12) 2周目 巨大蜘蛛
白い糸をくぐろうとしたとき、パサッという音とともに髪がほどけた。手で頭の後ろを触ると、髪飾りがリボンごと落ちたようだ。リアは、不可解に思いながらも手を伸ばして拾おうとする。
白いリボンと金細工に触れようと何度も手を伸ばすが、なんべんやっても白い糸の向こう側に手が届かない。
それどころか、白い糸の向こう側に行くことができなくなってしまったようだ。
「私の大事なリボン……どうして?」
ロアンが縫ってくれた白いリボンが切れている。このままでは白いリボンも、ウィローが魔法を込めてくれた青い魔石つきの金細工も、土に汚れてしまう。
なにより『すぐにお家に帰ること』もできなくなってしまった。リアは悲しくて泣きそうになる。
金色の蝶はリアのまわりをひらひらと舞う。
『シンシア、悪い蜘蛛の糸が張り巡らされているんだ』
「蜘蛛の糸?」
リアは涙目になっている。
「これは、家を守る結界のはずよ! そっか、結界の外側に出ちゃったから、だから、こっちからは帰れないの?」
『シンシア、落ち着いて。私たちの仲間を助けてくれたら、きっと力を貸してくれるよ。薬草もたくさん見つかって、おうちに帰ることもできる』
「……本当?」
リボンには手が届かなくなってしまったが、カゴはリアの腕の中にあった。
(薬草をたくさん見つけて帰ったら、ロアンとウィローが褒めてくれるかも。『リアももう一人前だね、ひとりでなんでもできるね』って認めてくれるかもしれないわ)
リアは目をゴシゴシこすると、もう一度、蝶のあとを追いかけ始める。
ーーーーーーー
リアが通ったしばらくあとに、同じ糸の前でウィローとロアンが話している。
「ロアン、その剣をぼくに見せて。そのまま持っていて」
ロアンは木の剣をウィローに差し出す。ウィローは手をかざして、詠唱する。剣がほんのりと光る。
(ウィローの詠唱は珍しい)
ロアンは魔術に詳しくないが、詠唱は、あまり魔術が得意ではない者がするイメージだった。
「何をしたんですか?」
「木の剣でも、普通の剣みたいに切れるようにしたんだ」
「すごい!」
「でも、たぶん無駄だと思う」
「やってみることに価値があります、よ!」
ロアンは振りかぶり、糸を切ろうとする。すると、木の剣のほうがスパッと切れてしまう。
「ほらね」
ウィローはわかっていたけど、一応試してみただけ、という感じだ。
「仕方ないから、体が切れながら回復して進むしかないかなあ」
「いやいやいや、何怖いこと言ってるんですか!? 急ぎとはいえ、もう少し穏便な方法を考えましょう!!」
「あ、そういえば」
ウィローはすっぱり2つに切れた木の剣に手をかざし、魔術で直す。そのあと、ローブのポケットから液体の入った小瓶をとりだして、木の剣の両側面にかける。
「それは何ですか?」
「市販品。はい、ロアン、もう一回」
ウィローの指示で、ロアンは振りかぶり、糸を切ろうとする。
木の剣が糸に接した瞬間から、糸は燃えはじめる。
「わ、うわーーー!!!!」
木の剣も燃えそうになり、ロアンは叫ぶ。
ウィローが魔術で水をだし、消火をする。
「言ってくださいよ!! 何考えてるんですか!? 燃えるって知ってたらもっと……」
「? 考えてるよ」
「私の心臓のことを考えてくださいって意味です!」
「ごめんロアン、ぼく余裕なくて」
藍色の瞳がロアンを捉え、そして目を逸らす。
「今はリアのことしか考えていない」
(……今は?)
ロアンは呆れるが、とはいえ……
「ともかく、これで通れるよ、ね?」
焼けて切れ、地面に落ちた糸の上を通り、ウィローはロアンを振り返った。
ーーーーーーー
リアが蝶に招かれた先には、大きな樹があった。リアは葉っぱを見上げる。日が暮れかけていて見えづらいが、元気がないようだ。
『シンシア、この子……この樹を治してあげて』
蝶は言う。
「治す?」
リアは首を傾げる。
「治すなんて私、できないわ」
『できるよ。きみは、悪いものを治す力を持っているんだ』
「本当?」
リアは半信半疑だが、やってみよう、と決める。
(この樹のお医者さんになるってことよね。まずは診察したらいいのかな)
リアは樹のまわりを一周してみる。樹は、根本の一部が腐っているようだ。その腐って穴になった部分に、蜘蛛の巣が張っていることにリアは気づく。
リアが穴を覗き込むと、小さな赤い目がいくつか見えた。リアの頭ほどの大きさの蜘蛛が2匹、カチカチと歯を鳴らしている。灰色と黒のしましま模様だ。
「わあ! 大きな蜘蛛! びっくりした」
リアは後退りする。そのとき、背後になにか視線を感じる。
「ウィロー?」
明るい表情で、うしろを振り返る。ウィローに似た魔力を感じたので、迎えにきてくれたのかなと思ったのだ。
しかし、そこにいたのはさらに大きな蜘蛛だった。リアのおなかほどの背丈だが、リア6人分くらいの幅の足の長さがある。小さな蜘蛛と同じく、灰色と黒のしましま模様をしている。
巨大蜘蛛は、真っ赤な瞳でリアを見つめる。リアもびっくりしたまま、巨大蜘蛛を見つめ返す。
(『どいて』って言ってる気がする……)
リアは蜘蛛に道をあける。
『シンシア、それが悪い蜘蛛だよ。はやく、はやく大きな樹を治して。そうしたら、蜘蛛たちも去らざるをえないから』
リアは巨大蜘蛛が、小さな蜘蛛のところになにかを運ぶのを見る。食べ物だろうか?
(どうしてウィローだと思ったのかしら? でも、本当にウィローみたい。大きな蜘蛛は、小さな2匹を守っているのよ)
「この子たち、家族みたいよ」
リアは蝶を見上げる。
「私がこの樹を治したら、蜘蛛さんのおうちが無くなっちゃうってこと?」
蝶は何も話さない。樹が痛々しそうなのも事実だ。でも蜘蛛の家を壊すのも、嫌だなあとリアは思った。
(どっちも助けられないかしら。樹のウロはそのままにして、蜘蛛さんたちも)
助け方がわからない。こんなとき、ウィローなら、ロアンなら、どう助けるだろう?
(魔術もわかんないし、剣もできない。私は私のやり方でやるしかないかも)
「蜘蛛さーーん!」
リアは声をかける。
「一回どいてほしいの! 悪いようにはしないから!」
巨大蜘蛛はリアを見つめたあと、リアの言うことを聞いて、子蜘蛛を引き連れて歩きはじめる。
(見た目がちょっと怖いけど、本当に、悪い蜘蛛には思えないんだけどな……)
リアは蜘蛛が離れたあとの、大きな樹に触れてみる。
病気をしたとき、お母様やばあやや、ウィローがどう看病してくれていたかを思い返す。熱を測るときは、手をおでこに当てたり、額をくっつけあったり……。
リアは両手とおでこを、樹につけてみる。
(ええと……この樹が元気になりますように。でも樹のウロは、そのままになりますように……)
蝶は舞いながら、リアの様子を眺めている。
「あ!」
リアの手と額、樹に接している部分から、ほわほわとあたたかい光が出ている。
「これは……魔法? 私にも魔法が使えた!」
(ウィロー、私も魔法が使えたよ!)
リアは嬉しくて飛び跳ねたくなるが、集中、集中……と魔石に魔法をこめていたときのウィローを思い出し、真似するように樹に力を与え続ける。
蝶はリアに声をかける。
『シンシア、そう、貴女には力があるんだ』
「本当ね! 私、知らなかったわ。私にもできることがあるのね!」
『貴女には、貴女にしかできないことがある』
蝶の言葉に、リアは嬉しそうに微笑む。
そして、樹に力を与えつつ、蜘蛛の家を守ることに集中する。
(ほわほわがたくさん。お願い、元気になって。でも、蜘蛛さんのおうちも守ってね)
あたたかな光が集まって、樹がなんだか少し大きくなった気がする。
(私もあたたかくて、なんだか眠くなってきた……)
フッ……と光が止む。リアはその場に倒れ込む。
蜘蛛の家族が少し離れたところから、カチカチ、と歯を鳴らしながら、リアが倒れるのを見つめている。