14) やきもち
アステル14歳(見た目は20歳)の春。
タフィの村はずれの納屋に、リアがカラフルな立て看板をいろいろと立てかけている。『神聖医術院』『にんげん用のお医者さん』『タフィ教の聖女がなんでも治します』『魔物の血が入っている方はご相談ください』そこにアステルが書き加える『魔王も応援しています』
「あっ 魔王って書いてる!」
「タフィの村では聖女より集客効果があるんじゃない? ぼくは正確には代役だけど、でもみんなぼくのことを魔王様って呼ぶし……アステルのことだってみんなすぐわかるよ」
(怪しすぎないか?)
ロアンは昼休みにふたりの様子を見にきて、リア手作りの神聖医術院に眉をひそめている。
なお、神聖医術院はアサナシア教会の管轄なので勝手に建てることは許されない……マヴロス大陸の通常地域であれば。しかしタフィのコミューンはアサナシア教会に認知されていない隠された土地だ。
「立地が悪すぎませんか? 神聖医術院をはじめるなら、もっと村の中の方がいいのでは?」
「誰も使っていない借りられそうな小屋ってここくらいだったんだもの。家出先の思い出の納屋だわ」
「でも何かこう、あまりにも人目につかなくて、犯罪とか起こりそうな立地じゃないですか」
ロアンはリアのことを心配しているが、リアはけろっとしている。
「タフィ村は平和だから大丈夫よ」
「ぼくがずっとそばにいるよ、ルアン」
さらっと言うアステルの横顔を、ロアンは見つめる。
(ウィローみたいなことを言う……いやいや、でもこれは、アステル様だ)
「アステル様、でも、珍しい蝶々がいたら追いかけていなくなってしまうでしょう?」
「そんなことないよ。心配? それなら、こうする」
アステルは手をかざして、リアの小屋のとなりに生えていた木を魔術で伐採する。
「わー!」
木がリアの小屋に倒れかけて、リアは叫ぶ。アステルは木が倒れ込む前に輪切りにして、小屋の倒壊を防ぐ。
「何するの、アステル!」
手づくり神聖医術院が壊されかけてリアはぷんすかとしながら、風と振動でずれたり倒れたりした立て看板を直す。
アステルは魔術で木を何本か切り倒し、加工する。リアの神聖医術院のとなりに、4本の柱で支えられた屋根つきの小さな建物をつくり、丸太でできたテーブルと丸太の椅子を置き、その椅子にちょこんと座った。
「ぼく、ずっとここにいるよ」
「なんですか、これ?」
「ぼくのお店だよ」
(東屋の形だが、小さい。座れるが、立てない。アステル様が居ることで、なんというか……祠だな……)
「お店と言ったって、何を提供するんですか」
「シンシアの神聖医術院は、魔物の血が濃い人にはしんどいと思うから、そういう人がきたら、ぼくがここで回復魔術を使うんだ」
「なるほど」
「えー! お客さん減っちゃわないかしら……」
開業前にとなりに回復魔術屋さんができたと知って、リアは嘆く。
「大丈夫だよ、先にシンシアが診察して、ぼくが必要ってなるまで、ぼくは手を出さないから。もう見た目から完全に魔物だったらここで対処するけど。シンシアの神聖医術院のじゃまはしないよ」
アステルはリアに笑いかける。
「じゃあ私が診察してる間、アステルは何をしてるの? ひまじゃない?」
「瞑想してる」
「瞑想?」
「このあいだ、シンシアが解放した魔力の馴染みが悪いってルーキスに言われたんだ。だからぼくは、新しくぼくに入ってきた魔力が馴染むようにたくさん寝たり、瞑想したりしなきゃいけないんだ」
「ふうん、そうなのね」
アステルは丸太の椅子に座って目を閉じている。小さな鳥の魔物がアステルの頭の上に止まる。ちゅんちゅん。
ロアンの頭のなかに、村の広場にある祠の中のタフィ像が浮かぶ。朝、仕事の前にみんな熱心に祈っているのだが……。
(これは、あの祠と同じではないか?)
生きた魔王の像。新たな祈られスポットになりそうだ。
「じゃあ、私は仕事に戻りますけれど……ふたりとも晩ごはんの前にはお店を閉めて、屋敷に戻ってきてくださいよ」
「はあい。可愛い生徒さんたちによろしくね」
「またね、ルアン」
のんびり手を振るリアと、瞑想したまま声をかけるアステル。
(不安だ……)
ずっとこの場にとどまっていたいが、そうもいかない。タフィの村には子どもが少ないとはいえ、先生は一人だけなのだ。平日はロアン先生は忙しいのだった。
ーーーーーーー
リアの神聖医術院は、3日くらい誰も来ずでリアはめげそうになっていたが、テイナが宣伝してくれたおかげで少しずつお客さんが来るようになった。
膝をすりむいた子どもとか、腰を痛めたおじいさんとか、足が悪いおばあさんとか、いろいろだ。
「リアちゃんに手を当ててもらうと、膝が楽になるんだよねえ」
おばあさんに感謝されて、リアは本当に嬉しい。
(ようやく、私も人の役に立てている気がするわ!)
タフィ村の教育水準をあげたいと数年前に青空教室を開いたロアンと、医術の水準をあげたいと神聖医術院をつくったリアだ。かなりタフィ村の発展に貢献しているのではないだろうか。
アステルは――存在しているだけでタフィ村のモチベーションアップに貢献していそうだ。
納屋はせまいので、ドアは晴れの日は開けっぱなしだ。窓もついているのでドアと窓を開けることで換気ができる。窓からアステルのお店が見える。神聖医術の勉強の合間に、アステルの瞑想している顔。もしくは寝顔を眺めることもできる。
リアが窓からアステルを眺めていると、視線を感じたアステルはリアに目線を向けてニコ!とした。
(アステル、今のところ、本当にずっと居てくれているわ)
アステルのお店は初日から魔物がたくさん訪れて、お年寄りもたくさん拝みにきて、やっぱりリアのお店より盛況だ……回復魔術を使ったことはまだ一度もなさそうだが。しかし、アステルのもとを訪れた人たちが(なんだこれ)とリアの可愛い立て看板を唖然と見てくれているので、神聖医術院の集客・宣伝にも役立っていそうだった。
アステルの祠(とロアンが呼んでいる)には、誰かがアステルの瞑想中に花飾りやらを飾りにきて、お供えものの食べ物や花が丸太のテーブルの上にこんもりと積まれている。
(タフィ教会の祭壇みたいになっているわ……)
「さっきのおばあちゃんが持ってきてくれたおまんじゅう、美味しいよ! シンシアも食べる?」
「……ありがとう、アステル」
窓から、アステルが謎の葉っぱに包まれた蒸しまんじゅうを渡してくれる。アステルはタフィにもし一人暮らしでも食べ物にこまらなさそうだ。
(アステルが、食べる必要があるのかもよくわからないけどね)
でも目覚めてから(カタマヴロスの影響で)食べることがとても好きなので、アステルはいろんな食べ物をもらってとても嬉しそうだ。
ーーーーーーー
リアが神聖医術院を開院してしばらくたったある日のこと。雨降りで、リアはドアと窓を閉めている。神聖医術の勉強をしながらも、神聖医術院は営業中だ。
アステルは祠でテーブルに顔をつっぷして眠っているが、雨に濡れた足音に起きる。起きるが、顔をあげずに寝たふりをしている。
(男の人が来たみたい)
黒い傘をさした体調の悪そうな男の人が、アステルに礼をして、拝む。そのあと、神聖医術院をノックする。リアがでてきて、笑顔で応対をする。
(……)
アステルは目をとじて、神経を研ぎ澄ます。魔術で足元に結界を張り巡らし、その範囲をリアの小屋まで広げる。
小屋の中の様子や会話が、アステルに手にとるようにわかるようになる。
ーーーーーーー
リアは、小屋の中で男の人とふたりきりという状況に少々戸惑っている。エルミスくらいの歳の人だ。つまり30歳前後だ。
(ダメよ、リア。老若男女、関係なく診れるようにならないと、立派なお医者さんになれないわ!)
男の人を椅子に座らせて、その前の椅子に座りリアは診察をする。風邪をひいて熱があるようだ。熱を下げる神聖医術はいまやリアの十八番なので、リアはホッとしながら治療をはじめる。神聖力をあてて熱が下がると男の人は楽になったようで、リアに感謝する。
「ありがとうございます、タフィ様」
「え、タフィ?」
リアは眉をひそめる。男の人は照れたように笑う。
「実は私……昔、蜘蛛に刺されたひとりなんです」
リアは驚いてかたまる。ウィローの言葉を思い出す。
『ぼくは、軽い気持ちできみに触ろうとしたり、きみとふたりきりになろうと画策したり、そういう人間だけを懲らしめたんだ』
(それって、今この状況って、まずくない!?)
一瞬だけ、リアはすごい恐怖にかられるが。
男の人は照れ笑いのままこう続けた。
「ですが、そのときに看病をしてくれた幼馴染とそれをきっかけに結婚しまして」
「え」
「ずっとタフィ様と魔王様にお礼を言いたかったんです。人間が神様に懸想してもよくないって教えてくださって、目を覚まさせてくださって、ありがとうございました」
「え、えっと、蜘蛛のことは本当にごめんなさいなんですけれど……よ、よかったですね?」
リアはものすごく微妙な気持ちになっている。
「いま、子どもも生まれて、幸せです。でも子どもから風邪をうつされましてね。妻一人じゃ家のことをするのが大変だから、はやく治したくて、ここまで歩いてきたんですけれども」
男の人はリアと握手しようと、手を伸ばした。
「さすがタフィ様、すぐに元気にしてくださってありがとうございま――あ、いたっ」
何もない空中から、雨に濡れたどんぐりが落ちてきて、男の人の頭に当たる。
「いた、痛っ な、何だ?」
2個、3個、そして、どさどさとどんぐりが落ちてきた。小屋の中が雨に濡れたどんぐりだらけになる。
リアは窓を開け、雨降りの景色に叫ぶ。
「ちょっと、やめてよ、アステル!」
アステルは祠のなかから、リアのことを物言いたげに見つめている。
(何、その顔)
リアは驚くが、とりあえず身内よりお客さんが優先だ。お客さんはどんぐりに立て続けに殴られた頭をおさえている。
「ごめんなさい、頭に神聖力を当て直しますね」
「いいえ、そうか……私がタフィ様に触れようとしたから、魔王様が怒ったんですね。
あはは、私も学ばないですね」
しばしのち、男の人はリアに礼を言って帰っていき、リアは笑顔で手を振る。
「またきてください。今度は奥さんやお子さんも一緒に」
「ええ、今度は妻や子どもを連れてきますね」
男の人も笑顔で会釈する。そして、アステルにも深々と礼をして帰っていった。アステルはずっと、不機嫌そうに男の人をにらんでいる。
(私のお客さんに、アステルはなんて対応なの……)
「ねえ、アステル。こっちにきて」
リアが声をかけると、アステルはもう祠のなかにいなかった。一瞬で小屋の中の隅っこに座り込んでいる。雨に濡れないように瞬間移動したようだ。
小屋の中が雨に濡れたどんぐりだらけだ。足元のどんぐりを見たあと、アステルはリアを見上げる。
「怒る? シンシア。でも、ぼくも怒っているよ」
「なんでアステルが怒っているの?」
「一瞬、シンシアの怖い気持ちが流れ込んできたんだ。あのひとを怖く思ったのに、どうして追い出さなかったの? どうして優しくするの?」
「そりゃあ、お客さんだからよ」
「お客さんは、ぼくより大事なの?」
リアは、びっくりする。膝を抱えているアステルに近づいて、アステルの顔を覗き込む。
「……私、アステルより大事なものなんて、ないわ」
アステルの青い目の中に、リアの姿が映っている。黒髪の『シンシア』だ。
「アステル、もしかして、やきもちを焼いてくれたの?」
「やきもち?」
アステルは、不機嫌そうにつぶやく。
「この気持ちが、やきもちっていうの?」
「そうだと思うわ」
「ぼく、すっごく嫌だった。ねえ、男の人を診療するのやめようよ。あの人、シンシアに触ろうとしたよ。ぼく、耐えられないって思ったんだ。だからそのあたりのどんぐりを拾って、落としたんだよ」
「握手しようとしただけよ。あの人、奥さんと子どもがいるって言ってたわ」
リアは、アステルの気持ちをなだめようとする。
「シンシアが男の人を触るのも、耐えられないんだよ」
「お医者さんは触らないと診られないお仕事だわ」
(そこはなんとか、妥協してほしい)とリアは思う。
「じゃあ、せめて密室で診るのをやめようよ。晴れた日は外で診たらいいよ。雨の日も……ぼく、雨の日も外で診れるような場所をつくるから、そこで診てよ」
アステルは手づくり神聖医術院を改築する予定のようだ。
「雪の日はどうするの?」
「雪の日は神聖医術院はおやすみだよ」
「そういうわけにはいかないわ……そしたら、この窓からアステルの祠まで紐を通して、鈴かベルをひっかけるのはどう? 何かあったら鳴らすから、こんなふうにすぐに飛んできてよ。
アステルが私を守ってくれるなら、私、とっても心強いわ」
リアがそう言うと、アステルは頷いた。
「わかった。……ねえ、シンシア、ぎゅってしてもいい?」
「もちろんよ」
座り込むアステルの胸に、リアは飛び込む。アステルはぎゅーっと、リアのことを抱きしめる。
「ぼく、シンシアに他のひとが触るのは、本当にイヤだって思ったよ。ずっとそうだった気もするよ」
「ずっとそうだったわ、たぶんね」
リアは、笑いかける。笑いかけたあとで、アステルの唇にキスをした。アステルのごきげんがすこし、治るといいな、と思いながら。思ったとおり、ごきげんは少しなおったようだ。
アステルははにかんだあと、リアの頭を癖のある髪ごと両手で軽くおさえて、唇にキスを返す。
「……さて、アステル。掃除して!」
「あー 床の掃除だあ でも、ぼくには魔術があるからね」
「たまには魔術なしでやってみるのはどう?」
「えー! いやだよ!」
アステルは眉毛をハの字にしながら、もう、指をかざしてどんぐりを集めはじめている。