10) 宝石
ぼんやりと遠目に、ふたりで『アステルの葬列』を見たあと、ウィローはロアンに言った。
「じゃあ、行こうか」
コルネオーリの辺境領を目指すのに15歳のウィローは遠回りをした。13歳になりたてのロアンを連れて。
(今思えば、あれは旅に慣れるために、そして、おれのことも旅に慣れさせるためにやったんだな)
ウィローは、ふたりが旅に慣れた状態で『シンシア』を迎え入れることができるようにしたのだ。
今、ロアンは『アステルは12歳の誕生日の夜にウィローになった』と理解していた。それまでのアステルとルアンは、アステルがやや幼い雰囲気なこともあり、主従関係ではあったが同年代の友達のような感覚もあった。
けれど、ウィローとなってからは。心を病んでいた時期も、それを経てからも。ウィローはロアンとの間に、年齢に開きがあるような振る舞いをした。
(大人だったんだよなあ)
おそらく、本当に大人だったのだ。だから、ロアンのことをやたらと子ども扱いした。(2つ3つしか離れていないのに!)とよく思ったものだ。
1年ほどのふたり旅の間、ウィローはロアンにすごく優しかった。いつも従者のロアンを優先して動いては、ロアンが「なんでですか!」とムキになることが続いた。
ロアンはたまに思い出す。城で、お守りを大切そうに手の中に持ちながら歩いていた姿や、旅の最中、ロアンの前を歩くローブの姿を。「アステル様」「ウィロー」と声をかけると、「何? ルアン」「何? ロアン」と振り返った、やや憂いを帯びた、優しい眼差しを。
それらはもう、失われたものだ。
ーーーーーーー
「ねえ、ルアン。ぼく、きみにお願いがあるんだ」
ある朝、アステルが早起きしており、ロアンに声をかける。
「ルアンが、剣を使うところを見ていたいんだけど、良い?」
「良いですよ」
陰鬱屋敷の庭でロアンが朝の鍛錬をするのを、アステルはニコニコと眺めている。昨日、冒険ものの物語を読んでいたようなので、それで見たいと言い出したのかもしれない。
「髪と目の魔法を、解いてみてもいい?」
「良いですよ」
ロアンは、ウィローからもらった魔石で髪と目の色を変えている。一回変えるとしばらくは持つ。アステルがアステルを名乗り、金髪碧眼で過ごしている以上、ルアンがロアンとして過ごすことにどの程度の意味があるのかわからなかったが……。
(テイナと出会ったのは「薄茶色の髪に緑色の目」のロアンだからなあ……)
恋人の容姿と名前が急に変わるのってどうなんだろう、とロアンは思っていた。タフィの村人にもこの姿のロアンで通っている。もしウィローにもらった魔石が使えなくなっても、テイナや村人のために、アステルに頼んで今の容姿で過ごすつもりだ。
アステルはもう息をするように魔法が使えるので、アステルが指をかざすだけで、紺色の髪と紺色の瞳のロアンの出来上がりだ。
「すごいや、本当にルアンみたい。かっこいいよ!」
「そうでしょうか?」
ロアンは照れる。
「うん、すっごく、かっこいいよ!」
アステルは輝く瞳で、笑う。苦しいことを知らない、憂いのない瞳だ。金色の髪が、朝の光に透けて、とても綺麗だ。
ロアンはふと、アステルの髪の端に触ろうとして――そんな、敬意を欠いた振る舞いはできない、と思ってやめにした。
「アステル様の髪と目の色も、とても美しいですよ」
「え、そうかな。ルアンは知っていると思うけど、お母様の髪の色だから、兄さんたちより色合いが薄いんだ。目の色は、兄さんたちと一緒だけどね。お父様の目なんだ」
「まるで宝石みたいですよ」
「そうかなあ、自分ではわからないや」
アステルは自分で自分の髪の先に触れながら、微笑む。
ロアンにとっての今のアステルは、宝石であり、宝物だ。アステルは、もう人間ではないかもしれない。けれど、神様がロアンに返してくれた宝物だった。
アステルがウィローだった頃、ロアンはずっとウィローに守られてばかりだった――最後まで。その人が全てを失って、子どもになって帰ってきた。小さなルアンが大好きだったかつての明るい「アステル様」に戻って。なにもわからない状態で帰ってきた。
守らねばならない、とロアンは思った。
いのちに変えても、この宝物だけは。
アステルはロアンより強いかもしれないが、人の悪意を知らず、疑わない。純粋だ。
ロアンは、テイナといる時間が幸せだ。明るいテイナといると気持ちが明るくなるし、可愛らしいテイナのことを愛している。
テイナと家庭を築きたいと思っている。
一方で、アステルといる時間も、かけがえがなかった。5歳の頃からずっと、かけがえがない。アステルがウィローになり、またアステルになって。かたちが変わってきた時間だが、変わらないこともある。それは、アステルの命令は絶対だということだ。
(テイナに死ねと言われても、死ねない。でも、アステル様に死ねと言われたら、おれは死ぬ)
もちろん、テイナもアステルもロアンにそんなことは言わない。そんな話をふたりにしたら、どちらにも怒られるだろう。だから、例え話だ。
ロアンにとって、アステルはそういう存在だということだ。アステルは宝石であり、宝物であり、信仰の対象でもあった。
(そういう意味では、おれも、もう、タフィ教徒といっても良いのかもしれないな)
リアは、アステルがアステルになって早々にタフィ教徒になったが、ロアンは慎重だった。ウィローがタフィの地を嫌がっていたように、アステルがタフィでの神様扱いが嫌になって逃げたら、ついていかなければならない、と思っていたからだ。そのときにリアもロアンもタフィ教徒だと、アステルの逃げ場がないと思ったためだ。
(本当に、おれは貴方を大切に思っていますよ、アステル様)
「? ルアン、どうしたの? ぼくの顔に何かついてる?」
「いいえ、なんでもありません」
ロアンは微笑む。
アステルは不思議そうな顔をしている。
そのまま屋敷に戻ったら、リアが唖然としてロアンを見つめている。
「どうしたのロアン、その髪と目の色――なんか、なんか、なにそれ?」
(なんか、ロアンのくせに、かっこよく見えるんだけど!?)
「色の違いくらいでそんな、違いがありますか?」
「え!? もしかして本当の髪と目の色って、その色なの!?」
リアは驚いている。
「ほんもののルアンみたいでしょ!」
アステルはニコニコして嬉しそうだ。
どこかへ行こうとするアステルの楽しそうな後ろ姿を見ながら、ロアンはリアに言う。
「アステル様がお望みなら、このままで居ても良いんですけどね」
「え、ダメよ! ロアンに接するように接することができなくなるじゃない! はやく元に戻して!」
「なんでですか」
「なんでもよ!」
リアは目をぎゅっとつむりながら、なぜかぷいっと顔をそらした。