4) 秘密のお友達
アステル17歳(見た目は20歳)の夏
一緒に遊んで過ごした年の翌年の夏、アステルはアズールの街の教会の前で信者たちに話をしているイリオスを見かけて、嬉しく思った。
アステルが遠くからニコ、と微笑むとイリオスもニコ、と微笑みを返してくれた。
イリオスがアサナシア教会の信者たちから自由になれるのは決まって夜のことで。宵闇のころにアステルが最初に出会った街道沿いにいると、アステルの運がよければ、イリオスがやってきた。
ふたりはその日、アズールの浜辺を歩く。
浜辺に虫の死骸が転がっているのにアステルは気付き、しゃがみこむ。アステルとイリオスは、虫の死骸を一緒に見る。イリオスは囁く。
「やはり生き物は、死んでこそ美しいですね」
「そう? ぼくは、生きているときが美しいと思うよ。憧れる気持ちはあるけどね」
(憧れる?)
イリオスは疑問に思い、アステルに聞く。
「死にたいのですか?」
「今じゃなくてもいいけれど、いずれね」
アステルはどことなく、憂いのある微笑みだ。
(言ってくれれば、いつでも殺すのに)
イリオスは不思議に思う。
ーーーーーーー
イリオスから見ても、アステルは不思議な青年だった。はじめて会った日の夜に、ギルドの酒場でイリオスは娼婦の元締めをしているラーハノという男から話を聞いた。
「アステル? よく知ってる。あいつは頭が悪いが、心根は優しい男だ。最初に会ったときが一番おかしかったな。年々少しずつまともになっているようだ」
「どうおかしかったのですか?」
「まるで生まれたての幼子のようだった。何も物を知らなくて」
ラーハノはイリオスにそう説明した。
「アステルは、アズールの街には住んでいないと思う、会う頻度が少なすぎる。親戚の家でもあって、近くの町から遊びに来ているんじゃねえかな」
アステルを知る者は、アズールの街にアステルの家はないと言う。神出鬼没にアズールの街に現れるだけの存在で、他者とのつながりがあまり見えてこない。調べた結果、やはりアステルはコルネオーリの第四王子と瓜二つだった。
(アステルは、死体の中に魔物が入ったか、死ぬ直前に魔物が入ったか――どちらにせよ、人間ではないのではないか?)
イリオスははじめ、魔物との混血の人間だと思っていた。イリオスの神聖力が、アステルは人間だと告げたからだ。『友達』となってから、わざと転ばせて血の色を確認してみたが、赤い色だった。しかしアステルはおそらく、人型の魔物なのだという結論にイリオスは至った。
ラーハノと出会ってすぐのアステルは、魔物として人間に成り済ました最初の時期だったから「おかしかった」のだろうと。
(アステルは、コルネオーリの第四王子に取り憑いた魔物だ)
そうとわかれば、興味を失ってもよかった。さっさと討伐して死体を(嫌がらせとして)コルネオーリに送り返してもよかった。しかしイリオスは、アステルへの興味を保っていた。それは小さな蝋燭の火や煙のようなわずかなものだったが。
アステルの言葉が耳をついて離れなかった。
『死んでいるのが、好きなの?』
初めましてでそれを見抜いたのは、アステルが初めてだったからだ。
ーーーーーーー
「そういえば、イリオスの探し人は見つかったの?」
「いいえ、まだ、見つかっていません。キアノスが怪しいとは思っているのですが」
「キアノス国内にいそう、ってこと?」
「はい。なので、各地の教会を巡る仕事も……毎年、キアノスにはかならず来るようにしています」
「会えるといいね、そのひとに」
暗い浜辺で、アステルはふわっと笑った。
イリオスは急に神聖力を針のようにして、アステルの背後に飛ばす。それが、アステルの髪をかすめる。アステルの髪が数本、パラパラと地面に落ちる。
(ひえ、)
今のが頬に当たっていたら絶対に痛かった、とアステルは怯える。
「ぼく、何かした!? イリオス」
「いいえ、低級霊がいたので除霊しただけです」
イリオスは何故か嬉しそうに笑う。
「アステルさんの髪を切ってしまい、申し訳ありません」
「良いんだよ、おばけが居たなら仕方がないよね」
(でも、魔王のぼくがいるのに低級霊なんて、出てくるだろうか?)
アステルは疑問に思いながらも、あまり気にしないことにする。
ーーーーーーー
タフィのへんてこな我が家にいるロアンとリアのところに、遅れてアステルが帰ってくる。あまりに帰りが遅いので探しに行こうかとふたりで話していたところだ。
「遅いわ、アステル。3人でごはんを食べる日なのに、遅れるなんて。ロアンがごはんを作ってくれたのよ」
「え! ルアンのごはん、久しぶりだよ! やったあ」
大喜びのアステルを見て、ロアンもリアもなんとなくホッとした。砂浜で汚れた手を洗いながら、アステルは嬉しそうだ。
3人は、食事の準備をしながら話す。
「アステルさま、どちらにいらしたんですか?」
「アズールの街だよ」
「アズールの街? 遊びに行っていたの、アステル」
「ごめん、ぼく、友達と遊んでいたら時間を忘れてしまって――」
「今度はどんな猫なの?」
「違う違う、人間だよ」
アステルの笑顔に、ロアンとリアは顔を見合わせる。アステルに人間の友達がいると聞いて、不安を覚えたからだ。ふたりの驚いた顔を見て、アステルは得意げにする。
「ぼくにだって、人間の友達くらいいるよ」
「どんな人なの?」
「えーっと……エルミス兄さんみたいな人」
ふたりはますます不安になる。
エルミスがアステルに会うたびにスキンシップ過多だからだ。
「アステル様のことを触るってことですか?」
「違う違う、触ってこないよ。年齢がエルミス兄さんくらいの男の人なんだ。お友達になろうって、ぼくに言ってくれたんだ」
アステルは嬉しそうに笑っているが、ロアンもリアも笑えない。
「え、向こうから友達になろうって言われたの?」
「うん、はじめましてのとき」
「出会ったその日に言われたの? エルミスさんくらいの男の人に、友達になろうって?」
リアは困惑しながら聞く。
(アステル様に、出会ったその日に『友達になろう』と言ってくる成人男性、怪しすぎる)
アステルの見た目が麗しいから、下心があってそう言ったのではないかと、ロアンは疑う。
「本当に何もされてないんですよね?」
「うん……え、ルアンは何を心配してるの? ぼくのお友達を疑っているわけ?」
アステルは不愉快そうな顔をする。
(そりゃ、疑いますよ)
(そりゃ、疑うわ)
エルミスくらいの成人男性がアステルと友達になるメリットがまるで見えてこないからだ。
「だって、アズールの街に住んでいないんだ。すごくたまに遊びに来るだけなんだ。お友達が遊びに来てくれるの、ぼくはとても嬉しいんだよ」
「アステル様、」
ロアンは食卓に料理を運んだあと、トントン、とロアンの左肩を指で叩いてみせる。アステルはムッとした顔をした。
「失礼だな、ぼくはもうそんな子どもじゃないよ!」
「アステル様がお約束を覚えているか確認しただけですよ」
「覚えているよ。ほんっとうにルアンは失礼なやつ」
アステルは機嫌を損ねたようだ。
「なにその、ふたりだけで通じる合図……仲間はずれでさみしいわ」
リアはふたりを見比べ、頬をふくらませる。
「シンシアは知らなくていいことだよ、ルアンがひどい人間だって話だよ」
「ロアンはそうね、ひどい人間よね。心に血が通っていない冷たい男だわ」
リアは普段思っていることと真逆のことを言う。
「ふたりにはもう、あたたかい料理をつくってあげません。つめたいのばかりにします」
「えー それはこまるよ!」
「うそうそ! ロアンほど優しくてかっこよくて頼れるお兄ちゃんはいないわ」
リアがタフィ教の食前の祈りを捧げたあと、3人はごはんを食べはじめる。
(リアが祈りを魔王にも捧げるため、ロアンはいつも違和感がある)
「ところでアステル、そのお友達と何して遊んだの?」
「今日はねえ、虫を見たり幽霊をやっつけたりしたんだよ」
「……」
「相手、いくつなのかしら?」
「エルミス兄さんと同じくらいだよ」
「アステル様に合わせてくれているんですかね? だとしたら良い人かもしれませんけどねえ」
ロアンはため息をつく。
「とにかくアステル、そのお友達がくるときに今度、ロアンか私を一緒に連れて行ってね」
「ええ? やだよ……ふたりとも本当に過保護だなあ。ぼく、もう17歳だってふたりともわかってる?」
「17歳は30代の男の人と虫とりしたり幽霊退治したり、しないわ!」
「えー? そう?」
アステルは眉毛をハの字にしている。
(イリオスに、シンシアが聖女だってバレたら教会に連れて行かれちゃうかもしれないから、シンシアを守るために会わせられないし……そもそも相手がアサナシア教の聖職者だなんて知ったら、シンシアもルアンも絶対に友達やめるように言うから、言えないよ。もう見るからに聖職者の服ばっかり着てるから、会わせられないよ。イリオスが違う服を着てくれたらいいのに……)
「ねえ、ぼくにだってふたりに秘密はあっていいでしょう?
ぼくの秘密のお友達なんだよ」
アステルはそう言うと、たくさん食べるアステルのためにロアンとリアがたくさん作ったごはんを頬張る。
(ぼくは魔物と人間だけじゃなくて、アサナシア教とタフィ教も仲良くできたらいいなって、そう思ってるんだよ。それが共存への道のひとつだって思っているんだよ。
イリオスはアサナシア教の高位聖職者で、ぼくはタフィ教の御神体だから……だからぼくとイリオスの友情は、平和の象徴みたいなものだよ、きっと)
(あのアステルが、私に隠し事したいだなんて)
リアは心配でたまらない顔をしているが、ロアンは思う。
(まあ、アステル様もようやく、家族以外の友達が欲しいお年ごろなんですかね。話に聞く限りには悪いお友達ではなさそうですし、そんなに頻繁に会う相手でもなさそうですし、少し成り行きを見守ってもいいかもしれませんね)