11) 分断とクッキー
「あれかな?」
馬車の窓から見える古城を、アステルが指さす。
「あれがきっと、イリオスの家だね」
ルーキスに書いてもらった転移魔法陣でエオニアへ行き、待ち合わせ場所で待っていると馬車がやってきた。馬車に揺られ、ロアン、リア、アステルの3人は旧エオニア城へと向かう。御者の目と耳を気にして和やかに過ごしているが、3人とも緊張している。
リアはエルミスに「貴族の家に招待を受けた」とだけ話し、3人の服装を見立ててもらった。リアはフォーマルな白いワンピースを着ている。ロアンは茶色のスーツ、アステルは灰色のスーツを着ている。
ロアンは敵に情報が知られていないため、護衛ではない従者のふりをしようという話になっている。ルーキスはどうしようもなくなったときに助けに来てくれる予定で、魔物たちは後方待機だ。
リアは髪の横の部分だけ三つ編みにして、青い魔石のついたバレッタでうしろにひとつにまとめ、束ねている。バレッタは、かつてウィローに買ってもらったものだ。大事な白いリボンは外して、神聖医術院の机のなかだ。リアは髪の後ろに手を伸ばし、指先で青い魔石に触れる。
(私とロアンは、死なないこと。
アステルは、封印されないこと)
今回の訪問は、敵の情報を持ち帰れたら上々だと3人は考えていた。ロアンとリアは、十中八九、相手は攻撃にでてくると考えていたので、そうなれば無力化したい意思があったが――それが可能と思われるアステルに、おそらく、その意思がない。
城の門を馬車がくぐる。
瞬間、馬車が変な揺れ方をして、ロアンはとなりにいたリアにぶつかり、馬車の壁に手をつく。壁とロアンの間にリアがいる。
「ちょっと!」
「ごめん、リア」
(あれ?)
アステルは、呆然とする。
馬車にはいつのまにか、アステルしか乗っていない。
ーーーーーーー
ロアンとリアはぶつかった直後の状態のまま、古い城の庭に転移する。押し倒しかけているような体勢だったが、ふたりともそのことはどうでもよく感じた。
古いが見事な噴水があり、ふたりはそれを眺める。
「予想通り、分断してきたわね」
「そうですね」
ロアンは引き起こすとき、小柄なリアの手をぎゅっと握った。お互いの無事を確認するように。
「でも、この組み合わせは予想外です。おれだけ除け者になるかと思っていました」
庭に、聖騎士3名とイリオスがやってくる。イリオスは一瞬、見知らぬ男と手を繋いでいるリアに驚くも、優しく微笑んだ。
「ご挨拶させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ」
リアはロアンから手を離し、イリオスに向き直る。
「イリオス・アハーティス・アルデンバラン・カタレフコスと申します、聖女様」
「シンシア・ラ・オルトゥスですわ、イリオス様」
リアは、美しいカーテシーをする。
顔をあげたリアの瞳は黒く、イリオスの紫色の瞳を射るように見上げる。
「私の恋人がいないのですが、ご存知ないですか?」
「ああ……門から城までが遠いので客人を転移させる魔法陣を張っているのですが、魔物には効果がないのです。アステルはのんびり来ると思いますよ」
イリオスは悪びれず、柔らかく微笑む。
(何が友人だ、こいつ)
ロアンは馬車にひとりで残されたアステルのことを想像して、怒りを覚えるが、リアの目配せに冷静になる。
「ところで、そちらの方は――どなたでしょう?」
「シンシアの兄です」
ロアンの言葉に、リアは驚いて『兄』を見上げる。
(ちょっと、打ち合わせと違うじゃない!)
(この状況ならこのほうがいい)
ロアンはリアに目配せをする。リアも、『兄と言えばリアのそばにいられる』とロアンが考えたことを察する。
「兄? シンシア様にお兄様がいらっしゃるとは初耳です」
「おれは、育ての兄です」
「そう、私のお兄様ですわ」
しおらしく話をするリア。
「そうですか。おふたりとも、ようこそいらっしゃいました」
イリオスは、ふたりを案内しようと歩き出す。
「どうぞ、中へお入りください」
ーーーーーーー
リアとロアンは応接室に通され、上質なソファーに座る。一時的に、扉の前には見張りがいるが、室内にはふたりだけとなると……ロアンは声を出さずに笑っている。リアは睨みつける。
「何? ロアン」
「淑女のように振る舞うリアがおかしすぎて……」
執事がきてティーカップにお茶を注ぐ。ふたりはルーキスから食べ物に手をつけないように言われているため、飲まない。
聖騎士3名を伴い、イリオスが部屋に入ってくる。
「さて、シンシア様のお兄様にお願いがございます。私は聖女様と、ふたりでお話をさせていただきたいのです」
ロアンは(絶対に嫌だ)と思うが、リアはロアンの手にそっと触れる。リアの目が(信じて)と言っている。ロアンは目を瞑る。
「手短に頼みます」
イリオスはリアを連れて部屋を出ていき、聖騎士のうち1名はそれについて行く。2名は部屋に残ったままだ。
ロアンはお茶を飲むふりをする――と、聖騎士のうち1名がロアンの背後をとり、頭に手に置く。ロアンの頭をテーブルに打ちつけようとしたようだ。ロアンはその前に勢いよく立ち上がり、聖騎士は顎を打ったようで、よろめく。
「いやあ、ありがたいなあ」
もう一人の聖騎士が斬りかかってきたのを、ロアンは隠し持っていた短剣で受け止め、払う。
「暴力ありってことですね? おれ、あなたたちの主に、文句がありすぎたところなんで」
ロアンは笑いながら、聖騎士の攻撃に応酬する。
「おれの主を下に見てますよね、あの人」
ーーーーーーー
リアはイリオスとともに階段をのぼり、ある部屋に案内を受ける。ひととおりの家具が揃った、可愛らしい客室だ。白い色で統一されていて、黒髪に黒い瞳のリアには似合わない。
部屋には厚手のカーテンが下がっていて、閉まっている。陽の光は入らず、魔石の灯りで照らされる部屋だ。
(この部屋に幽閉でもするつもりなのかしら?)
イリオスは部屋の中ほどで立ち止まると、銀の髪を揺らして振り返る。
「さて、シンシア様。私は貴女にお願いがございます」
リアは可愛らしく、首を傾げてみせる。
「シンシア・ラ・オルトゥス様は、白い髪に青みがかった灰色の瞳の姫君とお聞きしています。
貴女が本当にシンシア様であると、証明してください」
「わかりました」
イリオスの前で、リアは青い魔石のついた髪飾りを外す。するとリアの髪は白く、瞳は、青みがかった灰色に変わる。リアは三つ編みにしたあとひとつに結んでいた髪をほどく。白い、くるくるの髪の女の人になる。
イリオスはリアに跪き、その白い手をとり、口付けるふりをした。
「ずっと、お会いしたいと思っておりました」
「私も、ずっとお会いしたかったですわ」
リアは微笑む。
「なぜ?」
手を離し、跪いたままイリオスは聞く。
「お逃げになったではありませんか」
「私は10年前に、怖いアステルにさらわれたのです。ですが彼は魔王になるときに、記憶を失って――ああなりましたの。それからは仲良く暮らせているのですが、彼は、魔物ですわ」
「仲睦まじいものと思っていましたが」
「ええ、今では、仲睦まじい恋人です。ですがいつ、怖いアステルに戻るかと思うと――正直、恐ろしいところもあるのです」
白い髪のリアは、伏せ目がちにそう騙る。
コンコン、と部屋の扉がノックされる。
「イリオス様」
「シンシア様、ここでお待ちいただけますか?」
「はい」
「……信じられないので、その髪飾りを一旦、預からせてはいただけないでしょうか?」
「イリオス様、これは私にとって、とても大切なものなのです。髪の色を変えるだけではなくて、私の身に宿るあらゆる呪いを防いでくれているものなのです」
「そうなのですね。……私を信じていただけるのであれば、一時的に託してほしいだけです」
「……わかりました。信頼いたしますわ」
リアはイリオスに青い魔石の髪飾りを渡す。
「ありがとうございます」
イリオスは微笑むとそれを持ち、部屋を後にする。
廊下で、聖騎士の男がイリオスに小声で伝える。
「イリオス様、シンシア様の兄と名乗る者に逃げられました」
「早急に捕えろ」
「応接室の聖騎士2名、捕らえようとして血を流し倒れていました。兄と名乗っていましたが、シンシア様の護衛であったものと思われます」
「護衛であるなら、何故シンシア様からああも簡単に離れた? 私はもうひとりの客人の相手をするから、その者のことはお前たちに任せる。決して聖女様に近づけるな」
イリオスはイライラとするが、目を閉じて平静を装うと、アステルの元へと向かう。
ーーーーーーー
イリオスが部屋から出たあと、リアは部屋の扉を確認する。鍵がかかり、扉の前には見張りがいるようだ。
リアは天蓋付きのベッドに大の字になる。
(お淑やかなお姫様の役、疲れる〜)
隠し持っていた袋からクッキーを一枚とりだす。アステルが出発前に焼いたものだ。3人とも、クッキーを隠し持っている。
リアは起き上がると、一枚を口に入れる。
(アステルの味がする……じゃなくて、アステルがつくった味がするわ)
クッキーを噛み締め元気を出すと、ロアンとアステルのことを思う。
(ふたりとも、無事かしら。クッキーを食べられるくらいの状況には、いてほしいな……)