第2話 後悔と不安
ふわふわした温かいものに包まれて、ナシラは今まで体験したことのない浮遊感に心地よさを感じていた。
遠くで誰かの必死な声が聞こえるが、この心地よさには抗えない。深く深く柔らかな温かさに身を任せて、意識を手放した。
*
──ここはどこだろう?
僕は仰向けの状態で、視線の先にある木の天井を見てぼんやり考えた。
「あ、目が覚めたのね」
その声にハッとして、声のほうへ顔を向けた。
そこには背中まである青色の髪を後ろにまとめて、何か料理をしているミモザがこちらを見て立っていた。
「ミモザ……」
それをキッカケに崖から落ちた事を思い出した。
そしてここがいつも使っている山小屋だと気がついた。
「ミモザが助けてくれたんだね……」
身体中の痛みがすっかり無くなり、左足の骨折も治っているのを確認して、僕は布団から起き上がった。
「もう少し寝てたほうがいいわ。かなり怪我が酷かったから、あまり無理しないほうがいいわよ」
そう手で制すると、ミモザは土間にあるかまどの前で、何かを煮込んでいる鍋に目を戻した。
僕はいたたまれなくて、何となく布団の上に座り込んでそんなミモザの様子を眺めた。
「あの……、本当にごめんなさい……」
約束を破って危険なことをして、さらに怪我までして、山小屋まで運んでもらい、治癒までしてもらって、どうやって謝れば許してもらえるだろうかと項垂れた。
ミモザは何も言わずに料理の仕上げをして、皿によそうとスプーンを添えて僕に渡してくれた。
「その様子なら、ちゃんと反省してるんでしょう? だったらもういいわよ。とりあえず食べましょう」
そう言うと自分の分も用意して、上がりかまちに腰をかけて食事をはじめた。
野菜を数種類使ったスープの良い匂いが鼻をくすぐり、僕はすぐにスプーンを手に食べはじめた。
黙々とスープを食べていると、ミモザは先に食べ終わったようで、お皿を置いてから安心したように僕を見つめた。
「本当に無事で良かったわ」
少し目元が赤くなっているミモザを見て、僕は今回の軽率な行動を本当に後悔した。
「ミモザが助けてくれたからだよ」
僕の言葉にミモザは訂正を加えた。
「ふたりで助けたのよ」
「え? もうひとりいるの?」
僕がキョロキョロして探すと、ミモザはすっかり日が暮れた窓の外を見た。
「もう街に戻っているから、明日にでもお礼を言うといいわ。久しぶりの再会だったのにって、残念そうにしていたから、元気な姿を見せてあげると喜ぶわ」
「僕の知ってる人なの?」
「ええ、とてもよく知ってる人よ。まさかあの人とナシラが知り合いだったなんて驚いたわよ」
「あの人って?」
「ほら、珍しい宝石を運んでいる北の大都市の研究者よ」
「?」
誰のことだろうと頭を捻っていると、ミモザはニコッと笑った。
「前に話していたナシラの友達よ。スライサーの発案者の」
「えっ⁉︎ エルライがここにいたんですか?」
「ええ、なんだったらエルライがナシラを探してくれたのよ」
ミモザの話によると、エルライは山霧の大都市の取りまとめ役の人たちと大切な話があるということで、役場に来ていたらしい。
そこにミモザはお邪魔して、話が終わったエルライに声をかけ、宝石についての話などをしたのだという。その時に鍛治工房の話やエルライの出身の話などから、僕の名前が上がり、ぜひ会いたいと言うエルライを案内して、僕の家を訪ねたらしい。
しかし不在で、工房にも顔を出していないと聞いて、山に行っているのかもという話になった。
しかし、時間的に戻っていても良さそうなのに、姿が見えないのを不安に感じていたミモザに対し、エルライは探しに行きましょうと提案してくれたそうだ。
山に行く時に時々連れていく犬と共に探し回っていると、崖から落ちたと分かる状態で僕が倒れているのを見つけたのだという。
すぐにふたりで治癒をして、傷が完全に無くなったのを確認してから、山小屋まで運んでくれたそうだ。
しかし、エルライは宿屋に置いてきた宝石が大切なものだからと、先に下山していったらしい。
「明日、集会場で都市のみんなを集めて、何かやるみたいよ。それが終わったら話せるんじゃないかしら」
人前に立つことにあんなに抵抗があったエルライが、集会場に人を集めて何かやるというのが結びつかなくて、本当に自分の知っているエルライなのかと疑った。
「その、エルライはどんな風貌でしたか?」
「えーと、紫の髪に金色の瞳で、身長はわたしより少し低いくらいかしら。すごく落ち着いていて、堂々とした感じの人だったわよ」
身長は今どれくらいか分からないけど、年齢的にそれくらいあっても不思議はない。髪と瞳の色も確かにエルライと同じだから、やはり本人なのかもしれない。
しかし僕には、小さくて引っ込み思案で、いつも自信なさそうにしていた子どもの頃の印象が強くて、堂々としているというエルライに明日会うのが少し怖いような気がした。
*
翌朝、下山して土で汚れた服を洗濯していると、工房のひとりに声をかけられて、急いで広場へ向かった。
そこには人は集まっていたが、数百人程度しかいなかった。他の人に聞くと、この地区の人たちを何回かに分けて集めるらしい。それを都市内の他の地区も同じようにやるらしく随分と根気のいる作業のようだった。
遅れてやってきたミモザが合流すると、工房のみんなは揃ったようだ。
「何があるんだろうね?」
僕は集まった人々を眺めながら、何か知っていそうなミモザに声をかけた。
「噂では北の遺跡での発見に関することらしいわよ」
ミモザはそう言うと、ステージに人が現れるのを待つように前方へ目を向けた。
「何か見つかったの?」
「そうらしいわ。エルライが持ち歩いている宝石も発見のひとつみたいよ。結局わたしは見せてもらえなかったんだけどね」
少し残念そうにミモザはチラリと僕のほうを見た。
「でもこんな風に人を集めて発表するようなことなんて、どんな発見なんだろう?」
「さあ? わたしも内容は聞いていないから分からないわ」
そこで、みんながステージに注目しはじめたので、僕もそちらへ目を向けると、そこにスラリとした体つきの、淡い紫色の髪の人物が上がってきた。
──あれがエルライ……?
ステージの上で堂々と歩く姿は、自分の記憶の中のおどおどしていたエルライの姿と一致しない。
その人はステージの真ん中に立つと、みんなのほうを向いて見渡した。
そして僕の姿を見つけると、ほんの少しだが金色の瞳を細めて、微笑んだように見えた。
その柔らかい瞳は確かにエルライのものだった。