒れしている。さっきから体の主導権を奪い返そうと、抵抗して、泣いて、怒って、思いつく限りの悪口をぼくに並べ立てているよ」
「かわいい悪口なんでしょう?」
「それなりに悪い言葉も知っているみたいだ」
「えっ そうなの……?」
相変わらず美しい魔法陣を描く、美しい姿だ。『呪い』であるその人は、リアに説明する。
「前も話したけれど、ぼくができるのは魔法陣を描くところまでだ。ぼくはカタマヴロスの魔力に、直接アクセスすることができない。それができるのは魔王アステルだけだ。
だから描き上げたら、きみの恋人に代わるよ」
「わかったわ」
そして、呪いと願いに満ちた、美しい魔法陣は完成する。
「本当にありがとう、アステル」
「こちらこそ、ありがとう、リア」
アステルは魔法陣を描いた特殊な石を、リアに渡す。『魔王』に奪われないようにするために。
「またね」
アステルの言葉に、リアは微笑む。
壁にもたれかかるように座り、アステルは眠る。
リアは、待っている。
しばしのち、恋人のアステルは、目を覚ます。消えない魔石で描かれた魔法陣を、睨みつける。座り込み、消そうと、手でこする。消えないと知っていても、消そうとする。手に血が滲み、アステルは怒りのこもった言葉を吐き捨てる。
「こんなの、間違っている」
リアは黙って、アステルを見つめる。
「こんなの、こんなのは、間違っている。ひどいことをされたから、ひどいことを仕返すなんてこと。絶対的な悪なんて、存在しない。絶対に正しいなんてことも、ない。イリオスにはイリオスの願いと想いがあるはず。それがあるから、ここへと来たのに」
アステルは魔法陣に座り込んだまま、目の前に立つリアを見上げる。
「シンシア。
イリオスはきみのことが好きなんだよ。
それなのに」
「だから、何?」
リアは、じっ……とアステルを睨み返す。
「あの人はアステルを封印することを願っている。あの人は私を殺めることを願っている」
「……ぼくは、イリオスの願いは、きみの願いを叶えることだって、そう思う」
「じゃあ、良いじゃない」
リアは魔法陣を指さす。
「私の願いは、ここに詰まっているわ」
恋人の残酷な言葉に、アステルは黙り込む。
「アステル。前に言ったように――燃えた花が私になるか、イリオスになるかのどちらかなの。どちらもなんて、選べないわ」
「一周目がそうだったからって、二周目もそうとは限らないじゃないか。ぼく……あと少しで、イリオスの正体に触れられる気がするんだよ」
アステルは目を伏せる。
「彼は味方になってくれる。そんな気がするんだ」
「いいえ。私の存在がある限り、アステルはイリオスと本当の友人にはなれないわ」
アステルは、ふたたび黙り込む。
リアは静かな声で、アステルに告げる。
「……私たちが何もしなかったとしても、魔国に来た時点で。フォティアという武力を貴方に奪われた時点で。無事に生きて帰れると思う?
ここは、あの人に復讐したい人だらけの土地なのよ。でもそれは、自業自得だわ」
「逆にいえば、あの人が今、命があるのは――皆、『魔王アステルがあの人から民を守ってくれる』と思っているからでしょう」
アステルは、タフォス村のことを思い出す。
あの村の火事に気づいた時の、失望する気持ち。雨を降らせ続けたときの、ひどい気分。それから、雨上がりにイリオスを見かけたときの、やるせなさを。
村の火事が起こる前。旧エオニア城での約束を反故にされていると知ったときから、どうしようもない気持ちがあった。クレム大聖堂で、アステルがイリオスの命を救ったことで――命を奪われた者がいるという事実。あのときイリオスが死んでいたら――タフォス村はおそらく燃えていない。故郷を失った者も、でていない。
「アステルの理想、アステルのつくりたい国――人間と魔物の共存と平和――あの人は、それに最も反している存在だわ」
アステルはイリオスのことが、アステル個人としては、好きだ。
しかしながら、リアの言い分はもっともだった。魔物の、魔国の王様としてのアステルの一番の敵は、現状、イリオスなのだ。
アステルは涙をにじませ、リアを睨みつける。
「理想のため、大義のためなら、友達を痛めつけて良いとでも、いうの?」
アステルは魔法陣を端から端まで眺める。
「封印するにしたって、もっと穏やかな方法があるはずだ。こんな――こんな残酷な手法をとる必要がどこにある?」
「アステル。でもこの魔法は、あの人にとって、救いになるかもしれないわ」
「救い?」
アステルは目を見開く。
「これが? こんな悍ましい魔法が? 救いだって?」
「こうでもしないと、呪いにならないわ」
「呪い……」
「この魔法陣は、2人分の呪いになり得るものよ」
アステルは、リアの言葉の意味を理解する。
「アステルひとりに、背負わせる気はないのよ。私も一緒に、背負っていくから」
リアはしゃがみこむと、アステルと目線を合わせる。アステルの震える両手を、リアは握り、懇願する。
「アステル、お願いよ。
私と生きることを、選んで」
「そして呪いを得て。
人と魔物を守る、魔王になるの」
アステルは、しばし呆然とリアの顔を見つめ――リアにキスをする。
そのあと、顔を伏せて目をつむる。
しばらく、そうしていた。
しかし心を決めると、ゆっくりと目を開き、リアに願った。
「シンシア、この魔法陣を描いた石をかして」
「……何をする気なの?」
「この魔法陣に、ひとこと、ぼくの言葉を付け加えさせてほしい。魔物は自らの願いでなければ、魔力を使えない。だから、ぼくの願いも、ここに足す」
リアは怪訝な顔をして、アステルから手を離そうとする。その手を、今度はアステルが握り直した。
「ぼくを信じて、シンシア。
ぼくはきみたちの復讐を、もう、邪魔しない。イリオスの自業自得であることは、よくわかったよ。
でもこれがぼくたちの呪いになると、きみが言うのなら。その確実性を高めさせてほしい。ただ、それだけなんだ」
「わかったわ」
リアは、アステルが美しい魔法陣を穢すことを許す。リアから石を受け取ると、アステルは、本当にひとこと、書き足し。リアにすぐ、石を戻した。
アステルは、深呼吸する。
そして魔法陣に手を伸ばし、魔力を、流した。