6) イリオスの旅路
はじまりはアズールの街で、聖騎士5名が消えたことだった。そのうち2名がまったく違う国で発見されたが、信仰をもちながらも急に女神アサナシアを罵倒するという呪いにかかっていた。
この件は当時の教皇イリオス・アハーティス・アルデンバラン・カタレフコスにも報告としてあげられ、イリオスが興味を抱いたために、そのうち1名がイリオスのもとに連れてこられた。
訪問時、元アズール聖騎士隊 隊長のサンノスは急にアサナシアを罵倒しはじめ、それからイリオスをも罵倒した。罵倒しながら、新たな魔王を讃えるような台詞を吐いたあと、『新たな魔王が怒っているから聖女の墓を暴こうとするのをやめろ』とさんざん怒鳴り散らして、鎮静の魔法をかけられて怒鳴るのをやめた。
その場には、サンノスの言葉の意味のわかる者と、わからない者がいた。そして教皇イリオスのみがその真意を理解した。
聖女の墓に、聖女は眠っていないのだろうということをだ。
2年後、魔王の遺骸が消失した。
アサナシア教会では意見が分かれた。大部分の者たちは魔王の遺骸の消失を、喜ばしく思っていた。女神アサナシアの奇跡だと言い、大陸の民とともに呪いのない世界の誕生を喜んだ。
しかしアサナシア教会の上層部の者たちは、こう捉えた。魔王の遺骸の消失は――おそらく、新たな魔王の誕生のために起こった、と。
イリオスは教皇を退く意思を伝えた。王ではなく、ひとりの聖職者として今後、アサナシア様のために身を捧げたいと。
イリオスの表明を、アサナシア教会の上層部の者たちはこう捉えた。イリオスは教皇を辞して、魔王を探すつもりであると。
しかし、少し違った。イリオスは正直、魔王はどうでもよかったからだ。イリオスは聖女シンシアを探すつもりだった。自らを裏切った、ちいさな女の子を。しかし聖騎士の一件から『新たな魔王』は、聖女シンシアの手がかりでもあった。
イリオスが教皇を退くまで3年の月日がかかった。
ちょうど3年後、聖女の墓は暴かれた。
そこにあったのは偽物の骨だった。
イリオスは屈辱を覚えたが、同時に暗い喜びも覚えた。
(やはり、シンシア・ラ・オルトゥスは生きている)
イリオスは教会の中にフォティアという自らがリーダーを務める組織をつくり、魔王探しをした。新たな魔王の手がかりは『人間の赤い血を持ち、莫大な魔力を持つ者である』、『アズールの街に一度、現れて聖騎士隊の小隊をひとつ壊滅させた』、『聖女シンシアの墓の結界に関係している』という3点だった。
フォティアの会議にて、赤い血を持ち魔物の特性を持つ者、すなわち魔物との混血の人間が『新たな魔王の器』として怪しいのではないか、という話が上がった。
そのため彼らは、混血の人間を捕らえて、魔物ということにして拷問した。混血の人間たちは魔王について聞いても、「知らない」と言い口を割らないことがほとんどだったが……こちらが魔王の悪口を言うと、怒りながら魔王を擁護したり讃えたりする人間もいた。ろくな情報はでてこなかったが、そうした者たちの存在は新たな魔王の誕生の何よりの証拠でもあった。
ある日、アズールの街で、イリオスは魔物との混血の美しい青年に出会う。彼は今まで関わってきた混血とは、少し違った雰囲気を持っていた。
そのうちに、彼は人間ではなく魔物だとイリオスは気づいた。そして、引き続き関わるうちに、ひとつの疑念を抱いた。
(新たな魔王とは、アステルではないのか?)
いや、ない、違う、とはじめは思った。
アズールの聖騎士だった男に罵倒されたときに――新たな魔王は、嫌らしい性格の男だ、とイリオスは思った。
アステルは、そのような嫌らしさとは正反対だった。出会ってはじめの頃、イリオスはこう感想を抱いた。
(ここまで邪気のない人間も珍しい)
アステルは魔物なのに聖職者のような、なごやかな雰囲気を持っていた。魔物であり神聖なものが弱点であるのに、見た目の美しさと相まって神聖さが感じられることすらあった。
聖女シンシアの墓に新たな魔王が施した結界の巧妙さや気持ち悪さもアステルと一致しなかった。アステルはものを知らず、愚かだった。どんな嫌がらせをしても、まるで気づかずに、イリオスを友人として大切に扱った。
しかしアステルの話を聞くうちに、アステルは周りの魔物にとても大切にされている、とイリオスは気づいた。大切に育てられているために邪気がないのだ。
また、混血の人間というわけではなく、血の赤い魔物というのも珍しかった――人間の体を乗っ取ったとしても、通常は時間が経てば青い血に変わるからだ。
イリオスは、アステルに何度も些細な怪我をさせたが――アステルの血はずっと、赤い色だった。
アステルと出会って2年が過ぎたころ、アステルに妹や姉と暮らしているかを聞いたら、アステルは恥ずかしそうに言った。
「ぼく、恋人と暮らしているんだよ」
(もし、アステルが魔王であれば、その恋人がシンシア・ラ・オルトゥスなのではないか)
妄想にすぎなかったが……イリオスは、もしそうだった場合、どうするか、と考えた。
(アステルの魔力の片鱗でも見ることができれば、魔王だと確信が得られるのだが)
イリオスは、いっそのこと本格的に攻撃してみるか? とも思うこともあった。しかしそのたびに、やめておこう、と思った。
イリオスはアステルを騙しながら、ささやかな傷をつけたり、神聖力で痛めつけたりすることに、楽しみを見出していた。
捕まえて怯えている人間を拷問するときとは、また違った楽しさだった。こちらを信用している愚かな魔物を、ささやかに痛めつけるのがとても楽しかった。
一度でも本格的に攻撃すれば、この『信用された状態』は終わってしまう。だから、もし攻撃するとしたら、魔王であることが確定して――アステルというリボンの紐から、シンシア・ラ・オルトゥスに辿り着いてからだとイリオスは考えた。
なのでイリオスは、待っていた。
アステルが新たな魔王であると、確信が持てるときを。それはアステルが本格的な魔術を行使するか、他の魔物を拷問したときに魔王としてアステルの名前が出るときであると、イリオスは考えていた。