11) 2周目 糸
「聖騎士試験?」
ウィローが怪訝な声を出す。
「どう思いますか?」
昼すぎて、ひと息ついている時間にロアンが聖騎士試験の話を切り出した。リアはエプロンをつけずに黒いワンピースを着て、ソファーでゴロゴロしている。ウィローとロアンはテーブルで冷たいお茶を飲んでいる。
「ここ最近、どんどん魔物が増えていますし……聖騎士となれば、受けられる依頼も増えるので」
ウィローの表情の変化にロアンは気づく。苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「もしかして、ウィローは教会が嫌いなんですか? それなら無理に受けようとは言いませんが」
「……でも、ロアンは受けたいってことでしょう?」
「可能であれば」
「じゃあ、可能だよ。場所はどこなの?」
(……それで、良いんだろうか?)
ロアンは一抹の不安を覚える。
ウィローは『自分の判断を尊重してくれる』とロアンは思う。でもロアンの判断においては『ウィロー』の優先度も高い。大切な主人なのだから、当然だ。ウィローが「教会が嫌い」というなら、ウィローに従い、聖騎士試験を受けなくても良いのだが……。
(しかし、主人が許可してくれたことを、従者が覆すのも違うだろうか……)
「クレムの街です。来月か再来月に、試験を受けてこようと思います。だいたい2週間くらいは家をあけることになるかと」
「えっ」
リアが、びっくりしたような声を出す。
「そうしたら、そのあいだ、私とウィローはふたりきりってこと?」
リアがロアンに慌てて聞く。
「……ダメ?」
ウィローが、リアに聞く。
「心配はしていますよ。リアが何かしでかして、ウィローが今度こそ人を殺めないかという心配ですけれども」
ロアンは淡々と話す。
「まあ、でもウィローは急にリアに手を出したりとか、そういうことはしないでしょうし」
「たたくってこと? たたかないよね? ウィロー」
「あはは」
ウィローはロアンとリアのやりとりに、乾いた声で笑う。
「はあ……はい、そうだね。そう思うよ」
「いまいち煮え切らないですね」
ロアンは、ウィローのリアへの想いがどういう種類のものなのかがよくわからない。正直、怖いので深く考えたくない。流石に12歳の棒切れのような体格のリアに手を出したら変態も良いところだと思うので、『そういうこと』については主人のことを信じたい、と思う。
「聖騎士試験ねえ……」
ウィローはローブの内ポケットから『お守り』をとりだして、触っている。
(あ、お守りだ、綺麗だな)
リアは眺めながら『ウィローがお守りをとりだすとき』はどういうときなのだろうと考える。
(もしかしたら気持ちが落ち着かないときなのかな、私が髪を触るときみたいに)
「それで、実技試験があることは確定なので、つきましては、お願い致します」
ロアンは立ち上がると(準備していたらしい)木でできた剣をとりだし、床に片膝をついて、座っているウィローに両手で恭しく差し出す。
「え」
「ウィローも剣が使えるの?」
リアが聞く。
「昔の話だよ、もう使えないよ……」
ウィローはすぐには剣を受け取らず、困った顔をしている。
「とはいえリアと模擬試合をするよりは……体格的にも……」
「ううーん」
ウィローは腕を組んで考え込む。
「見てみたい!」
リアは黒い瞳をキラキラさせている。
「お願いします!」
ロアンも頭を下げる。
「え〜〜」
やる気がないのはウィローだけで、他の2人は意欲満々だ。ウィローは半ば強引に、ロアンとリアに庭にひっぱりだされる。
ーーーーーーー
森へと続く裏庭で、ロアンとウィローが模擬試合をしている。一試合目は、ロアンが勝ったようだ。
「やった! 私の勝ちです!」
「痛った〜」
ウィローはロアンの剣に吹き飛ばされた木の剣をとりにいく。
「でも、ウィローもすごいわ!
ウィローって私と同じで運動神経は皆無だと思っていたわ!」
「見直した?」
「ほんのちょっと!」
リアがにっこりすると、ウィローもニコッと笑う。
「2回戦! 2回戦やりましょう!」
「運動不足のぼくと本業のロアンじゃ、結果は変わらないと思うんだけど〜〜」
「リアと試合するよりずっと楽しいですよ! ウィロー様!」
「まったくロアンは、こういうときだけ様つけるんだから……」
2回戦がはじまってすぐ、リアは草を指差してロアンに聞く。
「ねえ、これってラハニコ草じゃない? 依頼のやつ」
「そうですね!」
ロアンはリアに声をかえしたために攻撃を受けそうになり、慌ててウィローに向き直る。
「私、カゴを持ってくるわ!」
リアは意気揚々と家に向かっていく。リアの後ろ姿を目で追ったウィローが、ロアンの攻撃を受ける。
「あいたっ」
ーーーーーーー
家の裏口からキッチンに来たリアは、カゴをしまった棚に背が届かず、空の木箱を移動させて木箱に乗ってカゴを探す。薬草採集にちょうど良い丸いカゴを手にとったとき、小窓に蝶が止まっていることに気づく。
蝶は、夕方にさしかかる午後の陽射しのためなのか、金色に光っている。
(珍しい蝶だなあ)
蝶は喋る。
『シンシア』
リアに呼びかける。
『シンシア・ラ・オルトゥス
ルーキスとリーリアの娘』
リアは、蝶が喋ったことにも、その内容にも飛び跳ねる。
「その名前を言ったらいけないのよ! 探知魔法にひっかかるから! 私はもう」
リアは蝶に言う。
「ただのリアなの」
『大丈夫 私たちの声は貴女にしか聞こえないよ』
蝶はリアのまわりをひらひらと飛び、リアの人差し指に一瞬とまる。そしてまた、飛びたつ。
『シンシア おいで 助けてほしいんだ』
その声は言う。
ーーーーーーー
リーン……。
鈴の音が、ウィローにだけ聴こえる。
「待って」
ウィローがロアンの動きを制止する。
「『家のまもり』が変容したみたい」
「へんよう?」
ロアンが眉をひそめる。
「そういえばリア、戻ってこないですね」
ウィローは木の剣を地面に置くと、何も言わずに歩き始める。ロアンは迷った末、木の剣をベルトのホルダーにさすと、ウィローのあとに続く。
森には、糸が張られている箇所がある。この糸が『家のまもり』の触媒であるとロアンは以前、ウィローから説明を受けていた。家を囲むように、森を含む家のまわりに糸が張られた箇所があると。
『家のまもり』は『こちらが望まぬ者の侵入を拒み』『リア、ロアン、ウィローには危害を加えず』『敵か味方か不明なものはウィローに侵入を知らせる』ものであるということだった。
ウィローが向かったのはその、森側の糸のひとつだ。木と木の間に、ピンと張られている。
ウィローが人差し指で糸に触れると、指の腹がスッ……と切れ、赤い血が滴る。
「大丈夫ですか!?」
「なるほど、この糸だけ『逆に』もしくは『指定』されたんだ」
「逆? 指定?」
「次にここを通る誰かを、傷つけるために。悪趣味だよね、本当に」
(次に通るのが、ぼくだとわかってのことなんだろうな)
ウィローは、回復魔法で指を元に戻す。
「ウィロー! これ!」
ロアンは焦った声をあげる。
リアの髪留めが糸の下に落ちていた。ロアンが縫った白いリボンが、切られている。ロアンは地面に片膝をつくと、リアの髪留めをそっと拾い上げ、大事そうに両手に乗せる。
ロアンは、相当ショックなようだ。
ウィローも片膝をついて、あたりを見回す。
(髪は落ちていない。血痕も見当たらない。
『リア』は切られていない。『髪飾り』だけが切られた。糸の攻撃対象は『ぼくの魔力』だ。
リアは傷つけられていない。今はまだ)
また、鈴の音がウィローの耳には聴こえた。ウィローは立ち上がる。
「もうじき日が暮れるよ、ロアン」
焦燥した顔のロアンが、ウィローを見上げる。
「かならず夜明けまでに、リアを見つけないとね」