8) エルミス兄さんが来る
アステル13歳(見た目は20歳)の夏。
アズールの家の居間に、エルミスがいる。
エルミスはソファーに座り、となりに座るアステルの背中に手をまわしている。
「はー 落ち着く」
アステルの肩に頭をのせながらエルミスは言う。アステルはエルミスが持ってきた高そうな、砂糖のついたお菓子をもぐもぐと食べている。
「アステル、うまいか?」
「美味しいよ。美味しいお菓子をありがとう、エルミス兄さん」
アステルは嬉しそうに微笑む。
「アステル、お兄様って呼んでみてくれ」
「? お兄様」
もぐもぐ。
「兄上」
「あにうえ」
アステルは指についた砂糖をぺろ、と舐める。
「可愛い〜〜 なんだこの生き物は」
エルミスはアステルの膝に仰向けに寝そべり、両手で顔を覆っている。
「弟がダメになった結果、俺もダメになってしまう〜〜」
「ぼくはダメになってないよ? 兄さんはダメそうだね」
(近すぎない?)
居間の椅子に座ってふたりを眺めながら、リアはさっきからずっと思っている。
エルミスはもともと人との距離感が近いが、異様な近さだ。
(世の中の兄弟ってみんなこんな感じなの?)
アステルはエルミスが膝に頭を乗せて寝そべってきたために、手の置き場に困っているようだ。
「21歳なのに中身が13歳なのは反則だろ〜〜 あ〜〜 可愛い〜〜」
「シンシア、なにか手を拭くものが欲しいんだけど……」
アステルは困って助けを求める。
「手を舐める前に言って、アステル」
リアはアステルに濡らして絞ったタオルを渡す。
「お! アステル、手を拭くのか? お兄様が拭いてやろうか?」
「手くらい自分で拭けるよ……」
アステルは困惑しながら手を拭いている。
アステルが手を拭いたあと、エルミスはタオルを奪うとアステルの口を拭こうとする。アステルはとても嫌そうに顔をそむけている。
(エルミスはアステルを13歳じゃなくて3歳だと思っているんじゃないかしら)
「アステル、何か望みはないか? 兄さんがなんでも叶えてやるぞ! それこそ城だって買ってやる」
(いやいやいやいや)
リアは心の中でツッコミを入れる。
「エルミスさん、あまりアステルを甘やかさないで欲しいわ」
「え! うーん……」
アステルは考え込んでいる。
(ぼくのお城は、もうあるんだよね)
魔王城はアステルのものだとルーキスは言う。エルミスはそのあたりの話は知らないが。
「特にないなあ。ぼく今、すっごく幸せなんだ」
「……そうか」
エルミスは、アステルがニコニコしているのを見て、すこし寂しそうに微笑む。エルミスの微笑みにリアは、愛を感じる。
(弟は自殺したとまで思っていたんだものね)
家のドアベルが鳴り、ロアンが戻ってくる。
「ただいま、リア、アステル様――いらしていたんですか、エルミス殿下」
バチッ とエルミスから敵意のようなものが走る。ロアンがエルミスに返す視線も、冷たい。
(ん? このふたりって仲悪かったんだっけ?)
リアはすっかり忘れていたため、首を傾げる。
「アステル様、今日はアズールの市場に古本市が出ていたので、数冊買ってきましたよ」
「わ! ありがとう、ルアン」
「古本だと? アステルはもともと王子だというのに……」
エルミスはロアンのすることなすこと気に入らない感じだ。
「でも兄さん、古い本って今じゃ手に入らないものも多いんだよ。ルアンは、本を選ぶのがすっごく上手なんだ!」
アステルは嬉しそうにニコニコしている。
不機嫌な表情のエルミスに、ロアンは(勝った!)というような笑みを浮かべる。
(ロアンも煽らないで欲しいわ)
リアは呆れる。
「アステル」
「?」
エルミスは、アステルの手から本を取り上げて、机の上に置く。
「今日はせっかくお兄様が来たんだから、お兄様と一緒に遊んでくれるよな?」
「ぼく、ルアンが買ってきた本が読みたいんだけど……」
「遊んでくれないとくすぐるぞ!」
「わ、やめてー! 兄さんー」
エルミスに脇腹をくすぐられて、アステルはソファーに倒れながらきゃっきゃっと笑っている。
(絵面があやしすぎるわ)
くすぐっているだけなのだがソファーで押し倒しているように見える。見た目だけなら、成人男性ふたりで。
(でも、ふたりとも美しいから絵になるかも)
リアは両手の親指と人差し指で額縁をつくって、ふたりのことを入れてみる。
ロアンが口を開く。
「エルミス殿下、ちょっと心配なくらい距離が近いのでやめていただけますか?」
「は? 兄弟愛を止めるな 相変わらずの不敬者だな、ルアン・カスタノ」
「私はもう城に仕えているわけではなく、アステル様、個人に忠誠を誓っておりますので」
エルミスはアステルから離れて、ロアンをにらんだあと。起き上がったアステルに言った。
「アステル、兄さんにキスしておくれ」
リアとロアンはかたまる。
アステルも怪訝な顔をする。
「え、なんで?」
「なんでも。そこの男がこわいから、なぐさめておくれ」
「いいけど……」
アステルは(仕方ないなあ)と、エルミスの頬に軽くキスをする。
「アステル、お前、ルアンと俺、どっちが好きだ?」
「ルアン」
アステルは即答する。ロアンは嬉しそうだ。
(だよね〜)
とリアは思う。
「だって、いつも一緒に居てくれるのはルアンのほうだもの」
「城で暮らしたって良いんだぞ、アステル〜〜 あー 可愛い 見ているだけで目の保養になるから、連れて帰りたい……」
エルミスはアステルをハグしてめそめそしている。
「絶対ダメよ」
「絶対ダメです」
リアとロアンは意気投合する。
こんなあやしい人に大事なアステルを任せていられない。
アステルはロアンのところに歩くと、(ルアン、屈んで)と合図をする。ロアンが少し屈むと、頬にキスをする。エルミスにしたより、少し長めのキスだ。
「アステル! こら!」
エルミスが叫ぶ。
「怒るようなことですか? 貴方にもしたのに」
ロアンは頬を軽く触りながら、言う。
そのあとアステルはリアのところに歩き、今度は自分がかがむと、座るリアの口にちゅーっとキスをした。
「兄さん、ぼくが一番好きなのは、シンシアだよ」
リアは突然のことに、まっかっかになっている。
「だから、ぼくはお城では暮らさないよ」
「あー そうだよなあ。はあ……おいで、アステル」
アステルは本を手にとってソファーに戻る。エルミスはぎゅうっとアステルをななめ後ろから抱きしめる。
「弟を補充してから帰る……」
「本読んでいい?」
「いいぞ、そのかわり兄さん、おまえをハグしていてもいいか?」
「うん、いいよ」
アステルは物語に集中して、エルミスのことを考えなくなったようだ。
「エルミスさんの距離感、近すぎて不安だわ」
「まったくもって同感ですね、リア」
兄弟じゃなかったら、王子だろうと何だろうと家の外に追い出しているところだと、ふたりは思う。