5) おもてのコミューン / ちいさな香炉
アステル18歳(見た目は20歳)の秋
アステルとリアは、ルーキスに連れられてタフォスの村を訪れる。タフォスの村はタフィの『おもてのコミューン』だ。タフィの村とは山をひとつ隔てた位置関係で、タフィ大結界の外にある。村の存在は話には聞いていたが、アステルもリアも一度も行ったことがなかった。マヴロス大陸の地図にはタフィ村は載っていないが、タフォス村は載っていることになる。
はじめはロアンもついていく予定だったが、ロアンの子、トーリとテイナのふたりともが体調を崩し、看病のため行けなくなった。リアが出がけにロアンの家に寄り、ふたりに少し神聖力をあてたところ、テイナもトーリもぐっすり眠れるようになり、ロアンは感謝する。
「持つべきものは出来のよい妹分ですね」
「妹分ってなに! 恥ずかしがらずに妹って言って!」
リアはひじでロアンを小突く。
ロアンは「気をつけて行ってきてくださいね」とアステルとリアに手を振った。
タフォスの村の人々は、アステルとリアを大歓迎した。宴が開かれ、さながら小さなお祭りだ。アステルは恭しく扱われすぎていたが、ご馳走がたくさんだったのでずっとニコニコとしていた。
(ウィローだったら、すごくすごく嫌がっただろうなあ。アステルは魔王役にとても慣れているわ。ずっと自然体でいる)
12歳から6年間、魔王役をしているので板についている感じだ。リアは感心する。
タフォス村の人に『魔王様とタフィ様』として夫婦のように扱われたので、リアはすごく恥ずかしそうに、嬉しそうにしている。
アステルは、そんなリアのことを不思議にも思ったし、可愛くも思った。
(シンシアはぼくと夫婦扱い、嬉しいんだね)
アステルは「ルアンと同い年で結婚するよ」と周りに宣言して、リアにも「ぼくが20歳になったら結婚しようね」と話している。でも、恋人として一緒に住んでいる状態と結婚した状態の違いがいまいちわからないアステルなのだった。
(……シンシアはいつだって可愛いから、きっと可愛い奥さんになると思うけれどね)
宴のおわりごろ、村長の男がアステルに願う。
「魔王様 私たちをアルデンバランからどうかお守りください」
「アルデンバラン?」
「魔物の血の入った者を、拐かしている者たちの集団を、私たちはそう呼んでいるんです」
「ぼく――……わかったよ。おまじないをかけるからね。きみたちが悪いひとたちに見つからないように」
魔術は想像が漠然としていると、効果が薄い。アステルはアルデンバランという馴染みのない単語が耳に残りつつも、想像力をフル回転しながら、希望した者に拙いおまじないを試みる。
(誰かを守るようなおまじないは、シンシアのほうが得意な気がする。でも、だれが魔物との混血かわからないから、神聖力で守りのおまじないをかけるのは危ないか……)
リアは、ルーキスに目線を向ける。(この話をアステルに聞かせてよかったの?)とリアの目が訴えている。ルーキスは、娘に目配せしたあとに目を閉じる。ルーキスは、いずれは知れることと考えているようだ。
(アサナシア教会のなかのアルデンバランと呼ばれる集団が、魔物や、タフィ教のみんなを傷つけてる。ティシアの家族も、アルデンバランが傷つけた――つまりアルデンバランはぼくたちの敵で、ぼくたちはアルデンバランのしている、力の弱いものへのいじめをやめさせたいってことだね)
アステルはそう理解する。
ーーーーーーー
秋の夜更けに、アステルはアズールの街の橋の上でぼけーっとしていて、イリオスに声をかけられる。少し前までなら大喜びしていたところだが……この日、アステルは元気がなかった。
(今日、来てるって知らなかったな)
アステルは18歳になってから、アズールの街に遊びに出ることが少なくなっていた。タフィの地で忙しくしているリアやロアン、ルーキスのことを思うと(ここでこうしていて良いのかな?)と感じるためだ。でも、たまに息抜きに、タフィの外の空気を吸いにアズールに来ていた。決まって夜に。
ふたりはなんとなく一緒に歩き、(イリオスは知らないが、アズールの家の近くの)森のなかへ行く。家の結界からはだいぶ外側だ。カンテラに明かりを灯して、歩く。
歩きながら、アステルは聞く。
「イリオスって、魔物は嫌い?」
「ええ、嫌いです」
アステルは友人を騙していることを心苦しく思う。しかし、イリオスはこう続けた。
「人間も嫌いです」
「え?」
「私は、何も好きではありません」
「そうなの?」
(それならぼくが、魔物でも人間でもどちらであっても変わらないのかな)
ふと、アステルは思う。イリオスはアルデンバランについて何か知っているだろうか。
「ねえ、イリオスは偉いひとなんだよね。アサナシア教会のなかで、何をしている人なの?」
「今は、見ての通りで、高位聖職者をしております」
イリオスは白いローブの中の、聖職者の衣を広げて微笑んだ。
「各地を巡ってアサナシア様の教えをといたり、アサナシア様の信徒たちひとりひとりと言葉を交わすのが仕事です」
イリオスは楽しそうに話したあと、ひどくつまらなさそうに言った。
「……昔、王様をしていました」
「え!?」
アステルは驚く。
「でも、その地位を弟に譲ったんです。王となっても欲しいものも手に入らず、好きなこともできなかったので」
「弟さん、びっくりしただろうねえ」
アサナシア教の王様というのが何の王様なのかよくわからなかったが、アステルは自分のもともとの家族に置き換えて想像する。
(もし、イレミア兄さんが急に「王になるのやめる! エルミスが王をやるように!」って言ったら大騒動になると思う……)
「子どもにも恵まれなかったので、退いてよかったです。こんなふうに自由に過ごす時間なんて、王でいたら得られなかった」
「イリオスは、結婚しているの?」
「2回、結婚させられましたが、子どもはいません。今は独り身ですよ」
「? 離婚しちゃったの?」
イリオスが悲しそうに微笑んだので、アステルは(聞いてはいけない話なのかな)と思う。
「私、ずっと好きな人がいまして――その人のことが忘れられないんです。きっとそれを、妻に勘づかれてしまうんですね」
(お、思ったより大人な話だった!)
アステルは困り、慌てる。
「うーん……それじゃあダメだね……やっぱり、好きな人と一緒になるのが一番だよね」
(イリオスは大人だなあ)
アステルはイリオスのうしろを歩きながら、エルミスのことを思い出す。小さな頃はよく、兄のエルミスについてこんなふうに城内を歩いたものだった。
イリオスのローブから、何かが落ちる。
手のひらに乗るくらい小さな、金属製の香炉のようなものだ。
「何か落ちたよ、イリオス」
疑いを持たずにそれに触れて、アステルは息が止まりかける。
『強い神聖力がこめられた物』に素手で触れた結果、地面に膝をついて苦しそうにもがくアステルを、イリオスは恍惚とした表情で見ているが――声は、心配を装う。
「大丈夫ですか? アステル」
アステルはぜえぜえと荒い息をして、背中を丸めている。
「いま、治してあげましょう」
イリオスは神聖力をアステルに当てようとする。アステルが苦しむ姿に興奮していて、さらに苦しめたくてたまらず――ものすごく楽しそうだ。
下を見ているアステルは、イリオスの表情には気づかない。
(魔物だとバレたら、イリオスと友達で居られなくなっちゃう!)
アステルは、慌てて気丈な声を出す。
「大丈夫だから! 治さなくて大丈夫」
「そうですか?」
イリオスは残念そうにする。
アステルは息を整える。
「そ、それは何? 呪いの香炉?」
「ああ、これはね、すごく神聖なものなんですよ。とある方から頂いた大事なものなんです、拾っていただきありがとうございました」
(神聖なものを持ち歩けるくらい、高位の聖職者なんだね。王様だったって話も本当なのかも)
昔、そういうものは貴重なのだと兄のイレミアに教えてもらったことをアステルは思い出す。
アステルは――やはり、イリオスはアサナシア教会の上層部の存在だ、と確信を持つ。
(イリオスを疑いたくはないけれど)
何かアルデンバランについての情報が得られるかもしれないとアステルは考える。
「イリオスは、アサナシア教会は悪いことをしていると思う?」
「……何が悪か、何が善かなんて、時代によって変わるものですよ。マヴロス大陸は、昔は人間同士で共食いをしていたそうですから」
アステルは首を傾げる。
「イリオスは、人間同士で共食いがしたいの?」
「そう見えますか?」
「なんだか憧れを話しているように聞こえたんだよ。ええっと、話が戻るけど――アサナシア教会が、悪いことをしていないとは思っていないってこと?」
「そうなりますが……アステルはどうなのですか?」
「……ぼく?」
「何か、私に罪の告解がありますか、と聞いています」
アステルはイリオスの紫色の瞳に、鋭い眼差しを向けられて――イリオスはアステルが人間ではないと疑っているのかもしれないと感じるが、勇気が出ずにはぐらかす。
「ぼくは……基本的に、良い子にしているよ。ぼくの恋人と、ぼくの幼馴染が怖いからね」
「あはは」
イリオスは乾いた声で笑った。
「ねえ、イリオス。最近、ぼくの友達がいなくなったんだ。アサナシア教会は、人をさらったりしないよね?」
友達がいなくなった、というのは嘘だった。
しかしアステルは、イリオスがアルデンバランを知っているかどうかの確認をしたかったのだ。
「アステルの友達ですか? お名前は?」
「名前は言えないんだけど」
「アステル、では、あなたの恋人のお名前は?」
「え?」
アステルは急に、目の前の友人を不気味に思う。アステルは、答えない。アサナシア教会に属する友人に――シンシアの名前をだすことはできないからだ。たとえ、偽りのリアという名前であっても、ダメだ。渡せない。
「ええと、秘密だよ」
「可愛い子なのですか?」
「そう、とっても可愛いよ」
イリオスは微笑んだあと、アステルにアサナシア教会についての見解を述べる。
「人をさらったりはしないと思いますが、魔物を討伐することはあるのではないでしょうか?」
「そっか……どうして魔物を討伐するの?」
「女神アサナシアが大陸の平和のために、魔物を討伐するように人間に命じたからですよ」
(ぼくってアサナシア教のこと、なんにも知らない)
アステルは首を強く横に振って、明るく切り出してみる。
「イリオス。ぼく、イリオスの仕事を見学してみたいよ」
「見学?」
イリオスはしばし考え込む。
「いいですよ」
「今度、クレムの街で講演をするので、いらしてください。クレムの大聖堂で、冬のはじめにあります」
アステルは慌てる。
「え! 教会でやるの?」
「ええ、もちろんですが……何か問題でも?」
「ぼく、教会の中に入っちゃいけないことになっているんだ」
「え?」
イリオスは困惑する。
「今まで一度も教会に行ったことがないのですか?」
「子どもの頃は行ったことある。最近でも教会の庭までは、あるよ。でも、庭に入って、すごく怒られたんだ」
(子どもの頃は、とは、その体がアステル王子であった頃、という意味だろうか? それとも中身の魔物が、子どもの頃という意味だろうか?)
アステルには保護者のような魔物がいて、『魔物さらい』を警戒して、アステルに教会に近寄らないように言っているのだ――とイリオスは理解する。
「ぼく、アサナシア教の教義もよく知らない」
イリオスはローブの内ポケットから、アサナシア教の教典をとり出す。
「学びたいのでしたら――私のものでよければ、かしましょう」
「でもこれは、イリオスにとって、大事なものじゃないの?」
「なぜそう思ったのですか?」
「ローブの内ポケットに入れていたから」
「持ち歩くことが義務付けられているのです。でも、私は暗記しているので大丈夫ですよ」
「ありがとう」
教典を受けとった後、アステルはぼやく。
「クレムかあ、行ったことないんだよね」
「ではこの機会に行ってみてはどうでしょう、良い街ですよ」
イリオスはアステルに微笑みながら、思う。
(もしこの魔物が、本当に来たら……神聖なものだらけの部屋に誘導したり、ちょっとは楽しめるかもしれないな)