未来が見える
私は未来が見える。
なんとなく空を見つめている時や、歩いている時、人と話している時から眠っているときまで、ふとした瞬間に白昼夢のように未来が見える。
その殆どは悲劇的なものだ。
火の不始末で屋敷が火事になる。主人に折檻されて衰弱死するメイド。社会への不満を爆発させて凶行を続ける殺人鬼。
未来を見始めた頃は、難しくも面白くもない淑女教育に退屈した自分が見せた過激な空想だと思っていた。
だがある日、屋敷を歩いている時にふと既視感を感じて足を止めた。
具体的に何に見覚えがあったのかは覚えていない。階段を降りきった場所にあった花瓶の花の種類なのか、たくさんの洗濯物を抱えて階段を降りるメイドなのか、血が目立ちそうな白いタオルなのか。
ただ、私はこのメイドが階段から落ちて顔の上に花瓶が落ちる、と感じた。
そして足元をしっかり見ていなかったメイドは、階段を踏み外し、尻もちをつきながら階段を落ちていった。
振動で花瓶が揺れ、台の端へ移動していく。
私はとっさに花瓶を持ち上げた。
私の足元にメイドの顔が見える。割れた花瓶に顔を切り裂かれるはずだったその顔は、恥ずかしそうな申し訳なさそうな顔をしていた。
メイドがしきりに謝っていたが、全く聞こえていなかった。その時私は自分の力を自覚し、その興奮に打ち震えていた。私は何をするべきなのかを悟った。
悲劇が起きることを知っていて見逃すのは、この花瓶を彼女の顔に叩きつけるのと変わりはない。
私は未来を見るたびにそれがいつ起こるのか、そしてどこで起こるのかを確かめる術を身に着けていった。
時計や暦、日の高さや方向、季節の花や周囲の人間の服装で時期を大まかに確かめることに始まり、壁面のひび割れや道路の劣化具合、人間の顔の微妙な変化で誰がおよそ何歳の時に起こるのか、視界の端に写り込んだ鏡写しの地図や雑誌の発行年数を読み取る方法などなど、ありとあらゆる情報を集める方法を学んでいった。
それまでは下らないと思っていたテーブルマナーや公爵家としてのしきたりは、どの階級の人間がどのような所作や歩き方をするのかを学ぶのに役立つと気付き、真剣に取り組むようになった。
これまでの反抗的な態度に手を焼いていた家庭教師は私の変化に感動し、私に聞かれればどんな情報でも話すようになっていった。
私は人から情報を引き出す重要性を感じ、変装して屋敷を抜け出し、街に繰り出していった。
最初は、メイドの服装をして。市民の服装を学んでからは彼らの服装を真似た。
服にシワをつけ傷ませ、背筋を曲げて労働者を真似ることもあれば、服の中に綿をつめてちぐはぐな派手な格好の商人を真似ることもあった。
そしてある日、予知視で強盗をしているところを見た男を見つけた。
その男は仕事を解雇されたようで金に困っているように見えた。
だが不機嫌なのを隠しもせずに周りを威圧する態度、長年こびりついているのに落とそうともしない服の汚れ、いつもしかめ面をしていることで顔にしみついたシワ。そういった外見ににじみ出た男の精神性が、この男の業によってこうなったのだと、ありありと示していた。
この未来を私に見せた神は私にどうしろと言うのだろう。
男が金に困らないように援助する? そんなことをしても、こういう手合はなぜ最後まで面倒を見なかったのだと自分に都合の良い理由を並べ建てるだけだ。
仕事を斡旋する? こんな無能で口を開けば文句しか出てこない人間になんの仕事が務まると言うのだろうか。
……本当は私にも取るべき選択肢は一つしかないと分かっていた。だが、当時の私は幼く、力も覚悟も足りなかった。
結局、私は数ヶ月後の男が強盗をする時期に憲兵に匿名で通報を入れるしかなく、当然相手にされずに2名の死者が出た。
私はそれから言葉や視線、所作で人を操る方法を学び、暴力でねじ伏せる方法を学んだ。
私が武術を学ぶ事に父は難色を示していたが、舞の一瞬として強引に認めさせた。
並行して私は出来の悪いメイドを集めて教育をすることにした。もちろん人を動かすことの練習だ。
私には一つの考えがあった。無能な人間ほど自分のことを優秀だと思っている。そして人は自己評価と同じ評価を下す人間を好きになる。
高位の人間に能力を認められることは恋愛感情に似た心を呼び起こす。その考えを元にして接して行く内に、やがて彼らは私に失望されることを恐れ、私に認められると初心な少女のように頬を赤くした。
そうやって私は人を操る術を自分のものにしつつあったが、これでは犯罪者たちを教育するには時間と手間がかかりすぎることにも気づいていた。
その上この方法は他人に伝えて代わりを務めさせるにはあまりに高度であまりに危険すぎた。
操られた人間たちは本当に何でもやる。私は未来の凶悪犯たちを集めて蠱毒をすることを考えていたが、僅かに残っていた良心がそれを止めた。
そんなふうに私が正義の実行方法に悩んでいたときに出会ったのがロイク王子だった。
※※※※※
曲がりなりにも公爵令嬢である私には当然公爵令嬢としての義務を負っている。すなわち良家との婚姻だ。当時の私にとって同年代の子供など欲望に忠実な操りやすいコマでしかなかったのだが、彼だけは違った。
まるで何十年も生きているかのような達観した眼差し、相手を喜ばせる言葉を吐いておいて微塵も関心も好意も持っていない虚無主義的雰囲気。
なるほど、一国を預かる人間というのはここまで据わった目をしているのか。
望めば全てが手に入るという環境は、人間から何かを渇望する感情を失わさせる。
私は久々に面白い人間を見つけたと思った。
「お初にお目にかかります。ベネシュ家が長女、リアーヌと申します。お見知りおきを」
「ああ、君の噂はかねがね聞いている」
完璧な表情、延々と繰り返され続ける挨拶に倦んだ瞳。こういう人間は褒められ慣れ過ぎていて能力を認められることに関心がない。
どうでも良いやり取りは省いて直球でいく。
「あらゆるものを手に入れられる殿下が手に入らないものを教えて差し上げましょうか?」
ロイク王子の瞳が僅かに揺らぎ、挑戦的な表情に変わる。
「未来か?」
私は言おうと思っていた言葉を言い当てられて僅かにひるんだ。本当は『自由』と答えるはずだったのだ。だがすぐに気を取り直して言葉を続けた。
「そう言うと私が殿下を殺しに来たように見えますね」
ロイク王子が片眉を上げる。
「違うのか?」
「ええ今のところは」
私は肩をすくめた。
「殿下は人の言葉の先を読むのがお得意なのですね。世の中にはそんなに一国の王子に謎掛けをしかけて困らせる方がいるのかしら」
「いや、君くらいのものだよ。それでなんの話だったか」
私はにんまりと微笑んだ。
「私は未来を手にしているという話です」
ロイク王子は自嘲的な笑みを浮かべた。
「公爵令嬢の君と俺とでは未来の少なさに対した違いはないと思うが」
私は満面の笑みを浮かべていった。
「いいえ、全く違います。私は殿下と違って他人が求めている期待にわざわざ応え続けるような卑しい真似はしませんから」
ロイク王子が唖然とした顔をした。
オチたな、と私は確信した。関心を惹けたならもうこっちのものだ。
他人に求められるがままに振る舞っているような人間に求めるものができた時の変化は劇的なものだ。あとは多少焦らしてやれば手玉に取ることができる。
私はさっと身を翻して言った。
「それではごきげんよう。またお会いしましょう」