12) シンシアがへんなことをしてくる
アステル13歳(見た目は20歳)の冬。
リアは、魔王の遺骸が封印された黒い魔石の浄化を進めている。アステルが12歳の初夏にはじめて成功してから、生活の合間に、ずっと続けている。
リアが神聖力をあて続けると呪いが消え、ウィローの施した封印も解かれる。しかし、ひとつの魔石を浄化するのに時間がかかり、ひと月に1つから3つの魔石の浄化が限界だ。
魔石を浄化すると、魔王の魔力はアステルに戻り、触媒として魔石に残る記憶はリアのみが読むことができる。
ウィローの目が見て、耳が聞いたことをリアは見て、聞く。ウィローの思考や感情までは読めない。また、記憶は一度しか読むことができなかった。だから、リアは記憶を読んだらすぐに白紙の本に記録をとるようにしていた。
魔石の記憶のなかのウィロー……アステル王子とシンシアは本当に仲睦まじく、周囲からも仲の良い恋人たち、仲の良い夫婦と思われていたようで……ウィローとそうなれなかったリアからしてみたら、本当に羨ましいかぎりだった。
(私も、ウィローとこんなふうになりたかったな)
そうした記憶に触れるたびに、リアはさみしさを感じた。そのあとで、思う。
(私は、アステルとこんなふうになれるのかしら?)
それも疑問だった。アステルは魔物だし、リアより精神的に、ずっと幼いからだ。
アステルに、はやく大人になってほしいとリアは思った。リアはアステルと、アステル王子とシンシア妃のように、仲睦まじく過ごしたかったからだ。
ある日、リアは大変な記憶を見てしまう。本に書くことをためらうような記憶だ。
アステルと呼ばれるウィローと、彼の妻のシンシアが――子どもを作ろうとしている記憶を読んでしまったのだ。ウィローの視点で。
リアは真っ赤になり狼狽する。言葉を失い、ひとりでベッドの上にゴロンゴロンと転がる。
(こ、これは、私が見て良い記憶だったのかしら……)
見てはダメな記憶は今までも色々あった気がしたが、これはその最たるものな気がした。
(こんな関係だったのに、ウィローはよく私と普通に……)
考えた結果、ずっと子ども扱いされていたんだなあ……とリアは寂しくなる。
ベッドの上でひとりで大の字になりながら、心の中を整理するうちに、リアは気づく。
(アステルと子どもをつくったら、その子孫がずっと続いたら、アステルは一人にならないんじゃない?)
魔物と人間の子どもの例ならここにいる。
でも問題があり――アステルは、そういう知識をまるで覚えていないみたいなのだ。
『キスより大人なことって、なに?』
きょとんとしていたアステルのことを思い出す。
(私がアステルとそういうことをしたいな、と思ったときに、誰がアステルにそれを教えるの? もしかして、婚約者だから、私が教えるの?)
リアは不安になる。リアにも大して知識がないからだ。
(でも……技術的な記憶は残っているものが多いし……感覚的な部分から、記憶を呼び覚ましたりできないのかな? アステルは「前からキスするのが好きだったよ」ってキスするようになって思い出した感じだったから……)
どこまでアステルが覚えているのか、試してみたい、とリアは思う。単純に、アステルといちゃいちゃしたいという気持ちもあった。その延長線上で、そういう雰囲気にもっていって、記憶を呼び覚ませないかな、と思ったのだ。
(だってだって、あんなことをしていたのに!)
先ほど読んだウィローの記憶を思い返して、真っ赤になりながら、リアは思う。
(ぜんぶ忘れてるってどういうこと!? 少しは、覚えていてほしいよ)
そうじゃなきゃ困る、というのがリアの本音だ。
ーーーーーーー
ある夜。ロアンはテイナと過ごすとのことで、ばんごはんのあとに先にタフィに帰って行った。
陰鬱屋敷でふたりになるタイミングはよくあったが、アズールの家でふたりきりになるのは珍しかった。
「ねえ、アステル。私の部屋で一緒に寝ようよ」
リアが声をかけると、アステルは(なんで?)という顔をした。
「……ルアンは、ぼくとシンシアが一緒のベッドで寝るのはダメだって言うよ、きっと」
「今日はいないから、怒らないわ。ねえ、私がさみしいから、一緒に寝ようよ」
リアがさみしいと知ると、アステルはニコ、とした。
「わあ、いいの? ぼくもなんだか寂しかったんだ、今日。ルアンがはやく帰っちゃったからかな」
アステルの笑顔が眩しくて、リアはよこしまなことを考えていることに罪悪感を覚える。
ふたりはベッドの上で、はじめは枕を投げたりして遊んでいる。途中からアステルのことを、リアはくすぐる。アステルはきゃはきゃは笑って、リアのことをくすぐり返す。リアが(良い感じ)と思ったところで、アステルはふわあ、とあくびをした。
「そろそろ、ぼく眠くなってきたよ。どっちがお話を読む?」
「……今日は、お話を読まないわ、アステル」
アステルは不思議そうな顔をした。
ベッドの上でふたりで横並びに座って、顔を見合わせて、アステルは聞いた。
「じゃあ、何をするの?」
「アステル、キスしてみて」
「おやすみのキスだね」
アステルは微笑んで、リアの頬にキスをした。
リアは、アステルの口にキスを返す。アステルの髪をそっと撫でる。
「アステル、大好きよ。愛しているわ」
「あ、愛って――」
唐突なリアの告白に、アステルは頬を真っ赤に染めている。
「……ぼく、シンシアのことが大好きだよ」
アステルは控えめにそう言うと、リアの手をとって、口にキスを返した。
リアはすごく嬉しい、と思う。しかし、アステルはそのあと、眠ろうと横になった。
「おやすみなさい」
横になったアステルのことを、リアはそっと押し倒す。アステルはきょとん、としてリアを見上げている。
リアは、ウィローの記憶を思い出す。
(なんで忘れちゃったの)
リアは、すごく、悔しくなる。
21歳のくせに、何もかも忘れて13歳のアステル。
(思い出してよ!)
リアは押し倒したまま、アステルにキスをする。いつだかウィローにしたように、手を恋人つなぎで繋ごうとする。
しかし真剣なリアの表情を見て、変な雰囲気になったと察したアステルは、急に怖がりはじめた。
「いやだ、なんだかこわい」
いや、と言われてリアは傷つく。ウィローもリアに押し倒されたとき「やめて」と言ったのを思い出す。
(前回は、ウィローに想い人がいたから仕方ないけど、今回は、アステルなのに)
アステルの頬に、キスをする。
思い出して、と思いながら。
「いやだ、やめてったら! シンシア!」
「やめてっていわないで、アステル! アステルは私のこと、好きでしょ?」
「好きだけど、そうじゃなくて、」
アステルは首を横に振る。
「なにか、こわいから、やめようよ!」
ーーーーーーー
ロアンは忘れ物をとりにきて、ぎゃあぎゃあなアステルの声を聞く。なぜかリアの部屋にいるようだ。
ロアンは急いでリアの部屋を開き、かたまる。リアも、突然開かれたドアにびっくりして、かたまる。
リアがアステルを押し倒している。アステルは嫌がって抵抗しているようだ。ふたりとも、寝巻き姿だ。
アステルはロアンを見るなり、起き上がり、泣き出してしまう。
「あー!」
「ちょ、ちょっと、アステル」
ロアンはリアをアステルから引き剥がす。リアをベッドからおろして床に立たせる。
リアは、こんなにロアンに冷たく睨まれたのは、はじめてだと感じる。
リアは、泣きたくなる。
ロアンは、泣いているアステルの頭を抱えてなぐさめる。とても優しく言葉をかける。
「アステルさま、ほら、大丈夫ですよ。私がきたので、もう安心ですよ」
「……シンシアが、ぼくがいやだっていうのに、こわいことをするんだよ、ルアン」
「そ……」
アステルは涙目で言いつける。
リアは「違う」と言いたいが違わない。
「大丈夫ですよ、アステル様。泣かないで。悪い悪いリアは、お外に連れて行きますからね」
ロアンは黙ってリアの手をひいて、廊下に連れて行く。
「リア」
ロアンははじめ、すごく怒っていた。しかし振り返り、リアの表情を見ると、沈黙し。長い長い沈黙のあとに、ため息をつく。
「……この、痴女」
「ち!……ちじょじゃないもん……」
今にも涙がこぼれおちそうな表情のリアの頭に、ロアンは手を置く。
「……とりあえず、話を聞いてみます。リアにもあとで話を聞きますから、居間でお茶でも飲んで待っていてください。ちゃんと仲直りできるようにしてみますから」
「! ……ありがとう」
ロアンは台所で3つ、それぞれのマグカップにあたたかいお茶を入れる。
(テイナに淹れるようになってから、おれもお茶を淹れるのが上手になってきたなあ)
ロアンはお茶のひとつを、ソファーに座って激しく落ち込んでいるリアに渡して、残りのふたつを持ってアステルのもとへ行く。
ーーーーーーー
部屋に戻ると、アステルはうとうととしていた。
「アステル様、お茶をもってきましたよ」
「ありがとう、ルアン……」
「眠いですか?」
「ちょっとね」
アステルはリアの毛布をぎゅっと握りしめている。
「眠る前にアステル様と、お話ししても良いですか?」
「うん、いいよ」
ロアンはアステルにお茶の入ったマグカップを渡す。
「シンシアのベッドの上で飲んでいいのかな?」
「良いんですよ、あんなことをする子は。盛大にこぼしてやりましょう」
「それはシンシアに悪いよ。ぼく、こぼさないように気をつける」
(あんなことがあった後なのにアステル様はなんてお優しいのだろう)
ロアンは驚く。
「ルアン、あんなことって悪いこと?」
「行為自体は、悪いことではありません。ですがあんなふうに人に無理強いするのは、とっても悪いことですね」
「ぼく、こわかった」
「こわいうちは、しなくていいことですよ」
「ほんとう?」
「ええ」
アステルは不安そうにロアンのことを見上げた。アステルが目覚めて以降、こんなに不安そうなことがあっただろうか、とロアンは思う。
「……シンシアは、きっと、お父様とお母様がしていたようなことがしたいんだね」
ロアンはアステルの言葉に、驚く。
「見たことがおありなんですか?」
「ある。こわかった。ベッドにお母様の髪が長くひろがっていて、お母様はとても苦しそうだったんだ。でも、お父様はやめないんだ。酷い人だよ」
アステルは珍しく、ウィローに似た憂いのある表情をした。マグカップのお茶を見つめている。
「ぼく、お父様みたいになりたくないんだよ、ルアン」
(これは、時間がかかりそうだぞ)
ロアンは気づく。問題の根っこが深そうなことに。
ルアンだった頃、城内の噂で聞いたことがある。ミルティア様は陛下のお手つきになった頃、陛下に気持ちがなかったという噂だ。その頃は何も思わなかったが、今思えば、とても酷い話だ。
しかし本当であれば、今、目の前にいるアステルも知っているはずで、ウィローも知っていたはずの話だ。
(しかしウィローは、別の世界でリアと夫婦だった。ウィローの口ぶりを思えば、そのときに経験があったはずだ。いったい、どうやって克服したのだろう?)
ーーーーーーー
ロアンが部屋から出たあと、アステルは寝ようとする。リアの毛布にもぐりこんで、思う。
(シンシアのにおいがする)
あんなことがあったあとなので、ものすごく気恥ずかしかった。アステルは真っ赤になり、慌てる。
(毛布を使うの、やめよう!)
アステルは丁寧に毛布をたたんで、なにもかけずに横になる。……寒い。
(こんなとき、クヴェールタがいてくれたらなあ〜)
アステルは、ため息をつく。
ーーーーーーー
ロアンは部屋から出てきて、リアに声をかける。
「リアは今日は私の部屋かソファーで寝なさい」
「ウィローの部屋じゃダメ?」
「ダメです、立ち入り禁止です」
ソファーに座るリアのとなりに、ロアンも座る。
「……私、そういう雰囲気になれば、アステルが何か思い出すんじゃないかって思ったの。キスのときみたいに。でも、ダメだった」
「そういう雰囲気にできたんですか?」
「わかんない」
「じゃあ、ダメじゃないですか」
「ほんとにね、そうだよね」
リアも、可愛いマグカップの中のお茶を眺めている。ウィローとロアンとリアの3人で、買いに行ったマグカップだ。
「……リアは大事なことを忘れています。アステル様は今、13歳だということです。13歳にすることじゃないですよ」
「忘れてたわけじゃないの。でも、見た目が20歳なんだもの……アステル、私に怒ってた?」
「いえ、怒ってはいませんでした。アステル様はお優しいので……」
(自分と違って)
正直、発見したときは本当にはらわたが煮えくり返る思いがしたのだ。アステルはロアンの宝物だからだ。そのアステルに無理強いしようとしたなんて、と。
しかしリアの表情を見て、リアにも何か考えがあって――失敗したのだな、と気づいた。もう十分に傷ついていそうな顔をしていたから、それ以上、叱れなかった。
すこし考えた末、ロアンはリアに、アステルから聞いた話は言わないことにする。ミルティアの話までしないといけなくなるからだ。その代わり『ルアン』としてできる助言をすることにする。
「小さな頃の話になりますが……アステル様は、昔から、男女ともに好意を寄せられることが多くて」
「男女ともに? だん……?」
「……それを全部跳ね除けるようにして生きてらっしゃいました。でも、中にはしつこい人もいて、アステル様は困ってらっしゃいました」
ロアンは静かにリアのことを見つめる。
「しつこい人になってはダメですよ、リア」
「アステル様は、ちゃんとリアのことが大好きですから。アステル様の精神年齢がもう少し大きくなるまで、待ってください」
「……待てないよ」
「待てなくても、待ってください」
ロアンの言葉に、リアはため息をつく。
「アステル、はやく大きくならないかな」
『リアだって急に育つように言われたら、嫌でしょ?』
ふと、リアはウィローの言葉を思い出す。
『花は時間をかけて、のんびり育つ物みたいだね。一緒に観察しようね』
(私は嫌じゃなかったけど、ウィローは小さな頃にもしそう言われたら、嫌だったのかもしれない……)
「リアは、アステル様のことを愛しているのでしょう?」
「うん、そう。愛しているわ」
「ならきっと、待てますよ」
ロアンはリアのことを、励ますように微笑む。
ーーーーーーー
ロアンのすごいところは、リアを信じてタフィに戻ったところだとリアは思った。
(ロアンは私たちも、テイナのことも大切にしてすごいなあ)
とても真似できなかった。リアはアステルのことだけで手一杯だ。
翌朝、リアは贖罪を込めてアステルの好きなものばかりの朝食を作った。
アステルのすごいところは、普通にニコニコと起きてきたところだ。そして、リアを見るなり言った。
「おはよう、シンシア。昨日は、ぼく、ごめんなさい」
「何を謝っているの?」
「シンシアがしたいこと、ぼく、できなくてごめんね」
「いいの。私こそ、本当にごめんなさい、アステル」
アステルは、リアの落ち込んだ顔を見て、しゅんとして。朝ごはんを見て、ぱあっと顔を輝かせて。そのあとで、頬を真っ赤に染めてうつむきがちになると。
「あ、あのね、シンシア。ぼく、考えたんだけど……その……」
アステルはリアから目をそらしながら、真っ赤になりながら言った。
「結婚したら、ぼく、がんばるから」
「え?」
リアは目をぱちくりとさせる。
「だって、シンシアがしたいことは、子どもをつくるようなことでしょう? 結婚する前にするのは、よくないよ」
リアはアステルの真面目さにびっくりする。
魔物なのに、魔王なのに、リアより人の道をまっすぐに歩いている。
(もしかしてウィローも、私と結婚したら私と寝てくれた? ウィローも、ものすごく、真面目だった……?)
そうなのかもしれなかった。「同意を得なさい」という言葉がもう、すごく真面目だ。あの記憶も、結婚後の記憶のようだった。
「アステル、結婚したら、こわくなくなるの?」
「こわいけれど、がんばれると思うよ」
「じゃあ、結婚しましょ! アステル」
「ぼく、まだ、13歳だよ〜! シンシアだって、15歳でしょ!?」
アステルは目をばってんにして真っ赤になっている。リアは、そんなアステルを愛おしく思う。
「わかった。待っているからね、アステル」
リアは背伸びして、アステルの頬にキスをする。
「朝ごはんにしよう」
「うん! そうしようね」
真っ赤になりながら、キスをもらった頬を触りながら、アステルはリアに微笑みを返した。