17) 神聖力を暴力みたいに振るう聖女、と泣く魔王
ロアンは、道に立ちはだかった小さな魔物にリアが怒りのままに神聖力をぶつけるのを見ている。
(自称 タフィの聖女とは……?)
ロアンは呆れつつも、リアが強くて驚いている。ウィローやロアンに守られていた小さなリアはもう存在しない。アサナシア教会に聖女に認定されていただけはあり、そして近年の鍛錬の成果もあり、ものすごく強い神聖力を持っている。アステルを吐血させるほどの神聖力なのだ。
魔王城へ向かう夏の森の中。夕暮れ時だ。
「お父様のばか! ばか! ばか!」
転移魔法陣を書いてくれなかったルーキスに文句を言いながら、リアは神聖力を振るっている。
歩き始めてすぐ、これは魔物を殺しかねないと思ったロアンはリアの両肩をおさえた。
「リア、セーブしましょう。魔物を殺してしまってはアステル様と敵対しかねません」
「いま、私、すべての魔物をお父様と思って神聖力をぶつけているわ」
「アステル様だと思って、やさしく攻撃してください」
「アステルにも優しくできる自信がないわ」
リアはむすーっとしている。
ロアンはリアを睨みつける。
「……アステル様に優しくできないなら、私も敵にまわりますからね」
「わかってるわ。ロアンはいつもそう」
リアはごきげんななめながらも、アステルにどうやって話をしようかと真面目なことも考える。
ロアンは遠くに見える魔王城に呟く。
「アステル様、今ごろどうされているでしょうか……」
ーーーーーーー
話は、朝に遡る。
ノックの音に、リアが寝巻き姿のまま扉を開けるとルーキスが立っていた。朝から黒髪をぴっちりとまとめて、黒いスーツ姿だ。不機嫌そうにリアのことを見下ろしている。
「お父様……?」
リアは寝ぼけ眼をこする。朝から父の顔を見るのも珍しい。
「大事な話があるので、来なさい」
リアは部屋の中に戻り服を着替えたあと、まだ寝ぼけたままルーキスの書斎に向かう。
「今朝、アステル様に『シンシアとの婚約をなしにするにはどうすればいいの?』と聞かれました。貴女、何かしましたか?」
「ええっ!?」
リアは寝耳に水だ。目がぱっちりと覚める。我が身を振り返ってみる。
「……何かしたといえば、したこともあったけれど、半年くらい前だわ……婚約をなしにする? アステルがそんなことを言ったの?」
ルーキスはリアをじーっと睨んだあと、ため息をつく。
「そもそも、アステル様がシンシアを婚約者だと思い込んでいるだけで、貴女たちは婚約者ではない」
「……」
「記憶を失う前の主と貴女は恋人でも何でもなかった様子でした」
(そ、そうだけど、いちゃいちゃはしてたもん!)
リアは心の中で悔しく思う。そう。ウィローはリアにとって保護者代わりの長兄のような存在であり、リアはとてもとても恋人関係になりたかったが、そうはなりきれなかったからだ……ウィローが、ウィローのうちは。
「お父様、それをアステルに言ったの?」
「いいえ。『婚約を破棄したいのであれば、娘にお話ししたらどうでしょうか』と伝えました。すると主は『でも、ルーキスはシンシアのお父様でしょう? お父様は婚約を破棄する権限があるのではないの?』と仰いました。
しかしそもそも許可した覚えもない婚約ですので破棄するのも違うでしょう。なので『アステル様はご記憶がないでしょうが、「シンシアを連れて行くよ。大事にするよ」と言って16歳のアステル様が10歳のシンシアを連れて行ったのです。ですから、もう連れて行きたくないのであれば、シンシア本人にお話しください』と伝えると大変ガッカリされたご様子でした」
リアは話をぽかーんとして聞いている。ウィローが「大事にするよ」とルーキスに話してくれていたことも初耳だからだ。しかし次のルーキスの言葉に一気に現実に引き戻される。
「我が主は、貴女に会いたくないのでしょうね」
「な、なななんで? 昨日のお昼まで一緒にベッドでゴロゴロお昼寝するような仲良しさんだったのに……」
ルーキスは不快そうな顔をする。リアは口に手を当てる。父の前で軽率な発言だったかもしれない。
(でもお父様は私よりもアステルのほうを心配しているんじゃないかしら、ロアンと一緒で)
父、ルーキスの気持ちは相変わらずリアにはちっとも見えてこない。
「とにかく、次に会えることがあれば、アステル様とよくお話し合いなさい」
「え? ねえ、アステルは、どこかに行ったの?」
コンコン、と書斎のドアがノックされる。
「どうぞ」
ルーキスが声をかけると、ロアンが汗だくで入ってくる。ずっと走ってきたように息を切らしている。白い襟付きのシャツに茶色のズボンを履いている。
「ルーキスさん、おはようございます。リア、アステル様は?」
「私もわけがわからないんだけど、なんだか屋敷にいないみたい」
「おそらく、魔王城に戻られたのではないかと」
「戻った?」
「戻った?」
ロアンとリアは同じことを聞き返す。
「今朝方までお仕事をされていたので」
「仕事!? 魔王城で!?」
リアは飛び上がる。
(どういうこと!?)
「アステル様は新月の夜にいつも魔王城で魔物たちの嘆願を聞いていらっしゃいます」
「それってまるで、魔王みたいじゃない!」
リアは叫ぶ。
「なにか問題がありますか?」
ルーキスはしれっとしている。リアは父に怒りがわく。
(そんな大事なことを黙っていたなんて……内緒でアステルに魔王役をさせていたんだわ!)
だが、そもそも父は魔物だ。魔物側の存在だ。
ロアンは何が何だか話が繋がる。
「……ルーキスさん、そこにルーキスさんも居たんですね? 昨日の夜、そのお仕事中に、アステル様はご自分が不老不死であることに気がつかれたんですね?」
「ああ、なるほど。確かに……そんな話がでていましたね」
リアは混乱の末に、気づく。
「じゃあ、婚約破棄もそれが原因じゃない!」
「婚約破棄?」
ロアンは眉をひそめてリアとルーキスを見る。
「人間と魔物で結婚するのがよくないって思ったのよ。いかにもアステルが『思いそう』なことじゃない!」
「とにかく、アステルは魔王城にいるのね。いつだかみたいに。お父様、魔王城への転移魔法陣を書いてくださらない?」
「断る。何故それを私がしなければならないのですか?」
リアはルーキスに頼むが、返ってきたのは非常に冷たい反応だった。
「えっ!?」
「あのときは私にも利があると思ったので書いたが。シンシアは、約束を完全には守らなかった。二度目はありません」
ルーキスは娘を冷ややかに見る。
「それに、私はアステル様が魔王として君臨してくださることを望んでいる。シンシア、貴女と私は立場が違う」
「魔王城はタフィのコミューンから近い。3日も歩けばつくでしょう。
自分の足で歩いて行きなさい、シンシア」
(3日! 3日もアステルを魔王城にひとりぼっちにするの!?)
リアは髪が逆立ちそうな怒りを覚えるが。
(まあ、そりゃそうだよなあ……)
ロアンは、相変わらずの親子を交互に見つめている。
ーーーーーーー
夜になり、ロアンとリアは焚き火を囲んでいる。
アステルを探しに魔王城へ行くのは2度目だが、あのときと違うのはふたりが仕事をしていることだ。仕事をおやすみすることを周囲に伝えたあとに旅の準備をして旅装になってと……結局、出発できたのは昼過ぎてからだった。
「それにしても、婚約破棄だなんて。アステルも思いきったことを考えたものだわ」
「……おれはそれをアステル様におすすめしたいですけどね、去年の冬から」
「ちょっと、ロアン!」
リアはむすーっとしてロアンを見る。ロアンは肩をすくめる。冗談か本気かわからない。
リアは焚き火を見つめる。
「アステルは、焚き火もしたことがないわ」
「外で寝るだけですごく喜んでいたから、きっと、喜ぶでしょうね」
ロアンは微笑みながら、火に枯れ木をくべる。
「旅行って行ったことがありませんね。アサナシア教会を警戒しているので、当然のことではあるんですけれども」
「最近、教会の動きもおだやかだわ。今度、スペンダムノスに行きましょう。アステルを、ウィローの木に連れて行ってあげたいわ」
「おれ、昔、子どもの頃、遠征先でブランコに乗って楽しかったんですよね。そんな感じで、外遊びにも連れて行ってあげたいですね」
「スペンダムノスにはボートがあるわよ」
「ボート遊びも良いですね」
ロアンは微笑む。
リアは、枯れた葉っぱを火にくべる。
「アステルを無事、魔王城から連れて帰れたらの話だけどね」
「アステル様、帰ってきてくださいますかね?
帰ってきてくださらなかったら、おれも結婚するのをやめて仕事もやめて魔物になるしかないかな」
「ロアン、冗談でしょう?」
ロアンが『アステルのために全部捨てる』と言うので、リアは眉間に皺を寄せる。
(そんなとこ、ウィローに似なくて良いのに)
「リアもいつだか魔物になりたいって言ってたじゃないですか」
「私は今は、なりたくないわ。私は人間のまま、人間のアステルと結婚するの」
リアの言葉はまっすぐだ。ロアンはどう捉えたら良いのかわからず、困惑してリアを見つめる。
ーーーーーーー
……。
魔王城に、泣き声が響く。
アステルは、玉座の間の奥にある魔王カタマヴロスの部屋に引きこもって、わんわん泣いている。アステルが来るようになってから魔物たちがいろいろと用意したようで、なんだか可愛らしい部屋だ。暖かそうな絨毯が敷かれて、居心地のよさそうなクッションが置いてある。星と鳥の飾りが天井から下がっている。とても魔王の部屋とは思えない。
アステルはクヴェールタを抱えて、クヴェールタの毛布の体に泣きついている。毛布の魔物は役得だ。
「クヴェールタ、ごめんね、きみの体を濡らしてしまって……」
「大丈夫だよ。アステル様の涙は美味しいよ」
「ぼくの涙って美味しいの?」
「魔力たっぷりの味だよ」
アステルは自分の涙を手にとってなめてみるが、まったく美味しく感じなかった。
(クヴェールタは味覚がおかしいんじゃないのかな?)
アステルは一日目は泣かなかった。悲しさより恐怖が先に来たからだ。クヴェールタを被って、ふるえていた。
でも、二日目くらいからどんどん悲しくなってきてしまった。不老不死ということは、シンシアもルアンもやっぱりアステルを置いて行ってしまう。ふたりは人間だからだ。あの夢みたいになるかもしれない。それがこわい。一緒にいる、その先がこわい。
でも、本当は一緒にいたい。ふたりは、大好きな家族だからだ。なのにルアンには「ルアンと一緒にいるべきじゃないんだね」と酷いことを言ってしまった。シンシアとは会わなかったが、シンシアの父親のルーキスには「婚約をやめにしたい」と言ってしまった。
どんどん耐えきれなくなってきて、二日目の夜からアステルはわんわん泣いている。三日目のお昼の今も、涙目だ。
とてとてと足音が聞こえたかと思うと扉が開いて、猿のような魔物を先頭にちいさな魔物たちがアステルのもとに駆け込んでくる。
「アステル様! 魔王様! 大変だよ、敵襲だよ!」
「て、敵襲? 旧魔国は滅んでいる扱いの国なのに、そんなことってあるの?」
アステルは、目をまあるくする。クヴェールタの目もまあるくなり、警戒一色だ。
「まるで暴力みたいに神聖力を振るう女の子がやってくるんだよ!」
「暴力みたいに神聖力を……?」
アステルはきょとん、としたあと、笑う。
「ぼくを起こすのにおなかに神聖力をぶつけてくる女の子には、覚えがあるよ」
「シンシアだね」
目元の赤いアステルは何故か嬉しそうだ。
しゃがみこむと、ちいさな魔物たちの顔を見ながら得意げに告げる。
「敵の正体は、タフィの聖女、シンシアだよ!」
ちいさな魔物たちはざわめく。
「聖女だって!?」
「アステル様を攻撃したことがあるって!?」
「聖女! おのれ、アサナシア!」
「敵襲、敵襲! 聖女、襲来だよ〜!」