18) リア、魔王城の池で溺れる
小さな魔物たちはアステルを玉座に座らせる。玉座の間には、魔王城の魔物たちが多く集まっていた。
「魔王様! 魔王城に侵入しようとしているのは聖女一名、剣士一名のようです」
(ルアンも来てるの?)
アステルの顔がぱあっと明るくなる。
「罠を、どう仕掛けましょうか?」
「え、罠なんて仕掛けないよ」
アステルは困惑する。
「しかし魔王様、打倒 聖女アサナシアは我々の悲願です」
「だって、アサナシア教会は関係ないもの」
「なんですと?」
「シンシアはタフィ教の聖女だよ、彼女はタフィのコミューンからきたんだ」
「タフィ教の聖女?? コミューン??」
魔物たちは混乱する。魔物のなかで『タフィ教は味方、聖女は敵』が常識なのでいまいち皆、理解ができないようだ。
「タフィのコミューンから、ぼくに会いに……」
アステルの言葉を遮るように、頭上から黒い毛布が落ちてきてアステルの体を覆う。
(クヴェールタだ、)
……なにやら様子がおかしい。クヴェールタの、あたたかな不思議なにおいがしない。毛布の体の中が、冷たい空気に満ちている。
「ごめんね、アステルさま」
アステルはクヴェールタの声を聞く。
アステルは一瞬、息が苦しくなったかと思うと気が遠のく。クヴェールタが離れると、アステルは玉座に座ったまま、すやすやと眠っている。
魔物たちはざわめく。
「く、クヴェールタ あなたなにを!?」
「クヴェールタ! 謀反か!?」
「謀反か!? クヴェールタは魔王城にあり!」
「魔王様になんてことを!」
クヴェールタは毅然として叫ぶ。
「違う。聞け、みなのもの! アステル様は魔物として、まだとても幼い。我々は、アステル様を聖女から守らねばならない!」
クヴェールタは眠るアステルに目を向けたあと、玉座の間の魔物たちを見渡す。
「聖女と剣士は、アステル様を我々から取り返しにきた! アステル様に引き続きお城に居てほしい者は、クヴェールタに協力するんだ!」
魔物たちはクヴェールタの言葉を聞き……そうは言ってもアステルの命令ではないから、アステルの指示を待とうと考えるものが大半だった。魔物たちは散っていく。
クヴェールタに協力する、と言ったのは魔物のうちぱらぱらと、十数匹だ。しかし、クヴェールタは(それで十分だ)と思う。人間はとても弱いからだ。協力すると言った魔物の中にエダフィコがいる。エダフィコは陸でも水の中でも、生きられる魔物だ。
(待っていてね、聖女様)
クヴェールタは目をぎらぎらとさせる。
(いつもいつもアステル様を独り占めにして! でも、そんな聖女様の日々は、終わりだよ!)
ーーーーーーー
ロアンとリアは一階の窓から魔王城に入る。ちいさな魔物が聖女に怯えながらも攻撃してくる。魔王城内にはちいさな魔物が多いようだ。
「魔物たちにとって、アステル様ってきっと大切な存在だと思うんです」
ロアンは魔物を殺さないように剣で叩いたり、音を鳴らして脅して魔物を散らせる。
「ルーキスさんはアステル様を大切にしています。やっぱり魔物たちにとっても大事なひとだから、私たちに向かってくるんでしょうね」
リアは神聖力を回復させようと、ちいさなお菓子を口に入れる。
「アステルの仲間だから、私たちを攻撃するってこと?」
「そうです。アステル様が私たちを攻撃させているとは思えないので……私たちが彼らを攻撃する理由と、彼らが私たちを攻撃する理由はもしかしたら同じかもしれません」
「そう思うと確かに、あまり攻撃したくはないわ……だから、はやくアステルが見つかると良いんだけど。そして話したいわ、アステルと」
リアの言葉に、ロアンも黙って頷く。
ロアンが口を開きかけたとき、リアの表情がおかしいことに気づく。リアは、遠くの一点を見つめている。リアは立ち上がり、ロアンに何も言わずに走り出す。
ーーーーーーー
アステルは、目を覚ました。星と鳥の飾りが天井から下がっている。どうやら魔王の部屋に寝ていたようだ。やたらとふかふかのクッションに包まれている。
部屋には手のひらサイズの小さな魔物たちが居て、アステルを気遣う。
「アステル様、だいじょうぶ?」
「大丈夫。……ぼく、クヴェールタに襲われた?」
「そうだよ、魔王様。クヴェールタは、アステル様のために聖女を倒すんだって言ってた」
「倒す!?」
アステルは飛び起きる。
「倒しちゃダメだよ、シンシアはぼくの大事な……婚約者なのに」
「魔王様は聖女と婚約しているの?」
ちいさな魔物たちは顔を見合わせて、アステルに話す。
「クヴェールタたちが聖女を池に沈めるんだって相談していたのを聞いたよ、魔王様」
アステルは顔色を変えて、走って部屋をでようとして――玉座の間に、大きな魔物が見張りをしているのに気づく。
アステルは、魔術を使って姿をくらます。
ーーーーーーー
(さっきから、リアの様子がおかしい)
リアは「アステルを見た」と言い、螺旋階段を登っている。ロアンはそのあとをついて行く。
(水に入りたくない、泳げないと言っていたアステル様が、池にいるはずがないのに)
そう説得しようとしたが、リアが話を聞こうとしないのだ。
封印の扉は以前と異なり、開けっぱなしになっていた。
「アステル、待って!」
リアは長い廊下を走りだす。
ロアンには何も見えないのに、リアの目にはアステルが見えているようだ。
「リア! リアは魔物に騙されています!」
ロアンはリアの腕をつかまえる。
「きっと、リアに見えているのは本物のアステル様ではありません!」
「でも、もし本物だったらどうするの!? アステルは怪我をしてるのよ、助けなきゃ!」
リアは叫び、ロアンの手を振り払う。
怪我をしたアステルの幻覚を見ているようだ。一瞬だけロアンと目があったリアの瞳は暗く、やはり、強い違和感があった。
(何か、魔術にかかっているのか?)
そのとき、天井からヘビの魔物が襲いかかってきて、ロアンは応酬する。
走った先で、リアの目に映るアステルは消えてしまう。リアが池を覗き込むと、水掻きのついた大きな手が伸びてくる。魔物はリアの足首をつかむと、リアを勢いよく池の底に引き摺り込む。引き摺り込まれるときに、リアは床に頭をぶつけて気を失う。
戦っていた魔物が逃げ出したあと、ロアンが振り返るとリアが池に落ちるところだった。
「リア!」
ロアンが焦り、飛び込もうとしたとき、
「シンシア!」
後ろから必死な声がしたかと思うと、アステルがロアンより先に池に飛び込む。水面に消えるアステルの後ろ姿を、ロアンは見送る。
ーーーーーーー
アステルは、黒髪のシンシアが池に落ちるのを見る。考えるより先に体が動く。アステルはシンシアに手を伸ばして、水の中に飛び込む。
泳げないという気持ち、水が怖いという気持ちを思い出すこともなく。アステルは必死に泳いで、シンシアの服をつかむ。
シンシアが溺れかけているのは、シンシアの足を池の中の魔物――エダフィコが掴んでいるためだと気づく。エダフィコはアステルを見て目を丸くしている。アステルは魔術で大きな氷をつくるとエダフィコに攻撃する。水掻きのついた手がシンシアから離れると、シンシアを抱き、池から上がる。
「アステルさま!」
薄茶色の髪のルアンが手を伸ばしている。アステルはその手をつかむと、ルアンの背後に魔物を見る。アステルはそちらも、魔術で氷を放ち、攻撃する。
「アステル様、なぜです! なぜ人間たちをお庇いになるのです!?」
エダフィコが水面から顔を出し、アステルに氷で殴られて痛そうな頭を抱えながら、叫ぶ。
「人間なんて、吹けば消えるような短い命のくせに!」
アステルはその言葉に、呆然とする。
「それに、聖女だ! 聖女は、憎い!」
倒れている黒髪のシンシアに誰か魔物が、石を投げる。
アステルは魔術で石を止めるが。
感じたことのない気持ちを感じる。お腹の底がグラグラと熱くなって、頭が割れるように痛くなり、視界が歪む。
アステルの意識の底から、何か。何かが浮かび上がってきて、アステルを意識の底に引き摺り込む。アステルの視界が暗転する。
アステルは、そこから先を覚えていない。