2) 邂逅とねこ 後編
夜になってもリアが部屋から出てこなかったので、アステルは花をテーブルに飾ったあと、散歩に行く。
街灯もまばらな海沿いの街道で、アステルは猫を抱っこしている。アズールの街の猫はみんなアステルの友達だ。
イリオスは宵闇に紛れながら白いローブのフードを被り、街を歩いている。エオニアから共に来た従者のひとりに魔術をかけてもらい、顔を変えていた――のだが。
「あれ、昼間の聖職者さん。こんばんは」
アステルに声をかけられる。
(昼間の青年か。魔物の血が入っているから変化の魔術が効かないのか?)
イリオスは眉をひそめる。
(偉い人が、どうしてこんな時間に、ひとりでこんなところを歩いているんだろう)
アステルは首を傾げる。
「こんばんは。良い夜ですね」
「こんなところで、どうしたの? 道に迷ったの?」
「酒場に聞き込みに行くところなのです。人を探しておりまして」
「ひと?」
「……ええ、神聖力に優れた方を探しています。誰か、ご存知ではないでしょうか」
「……」
アステルは考える。
(ルアンが、聖女はアサナシア教会にとっての保護の対象って言ってた……シンシアが連れて行かれちゃうってこと?
そんなのは困るよ……)
「知らないかな。そんな人を知っているなら、その人にお花に神聖力を込めてもらうよ」
アステルの腕から、猫が飛び降りる。
イリオスの脚に、にゃあ、と猫が擦り寄る。
「猫、苦手なの?」
アステルは笑いながら、イリオスの足元にいる猫を抱っこする。
イリオスは微笑み、お礼を言う。
「私は生き物すべてに好かれるのですが、得意ではないのです」
「そうなんだ。ぼくもけっこう、好かれるほうだよ。でもぼくは、生き物大好き。蝶とか、美味しいよね」
「……美味しい?」
「あ、ちがった! そうじゃなくて、ちがうちがう」
(魔物っぽく見えたかもしれない!)
アステルはひとりで焦っている。
焦りながら何かを誤魔化そうと道にしゃがみこみ、抱っこした猫をイリオスとは別方向の地面に下ろした。猫は去らず、アステルのもとにとどまる。
「いえ、昆虫食の文化のある地域もありますから、大変結構なことかと――私も生き物は、料理されたあとのほうが好きです」
「死んでいるのが好きなの?」
「え?」
しゃがみこんで猫を撫でている青年のことを、イリオスは一瞬、ひどく不気味に感じる。
「あれ、ぼく、なにか言った? ごめん、ぼく、稀に記憶がとぶんだよ。よくあるのは美味しいものを食べているときなんだけど……まだ若いのにね、頭にガタがきてるんだ。昔、酷使しすぎたみたいで」
「なるほど、あなたは魔物を飼っているんですね」
ぎく、となりながら、アステルは困ったように笑う。
「そうかも、ぼくのなかに魔物がいるのかもね」
イリオスは目の前の金髪の青年の、大変わかりやすい表情の変動を、御し易く思う。
「私は教会の仕事で各地を巡っておりまして……この一週間、アズールの街に滞在する予定です。
見知らぬお方、お話できて、とても楽しかったです」
「え!? あ、ありがとう」
アステルは『話して楽しかった』なんて言われたのははじめてだったので、嬉しそうにする。
「よかったら、また、アズールの街のことをいろいろ教えてくださいませんか?
私と、お友達になってください」
「め、面と向かって友達になってほしいだなんて言われたのは初めてだよ。照れるね……もちろんいいよ、この街のことならなんでも聞いてね」
アステルはニコ、と微笑んだ。
「また明日の夜、ここでお会いするのはどうでしょうか?」
明日は新月だ、とアステルは気づく。
「明日の夜はちょっと――明後日の夜はどうかな?」
「そうしましょう」
イリオスは微笑む。
なんだか、すべてを許してくれるような微笑みだな、とアステルは思う。
(アサナシア教会の聖職者は、人の罪の告解を聞くんだものね)
「ええっと、お名前はなんて言うの?」
「イリオスと申します」
「イリオス? 王様みたいな名前だね。
ぼくは、アステル」
「――アステル?」
かすかに、イリオスの神聖力が揺らぐ。
「どうかした?」
「いえ、なんでもありません。あなたも、王子様のようなお名前ですね。では、またお会いしましょう」
「うん。またね、イリオス」
アステルは猫をもう一度抱き上げると、イリオスに小さく手を振る。
(一瞬、心のうちを見抜かれたような気がした)
イリオスは足早に歩きながら、先ほどのことを考える。
(シンシアを含め、コルネオーリ国内での不審な死を探っていたとき。たしか、不審な死を遂げたコルネオーリの第四王子の名前が、アステルだった)
そう考えると、平民の顔立ちに見えなくなってくる。あの青年は、もしかしたら、シンシアにつながる長いリボンの端っこかもしれない、とイリオスは考える。
(シンシアの首に巻かれたリボンの端っこだ)
しかし青年はひとの悪意になんて微塵も気づかないような、のほほんとした、平和ボケした人間だった。
(そう思うとシンシアを逃した巧妙さとは縁遠く感じられるが――)
身辺を調べておいて損はないだろう。
(魔物の血が入っている人間は、殺しても、魔物だということにすれば処理が簡単だ。神聖力で、簡単にいたぶりながら殺すことができるのも、良い)
楽しみだ、とイリオスは微笑む。
ーーーーーーー
「アステル、お帰りなさい」
「ただいま、シンシア」
「なんだかごきげんね?」
「うん、ぼく、新しい友達ができたんだ」
「どんな猫なの?」
アステルはテーブルの上の美味しそうな夕飯に気を惹かれていて、リアの言葉が届かなかったようだ。
リアはテーブルの上の花に目を向けると、もう一度アステルをじっと見つめる。
「アステル、お花をありがとう。すごく綺麗なお花で、おどろいたわ――神聖力がこもって光かがやいてるみたい。
アステル、このお花をどうしたの?」
「アズールの街で配っていたのをもらったんだよ」
「アサナシア教会で配っていたの?」
アステルは、ぎく! とする。
リアは眉をひそめる。
「ねえ、アステル、手を見せて」
アステルは両手を背の後ろに隠そうとするが、リアにじりじり詰め寄られて、しぶしぶと見せる。アステルの両方の手のひらに、赤いただれがうっすらと残っている。リアは悲しそうにする。
「回復魔術を使わなかったの?」
「アズールの街中であまり込み入った魔法を使わないようにって、シンシアが言ったんだよ。
家に帰ってきたときはもう、時間がたちすぎていたんだ。魔力を隠した状態だと厳しいよ。タフィの結界の中なら、すぐに綺麗に治せるけれど」
アステルは残念そうだ。
「ねえ、アステル……このあいだアサナシア教会に、外へ出たコミューンの仲間が捕まった事件があったでしょう。教会が綺麗なお花を配っていたのは、魔物を炙り出すためだったかもしれないわ」
「そんなことないよ! 花を配っていたのは、すごく……優しくて良い人だったんだよ」
(ぼくにはそれがわかるんだよ)
アステルはそんな目で、リアのことを見つめる。
「お花をありがとう、アステル。でも、私、アステルが自分を傷つけてまで――お花をもらってきて欲しいって思っていないのよ」
「……ぼくは、シンシアが喜ぶかなって思ったんだ」
アステルはしゅん、としている。
リアはアステルの両手をとると、やわらかく微笑む。
「そうよね。ありがとう、アステル。でも、アステル。何度だって言うけど――私、アステルにアステル自身を軽んじてほしくないの。
アステルのことが、大切なの」
「ぼくも、シンシアが大切だよ。この世界でいちばん」
「ありがとう、アステル」
微笑み返したアステルのことを、リアはとても愛しく思う。
「まあ、せっかくアステルが痛い思いをしてもらってきたお花だから、ここに飾っておきましょう。本当に見事なお花だわ。神聖力で咲かせたのかしら?」
「ぼく、お花に保存魔法をかけたんだ。だからこのお花、しばらくずっと楽しめると思うよ」
「しばらくってどのくらい?」
「ええっと、100年くらいかな?」
アステルの言葉は冗談ではなく本気のようだ。リアはため息をつく。
「私、このお花がしおれるまで、生きているかしら?」
「ええ! 生きていてくれなきゃ困るよ。長生きしてね、シンシア」
「努力するわ」
アステルはリアの頬にやさしくキスをして、リアもアステルの頬にキスを返す。