選択
アステル12歳の初夏。
リアははじめて、魔王の遺骸を封印した黒い魔石の浄化に成功する。
リアは、ウィローの記憶を見る。ウィローの目が見たものを見て、耳がとらえたことを聞く。
(これって、ウィローの記憶?)
それは、ちいさなリアがうさぎのぬいぐるみと遊んでいる姿だった。
(見てたの!?)
リアは真っ赤になる。見られていたなんて知らなかったからだ。記憶の再生はすぐにおわり、もう一度見ることはできなかった。
長い時間をかけ、神聖力をあてて、ようやくひとつ。
(同じ記憶がアステルに戻ったのかな?)
リアは聞いてみるが、アステルはきょとんとしている。
「それは覚えていないけれど、ぼく、なんだか強くなった気がするよ。シンシアが魔石の封印を解いたからなのかな?」
魔力はアステルに戻るが、記憶は戻らない。
リアは信じたくなくて、次の魔石を浄化しきるときに、アステルとロアンにも同席してもらう。
やはり、魔力はアステルに戻るが、記憶は戻らない。記憶を見れるのは浄化を行ったリアだけだ。
リアは、アステルに黒い魔石を差し出す。
「やっぱりアステルに記憶を戻すには、魔石を食べるしか方法がないんだわ。
食べて、アステル」
「嫌だよ。ひどい味がするんだ、それ」
リアは、泣きそうになる。
リアは、アステルを床に押し倒す。まだ浄化していない魔石を、アステルの口の中に無理に入れようとする。
アステルは騒ぐ。
「嫌だよ!! それを食べると、すごく痛いんだってシンシアにも言ったよ! 痛いし、苦しいし、悲しいし、辛い気持ちになるんだ!」
「でも、やっぱり食べるしか方法がないのよ、アステル! ウィローに戻ってきてもらうには、こうするしかないんだわ!」
リアは泣きながら、どうにかアステルに魔石を食べさせようとする。
「だからぼくは、ウィローなんて知らないんだよ! そんな変な名前、名乗った覚えがない。ぼくは、ウィローになりたくないんだよ!」
アステルは歯を噛んで、イーッとしながら抵抗している。リアよりアステルのほうが力が強いので、はじめは抵抗しすぎてはダメだと考えたようだが、リアがあまりに強い力で魔石を食べさせようとするので、次第にアステルも抵抗を重ねる。大喧嘩だ。
「もう、やめよう! リア!」
リアは大きな声に振り向いて――驚いて、動きを止める。ロアンが、涙をこぼして泣いていたからだ。
「おれは、もう、アステル様に無理をしてほしくない。アステル様を、ウィローを、もう、やすませてあげたい」
リアは、ロアンの発言が信じられない。
「ロアンは、ウィローが戻ってこなくても、良いっていうの?」
「かまわない。アステル様が、痛い思いも苦しい思いもせずに過ごすのが、おれにとっての一番だ」
リアが近づくと、ロアンはリアに囁いた。
「ウィローみたいに、苦しんで生きてほしくない。全部思い出したら、アステル様も死にたがるくらいなら――思い出さないほうがいい」
「それにもともと、体はアステル様のものなんだ。ウィローが、それを借りていただけなんだ」
リアは、アステルに魔石を食べさせるのをやめる。困惑しながらロアンを見つめる。
「アステル様は、アステル様のままで良い。本人の言うとおり、アステル様はウィローじゃない」
リアは、ロアンの言っていることの意味はわかる。しかし、同意することはできなかった。アステルはウィローの記憶を持っているし、記憶を失ったウィローだという気持ちが強かったからだ。
けれど、いつも淡々としているロアンがこんなに泣くのを見たのもはじめてだった。
リアは動揺した。
(どうすればいいの?)
「もう、アステル様に、辛い思いや苦しい思いをしてほしくない。楽しいことや、嬉しいことだけ、この人のそばにあってほしい」
「でも、こんな、幼いアステルを……私たち、どうしていけばいいの?」
「リア。アステル様が大きくなるまで、おれとリアでアステル様を守ろう」
リアは、ウィローにもらった愛をウィローに返したいと思っていた。だから、いろいろ思うところはあったが――ロアンの選択を受け入れることにした。『アステルに魔石を食べさせない』という選択を。もう、ウィローを、アステルを苦しめないという選択を、リアはした。
そのあとで、リアはさらに選択を迫られた。
いつか、食べさせる以外にウィローの記憶をアステルに戻す方法が見つかるかもしれなかった。そのときのために魔王の遺骸を封印した魔石をそのままにしておくのか、ウィローの記憶をリアが読むために、浄化するかの選択だ。
けれどリアは、知りたかった。
ウィローに何があって、ウィローが存在したのかを。どうしてリアを救ったのかを。
知りたい、とリアは思った。
リアは『魔石を浄化する』という選択をした。
そして、ロアンとも相談しながら、アステルにどの記憶をどう話していくか、という選択を重ねることになった。
ーーーーーーー
「ねえ、ルアン。ルアンってば」
ロアンはうたた寝をしていて、アステルに起こされる。アステルはすこし機嫌を損ねたような表情をしている。
「ルアン、ぼくがお話をしているときに寝るなんて。珍しいね」
「すみません、アステル様。寝不足で……」
ロアンは、23歳になっていた。秋に子どもが生まれて、今は冬だ。夜泣きが酷くて、テイナもロアンもてんてこ舞いになっている。
「いいよ、ここで寝ていても」
優しい言葉に反して、すこしふくれているアステルは、物語の本を黙って読むことにしたようだ。アステルは、いまだに物語が大好きで、ボードゲームなども好きで、少年っぽい雰囲気を残している。
(もう17歳のはずだが、アステル様は、精神面の成長がのんびりだ)
リアとロアンが、アステルが辛い思いをしないようにと、苦しいことを遠ざけてきたせいもあるかもしれない。だがロアンは、そもそも人間とは違う成長の仕方をしている気がしてならなかった。長い寿命にしたがって――長い少年期があるかのような、成長の仕方をしている。
ロアンはたまに思う。
(アステル様にウィローの記憶を戻さないという選択は、正解だっただろうか。アステル様にアステル様のまま在ってほしいというおれのわがままは、正解だっただろうか)
アステルは本当にまわりの人間やまわりの魔物を良いものだと思っていて――世界を良いものだと思っていて、疑わない。はじめに疑いから入るようだった、ウィローと違って。
なのでロアンは、もう少しウィローの記憶があったほうが、アステルが自分の身を自分で守れるのではと感じることがあった。それから、去年のお守りが不調になった事件のこともあった。もう少し、もう少しだけで良いから、ウィローらしいところを残していてくれたら――と。そうしたら安心できるのにと。けれどそれは、無いものねだりだ。
「アステルさま、私、目が冴えてきたので、続きを読んでいただいて、大丈夫ですよ。先ほどは、大変申し訳ありませんでした」
「本当? じゃあ、ぼく、読むよ。
聞いていてね、ルアン」
アステルは嬉しそうに笑った。
アステルのかけがえのない明るさやのびのびとした性格は、ロアンとリアの手で守り育てられたものだ。
その笑顔を見て、ロアンは思う。もう一度、リアと一緒にアステルについての選択を迫られたとしても――おそらく、同じ選択をするだろうと。これからも『選択』を後悔することがあるかもしれないが――あの場面がもう一度やってきたら、ロアンは、同じ選択をするだろうと。アステルの笑顔のために。