10) リアとシンシア、アステルとウィロー
リアはイリオスに返事の手紙を書く。
「アステルとともに、お伺いします」
イリオスから訪問に指定された日は、リアの21歳の誕生日だった。リアは、不愉快だ。
リアの20歳の誕生日も21歳の誕生日も。アステルが心を痛める日であるのをリアは知っている。本来なら祝ってもらいながらも、アステルに寄り添い過ごしたい日だ。
その大切な日を、イリオスのために使わなければならないことが、リアは本当に嫌だった。
何があるかわからないとか命があるかわからないとかそれ以前に。
(私とアステルにとって、大切な日なのに!)
誕生日までひと月半ほどの時間があった。そのうち、ひと月をリアはコルネオーリ城で過ごすことにした。エルミスとミルティアに頼み込んだのだ。
リアはコルネオーリ城に泊まりこんで、ミルティアとエルミス、それから、ふたりが推薦した先生から厳しいマナー講座を受けている。立ち振る舞いから食事に至るまで、叩き込み直しだ。
ルーキスも厳しかったが、コルネオーリ城の礼儀作法の先生はそれ以上に厳しくて、何度もめげそうになりながらも。エルミスの美しい4人の妻に励ましを受けながら、頑張っている。
コルネオーリ城の人たちはリアとミルティアが一緒にいるのを見て(???)といった様子だった。城の人たちはリアのことをエルミスの愛人だと勘違いしているためだ。
リアは朝起きて、鏡を見て(がんばるぞ!)と意気込むときに。鏡の中に話しかける。
「待っていてね。あと少しだからね」
鏡のなかに、不安そうな顔をした長い癖毛の女の子が立っている。
(私はひとりじゃない。ひとりで、ふたり分を背負っている)
リアはぱちん、と両頬を叩いて、にっこりと微笑む。
ーーーーーーー
アステルは、神聖医術院に引きこもっていた。
リアの不在はタフィ村のみんなも知っているので、本当にどうしようもない事態以外は、神聖医術院を訪れない。アステルのご機嫌が悪いのもみんな知っていたからだ。
村の人たちは『タフィ様が出ていってしまって魔王様はご機嫌が悪い』と誤解していた。
旧エオニア城訪問時のマナーを気にするリアに「エルミス兄さんかミルティアかあさまに相談してみたら」と提案したのはアステルだった。リアに一緒に行くか聞かれて、アステルはこう言った。
「ぼくが行ったら幽霊が出るって噂になっちゃう。それに、ぼくにもやることがあるから」
アステルは部屋に引きこもって、研究をしていた。イリオスに借りたままのアサナシア教の教典を読みながら。どうやったら、イリオスやアサナシア教会と友好関係を築けるかを考えている。
しかし、そもそもアサナシア教は魔物を排斥するような教義で、難しさを覚えながら。どうやってアルデンバランの迫害を止めるか。そこから、どうやって友好関係を築くかを考えている。
先日のクレム大聖堂での一件以降、魔物との混血の人間が拐われることが、ピタッと止んでいた。ルーキスたちは、リーダーが殺されかけたので一旦止んでいるのだろうと考え――ここからどうなるか、と様子見をしていた。
(イリオスは、きっと、こわい王様だった)
アステルは、大聖堂や地下牢でのイリオスの振る舞いを思い出す。
(ぼくは、どんな王様になりたいんだろう)
頭を悩ませながら、毎晩、ひとりで眠る。
アステルはもう、魔術計算式を必要としていない。魔術に必要なのは発想と自信、それから自分自身の体内にある魔力を操る感覚だけだ。
しかしある朝、アステルが起きると、部屋の床に魔術計算式を書いた紙が広がっていた。アステルは読めないわけではないので、解読する。
(……気持ちが悪い)
アステルは手にインクがついているのに気がつき――自分の手が、夜中にこれを書いていたと思うとぞっとした。
すべての紙に、攻撃的な意思があった。アステルが思いつきそうもない暗い魔術ばかり。それが書かれた紙が、アステルの部屋の床一面に広がっている。
(気持ちが悪い、吐きそう)
アステルは孤独を感じて、立ちすくむ。
12歳で目が覚めてから、こんなにひとりぼっちだと思ったことはなかった。
いつもシンシアがとなりにいて。ルアンがいて。ルーキスもいて。けれど今、アステルはその誰とも思いを同じにしていなかった。
自分の中にいる何者かとも、思いを同じにしていない。
(でもそれって――普通のことかもしれない。
ぼくはシンシアではないし、ルアンではないし、ルーキスでもない。もちろんイリオスでもないから。
ぼくは、ぼくらしい魔術を使って、ぼくらしい王様になるしかないんだ)
(仲良くなれなくても、何言ってるんだって笑われても。「仲良くしよう」って言えるアステルでありたいんだ)
(ぼくはきみの意思には、抗うつもりだよ、ウィロー)
アステルは魔術計算式が書かれた紙を束ね、まとめると、外に出て。
祠の前で燃やす。灰になるまで。