9) 秘密がばれる
タフォス村で男と別れて、タフィのコミューンにアステルとルーキスが戻ってくる。陰鬱屋敷では、夜遅く寒いというのにリアとロアンが玄関先に座って待っていた。青い顔をしたリアが駆け寄り、アステルをぎゅーっとハグする。
「生きてる……」
「ぼくは死なないよ、シンシア」
「元気な状態で、ってことよ!」
リアは、アステルの体をポカポカと殴る。
「ばか! アステルの大ばか! 何してんの!? 本当に、本当に、アステルが拷問されたかもしれないのよ!? ……されてないわよね?」
「イリオスはそんなことしないよ」
「イリオス?」
リアの顔色が、ますます蒼白になる。
「イリオス・アハーティス・アルデンバラン・カタレフコス?」
「アルデンバラン?」
アステルは聞き返す。
(ぼくですら知らないイリオスの名前を、どうしてシンシアが知っているの?)
陰鬱屋敷のルーキスの書斎に集まり、ソファーに座って4人は話す。リアはじっと真剣な顔でアステルを見ている。ロアンは両手を組み、もうずーっと黙っている。
「つまり、アステルの秘密のお友達は教皇だったっていうこと?」
「そのようです」
ルーキスが頷く。
アステルはイリオスと知り合った経緯を話す。
「あの花、私の部屋にあるわ。アステル、とってきてくれる?」
アステルは指をかざすと、目の前にある低いテーブルの上に保存魔法をかけた花を呼び寄せる。
「ありがとう、アステル。
お父様、調べてくださらない?」
ルーキスが頷き、花を解析して調べ始める。
「ねえ、アステル。この花をもらってきたとき、アステルの手が爛れていたでしょう。
きっと貴方のお友達は、貴方が魔物だって気づいていたと思うわ。わざと貴方の手をあんなふうにしたの」
「え、そんなわけないよ」
「じゃあ貴方はお友達と一緒にいて、体を傷つけたり傷つけそうになること、なかったの?」
「それは、確かに――イリオスと一緒にいるとぼくはよく転んだり、ちょっとした怪我をした。神聖力がこもったものを触っちゃうようなこともあったけれど――でもそれは聖職者なんだから、仕方がないよ。魔物だって話していないぼくが悪いんだ」
ロアンが堪えきれなくなり立ち上がる。
「何、ルアン」
「アステル様、友達をわざと危険な目に遭わせるような人は友達ではない」
「わざとじゃないと思うんだよ」
「いや、わざとだ。アステル様はずっと危険に晒されていた、いつ死ぬより酷い目にあわされるかわからない状況にあった。おれ、本当に、今、酷い気持ちですよ。アルデンバランを殺してやりたい」
「まってまって、なんでそんな物騒な話になるの?」
アステルは落ち着いて欲しくてロアンの服を引っ張る。ロアンはアステルから視線を逸らし、もう一度、ソファーに座る。何か葛藤しているようだ。
「なんでふたりともそんなに深刻な顔なの、そもそも本当にイリオスがアルデンバランなの? 迫害を行っているリーダーが、イリオスだっていうの?」
「そうです」
ルーキスが口を開く。
「アステル様、そうです」
アルデンバラン問題の対応に、ずっと当たってきたルーキスに言われてしまうと、もう反論の余地がなく、アステルは黙り込む。
リアはアステルをさらに混乱させる。
「アステル、アルデンバランはね、ウィローにとってのシンシアを殺した人なの」
「え?」
「だからたぶん、これは恋文」
リアは、手紙を手に持って皆に見せる。
「開けて、読んでみましょう」
しかし、それは恋文ではなかった。
アサナシア教会の当時の代表者として、聖女シンシアの逃亡を許すという旨。過剰な期待に苦しめて申し訳なかったという謝罪。シンシアが望まぬ求婚をし続けたことに対する謝罪。
それから、アステルは友人であるので、友人と友人の恋人を会食に招きたいというものであった。イリオスの屋敷であるところの、旧エオニア城という、今現在のエオニア城からは少し離れたところにある城に。
「これは、罠だ」
ロアンが言う。
「え、何でそう思うの? まともな手紙だって、ぼくは思うけれど……」
ロアンは、イリオスを信じ込んでいるアステルのことが信じられなかった。
(やっぱり友人関係に口を出すべきだった、おれにその権利がなくても)
アステルはぼそ、と呟く。
「……でも、求婚の件ってなに」
「シンシアが0歳から11歳まで、教皇はシンシアに求婚する手紙を毎年、私に送ってきていたのです」
ルーキスが説明する。
「え! イリオスがずっと好きな人ってシンシアだったっていうこと? それは困るよ……」
アステルは目を伏せる。
「ぼくの、シンシアなのに」
アステルは不安そうにリアを見つめる。
「手紙は恋文じゃなかったけど……イリオスは、今でもきみが好きなんだと思う」
「アステル、でも、一度も会ったこともないのよ。会ったこともない人間をそんなに好きって、おかしいとは思わない?」
「なにか事情があるんじゃないのかな」
アステルはあくまで友人として考えるつもりのようだと、リアは察する。そしてそのことに、強い怒りが込み上げてくる。
「0歳から求婚するって普通じゃないよ、やっぱり、何か事情があるんじゃ……」
「アステル様、頭のおかしい人間であることだけは、確かです」
ルーキスがキッパリと断言するので、アステルは困惑する。
「頭がおかしくたって、人間なわけでしょう?」
「ぼくはちゃんとイリオスと話してみたい。どうして混血の人たちに酷いことをしたのか、知りたい」
アステルは、3人の顔をかわりばんこに見つめる。
「シンシアのことも……ちゃんと、ぼくの恋人だから、祝福してって言いたい。まだ諦められていないなら、ごめんねも言いたい」
沈黙ののち、リアが口を開く。
「わかったわ、アステル。招待を受けましょう」
「絶対に反対だ」
ロアンが言う。ルーキスも続ける。
「私も反対です。シンシア、貴女は救われた命を、ドブに捨てるつもりか?」
「いいえ」
リアは黒い瞳で、手元の白い封筒を見つめる。
「でも、このまま逃げ続けるなんて、嫌。アルデンバランにいつ捕まるかを怯えながら暮らすなんて――タフィの結界の中でしか生きていけないなんて、嫌。もし彼にアズールの家が見つかったら、アズールの家を捨てる選択になるのも、嫌」
リアはアステルを見つめる。
「クレムに行って思ったわ。私、もっといろんな景色を見てみたいし、アステルにもいろんな景色を見せたい」
手に力を込めすぎて、リアの手の中で手紙がグシャ、となった。
「でもあの人がいる限り、それは叶わないわ」
アステルはリアの発言を疑問に思う。
(『あの人がいる限り?』 それって――)
「お父様、お花を渡してくれる? 何もなかったの?」
「怪しげな術はかけられていません。毒もなく、ただの花ですね」
「当たり前でしょ、何を言っているの?」
アステルは困惑してリアとルーキスを交互に見る。
リアは花を手に取ると、茎を折る。
「シンシア!」
アステルは慌て、すぐさま回復魔術で花を元通りにする。
「ぼくがイリオスからもらって、きみに渡した、大事なお花なんだよ!」
「アステル、あなた、このお花がアルデンバランだとして、さっき私がしたみたいに、できる?」
アステルは言葉を詰まらせたあと、叫ぶ。
「できないよ! 大切な友達なんだ!」
「でも、私がもしアルデンバランに捕まって、危なかったら、アルデンバランを殺してくれる?」
「……イリオスは、そんなこと……」
しない、なんて言えない。
迫害のリーダーがイリオスという話が本当なら。
(だって、シンシアだって魔物と人間の混血だ)
追い詰められたアステルに、ルーキスがとどめを刺す。
「この花がアルデンバランであれば、私ならこうします、我が主」
ルーキスは魔術で、花を燃やしてしまう。
一瞬で、花は消し炭になってしまう。
「あーーー!!!!」
アステルは立ち上がり、叫ぶ。
「ルーキス、なにするんだよ!!! 大切なお花が!!!」
アステルは回復魔術を使うが、ルーキスがややこしい手順で魔術を行使したようで、もとに戻らない。
「元に戻してよ!!! それか理論を教えてよ、ねえ!!!!」
アステルの魔力が怒りに満ちている。
ルーキスは涼しい顔をしてソファーから立ち上がると、アステルに跪く。
「処罰なら如何様にも、我が主」
リアが告げる。
「アステル。燃える花が私になるか、アルデンバランになるか。どちらかなの」
アステルはソファーに座り直すと、膝に握った手に涙をこぼす。涙があとからあとからこぼれるので、顔を伏せて背を丸める。
ロアンは、今の今までアルデンバランを殺したかった。あの花がアルデンバランだというなら、ロアンも靴で踏み躙りたかった。
しかし、アステルが背を丸めて泣きじゃくる姿を見ていたら、途方に暮れてしまう。
(おれもリアも、アステル様に辛い思いをさせたかったわけじゃないはずなのに……本当に友達だと思っていたんですね、アステル様)
それすらアルデンバランのせいに感じるが、アステルの気持ちを思うと言葉に出すことはできなかった。
アステルは顔をあげる。
「ぼくは、違う方法を探すよ!」
「違う方法って何?」
リアは、静かに聞く。
「もちろん、ぼくはシンシアを愛している。
シンシアが死ぬなんて、絶対に嫌だ。
いつかシンシアがおばあちゃんになって死ぬときのことを考えるだけでも怖いのに……誰かに殺されるなんて、絶対にダメだよ」
「でも、イリオスも、殺すんじゃなくて、なにか……そうだ……」
アステルは明るく輝く、濡れた青い瞳で言う。
「ぼくは、イリオスがぼくの味方になってくれるようにするよ」
アステルの瞳は、正気の色だろうか?
ロアンとリアは、アステルの正気を疑う。
「アサナシア教会のみんなも、ぼくの味方になってくれるようにする」
アステルはニコッとすると、立ち上がり――部屋を飛び出そうとする。アステルの腕をつかみ、ロアンが止める。
「離して!」
「リア、なにか、バケツかなにか!」
「え、え?」
リアが唖然としていると、ルーキスが魔術でバケツを取り寄せてロアンに渡す。
「気持ち悪いなら吐いたほうがいいですよ、アステル様」
「ルアン! ぼくはシンシアの前で、カッコ悪いところを見せたくないんだよ!」
涙目のアステルはロアンからバケツをひったくると、パッと姿をくらませる。
「どうして吐くってわかったの? ロアン」
「アステル様って、精神的に追い詰められると吐くか倒れるかするので……リア、追い詰めすぎですよ」
「同じ気持ちで、立ち向かえたらよかったのに……」
リアは目を伏せる。
「……私の自業自得ね。だけどアステルを思っての選択が間違っていたとしても、結果論でしかないわ」
リアはそうつぶやいたあと、ロアンとルーキスに宣言する。
「私、ひとりでも立ち向かうから」
リアの意志の強さを知っているロアンとルーキスは、困り果ててしまう。