04.迷う恋心と青月の銀冠-前編-
莉音と付き合い始めたことを月村先生たちにも報告した上で認めていただいて、新年度の家庭教師の仕事も継続となり早四ヶ月。休日の午後、いつものように月村家にお邪魔して、いつものように家庭教師の仕事を終えて片付けをしていたときのことだ。
外した眼鏡をケースに仕舞っていると視線を感じ、ふと顔を上げれば、ガラステーブル越しに相対した莉音が無言で仏頂面をしていた。
「どうした?」
ただ見つめるばかりで何を言うでもない彼女は、オレをじとーっと見つめたあと、ぷいっと視線を逸らす。
「なんでもない」
「……なんでもないなら、どうしてオレは睨まれてたんだ?」
どう考えても『なんでもない』態度じゃない。でも、今日の授業そのものは特に問題ないどころか、集中もしていたし、むしろ調子が良いくらいで。不機嫌になる理由には、全く心当たりがなかった。
授業の前にあったことも思い返し、表情を観察しながら返事を待つと、莉音はやや気まずげにポツリと呟いた。
「別に睨んでたわけじゃないよ。ただ、類のハイスペ度合いを改めて実感しただけ」
「ハイスペ……か?」
自分ではピンと来なくて、疑問形になる。褒めてるんだろう言葉と莉音の態度が一致しないから尚更だ。首を捻っていると、彼女は呆れた様子で指を折りながら、列挙し始めた。
「医学部にストレートで入るくらい頭良くて」
「結構ギリギリだったな」
「剣道の段持ちで運動神経も良くて、料理も上手」
「蓮さんにかれこれ三年以上扱かれてるし」
「たまに鬼のように厳しいけど、人に勉強教えるのも上手」
「受験生の頃、陸や同級生に教えることもあったからその経験が活きてるんだろ」
運や環境、努力によるものがほぼほぼで、同じ条件下ならオレくらいのヤツはゴロゴロいるだろう。そんなオレの返答に、莉音はムッとした様子で眉を顰めた。
「顔も格好いいし、眼鏡をしたらまた違う格好良さもあるし、性格だって不器用なとこはあるけど真面目で優しいし誠実だし、これをハイスペと言わないで何をハイスペって言うの?」
ムキになった様子で、勢いよく一息で告げられた言葉の数々に思わず面食う。
眼鏡をかけていると、普段よりも莉音からの視線を割増で感じる謎が解けたと同時に、思いがけない褒め言葉にこそばゆくなる。あまり言われたことのないそれにどんな顔をしたらいいのかわからず、咳払いで誤魔化した。
「莉音からそう見えてるなら、それは嬉しいけど、客観的に見たらオレはハイスペって柄じゃないぞ? 蓮さんや陸ならまだわかるけど……」
オレのイメージとしては、ハイスペと言われる男性は、仕事もできて、女性をエスコートしたりするの含めてプライベートも卒なくこなせるヤツのことを言う気がする。
それでいくと、教師の仕事の傍らで剣道場の運営もして、合間に資金運用なんかもしつつ、趣味のアウトドアとか余暇時間もしっかり確保してる蓮さんの方がよっぽどそれらしい。
エスコートに関しては、本人は彼女いない歴=年齢がどうのこうのと言うだろうけど、その気になれば男女問わずあっという間に仲良くなれる陸の方が断然適任だろう。
――なんて考えていたら、莉音がこれ見よがしにでかいため息をついた。
「類がそんなだから、時々心配になるんだよ」
心なしか、遠回しに『鈍感』と言われた気がしないでもない。その一方、莉音が言わんとする心配という点については、オレも思うところはありすぎるほどで、小さく息を吐き返した。
「その言葉、そっくりそのまま……いや、むしろ倍増しで返す」
「え?」
キョトンと首を傾げる姿も可愛いけど、今ばかりは絆されてる場合じゃない。そもそもその可愛い容姿に要因があるのだから。
「付き合い始めて四ヶ月。莉音がナンパされてる現場や告白されてる現場に、オレが一体何回遭遇してると思ってるんだ?」
自分を棚にあげないでほしい。そんな気持ちからじとっと見つめれば、決まり悪そうに莉音の目が泳ぐ。普段なら大目に見るとこだけど、さすがにこの件に関しては幾度となく遭遇してきたのもあって、追求の手を緩めることはできなかった。
「一昨日もタチの悪いナンパに遭遇したばかりだよな?」
「……スルーはしたもん」
「一度スルーした程度で素直に引き下がるようなヤツは、そもそもナンパなんてしないと思う」
今まではどうやって撃退してたんだと思っていたものの、話を聞く限り、どうも恵茉が防波堤になっていたらしい。何なら、恵茉が卒業するまでは、恵茉とデキていると真しやかに囁かれていたのだとか。レズ説に効果があったのかはさておき、恵茉の背中に守られていた分、莉音のナンパ対処スキルは控えめに言っても下手だ。
一昨日なんかは、待ち合わせ場所でオレを待ってた時、ガラの悪い男たちにナンパされてしどろもどろになっていた。赤い痣が残るほど無理矢理腕を掴んで、品のない口説き文句を連発していた男共には、今思いだしても怒りが沸いてくる。たまたま駆けつけられたからいいようなものの、そうじゃなかったらと思うと、牽制ではなく問答無用で通報してもよかったんじゃなかろうか。
そんなことを考えるオレに対し、莉音はへらっと笑う。
「いざとなったら逃げるつもりだから平気だよ。足の速さにはちょっと自信もあるし」
「一昨日のはいざって場面だったし、一番の問題はそこじゃない」
腕を振り払うこともできなかったのに、どうやって逃げるのか。そもそも、全体的に華奢で細い身体に、男の手を振り払うだけの力があるとは思えない。それなりに運動もしている分、前世に比べたら筋肉は平均的についているようだけど、男女差や体格差をひっくり返せるほどかと言われたらノーと断言できる。
かと言って、男の手を簡単に振り払えるくらいに莉音を今すぐ鍛える、というのはあまり現実的じゃない。護身術も一朝一夕で身に着けられるものでもないし、帰りの待ち合わせは莉音の学校の前にするのが最善か……と考え込んでいると、危機感のない彼女は苦笑した。
「でも、ナンパする人が私に向けるのって、類のとは違う気がするからそう心配しなくても大丈夫じゃないかな」
「……大丈夫かは別として、違うという一点に限って言えば、一部はそうだろうな」
彼氏としての欲目もあるのは重々承知してるけど、莉音は控えめに言っても可愛い。二人で出かけると、そこそこ視線を集める方だ。そんな彼女が一人でいたら、なりふり構わずお近づきになりたいと思うヤツは、そりゃあ声をかけるだろう。そこに莉音の人間性はさして関係ない、或いは二の次の場合もありそうだ。
個人的には、出会いのきっかけとして、ナンパがありかなしかで言えば、別に諸々を否定するつもりはない。――自分の彼女がその対象じゃなくて、かつ、下心全開で相手に無理強いしないのならば、だけど。
またも思い出し怒りがこみ上げてきたところで、莉音がポツリと呟く。
「だけど、類の場合は私と同じように想う人、他にもいそうだよね……」
「……はい?」
想定外の方向から飛んできた言葉に、思考が彼方へと吹き飛んだ。けれど、今の話の根本にある原因がそれなのだとわかるまで、大して時間はかからなかった。
「言っておくけど、オレはモテないぞ?」
「ダウト!」
即座に強く否定されて目を瞬かせるオレを、莉音がじとーっと睨む。思わず尻込みすると、逃がさないとばかりに怒気を帯びた青い瞳がずいっと近付いた。
「陸先輩から聞いたもん。病院内にファンクラブができてたり、中学や高校時代はラブレターもらったり、告白の呼び出しもされてたって」
指摘されたそれに思わず固まる。ファンクラブ云々はつい先日聞いた話以外知らないし、なんで陸が中学時代の呼び出しまで知ってるのかも謎だけど、莉音の言ったことは一応事実だ。事実だけれども。
「一度だけ付き合ったこともあるけど、それを含めてもせいぜい片手で足りる程度だぞ?」
「……え」
陸から聞いてるのならばと、あまり深く考えずに返せば、何故か今度は莉音が固まる。漂う沈黙に、何かマズったかと焦り始めたときだった。
「類、彼女いたことあるの!?」
「い、一応……」
元カノのことについては聞かされていなかったらしく、莉音が勢いよく身を乗り出す。墓穴を掘ったことに背中を大量の冷や汗が伝う中、誤魔化す術もないまま正直に返すと、不貞腐れたように口を尖らせ、意味深に『ふーーーーん』と彼女はストンと腰を落とした。
オレの脳内で、イマジナリー陸が『人が敢えて黙っててやったのにバカなの?』と心底呆れ顔で曰う中、莉音がにっこり微笑む。でも、その目が笑ってなさ過ぎて、ホッとするどころか肝がキンキンに冷えるくらい恐ろしい。
「ルイスと違って、類は経験豊富なんだねえ」
「いや、そんなことは……」
「ちなみに、類が陸先輩やお友達に仲介するなって止めたあとも、そこそこ仲介頼もうとした人はいたらしいよ。陸先輩、言葉は濁してたけど、あれはたぶん片手じゃ足りないんじゃないかなぁ」
浮かんでるのは笑顔なのに、それとは裏腹に彼女の口から出てくる言葉は極寒の如し、だ。とにかく状況があまりにもよろしくない。
「ええとだな……。その、ファーストキスに限って言えば莉音じゃないが……」
莉音の整った眉がピクリと反応するけど、一番聞いてほしいのはそこじゃない。あまり言いたいことではないけど、釣り上がっていく青い瞳に腹を括る。
「その……キスより先は、まだしたことないからな、類は」
「えっ……?」
マジマジと見つめ返され、正直、火が出そうなほど顔が熱い。無言で見つめ合うこと数秒。先に口を開いたのは、視線を彷徨わせていた莉音だった。
「その……エッチなこととか、したことないの? 全然?」
「前世の記憶で見たものはともかく、実体験はない」
「え、本当に?」
信じられないとばかりに問われ、もう一度決死の思いで腹を括って、声を絞り出す。
「本当に、だ。というか、ウソでこんな恥ずかしい告白しないから」
何が悲しくて、カッコつけたい相手に童貞だと告白しなきゃいけないのかと。何なら、今すぐこの場から逃げ出したいくらい恥ずかしいというのに。
それでも、未だに懐疑的な眼差しを向けられているのは正直解せぬ。もうこうなってくると野となれ山となれの気持ちで、羞恥心をかなぐり捨てた。
「唯一付き合った元カノだって半年くらいで別れてそれっきりだしな」
「……ちなみに、元カノさんとはどうして別れたの?」
今日の莉音は痛いところを突く天才と化しているらしい。ここ最近自覚した過去のやらかし案件に、思わず口を噤む。先ほどの反応からしても、どう考えても元カノの話なんて特大地雷だろう。けど、じーっと見つめる瞳からはいつの間にか不機嫌さが消え、代わりにどこか緊張を孕んだ気迫をヒシヒシと感じた。
話すか否か迷う間も、真っ直ぐ向けられた瞳は動かず、どうやら大真面目に聞いているらしいと気付く。そんな彼女の様子に、一度大きく深呼吸をして口を開いた。
「あー……その、な。当時は好きとか付き合うとかよくわからなくて、元カノの『わからないなら試しに付き合ってみない?』って言葉に流されたとこが元々あったんだ。もちろん、自分なりには好きになるために知ろうともしたし、大切にしたつもりだけど、どうしても彼女のそれと自分のそれに対して違和感が拭えなくてな……。半年経っても変わらなかったから、中途半端な気持ちで付き合うのも失礼だと思って、正直に謝って別れたんだ」
ざっくりと説明すれば、莉音はホッとしたように小さく息を吐くと、ハッとした様子で首を横に振ると申し訳なさげに目を伏せた。この場合、申し訳なく思ってるのはオレというよりは、恐らくたぶん――。
「オレと別れた翌年には、元カノも別のヤツと付き合って幸せそうだったし、莉音は気にしなくても大丈夫だ」
「それでも、好きな人にフラれるのはきっと辛かったと思うから」
そう言われて思い出すのは、別れ話をしたときの元カノの顔だ。笑顔を浮かべながら泣いていた当時の元カノは、莉音が言うように辛かったんだろうと思う。別れ話をしたオレでさえ、彼女の涙に罪悪感を覚えたくらいだ。
「オレも、傷付けて泣かせるくらいなら別れ話なんてなかったことにした方がいいのかとは正直迷った。そんな中『気持ちがないってはっきりしてるのに、同情で付き合うとかやめてね』って言われたよ」
「……類のことよくわかってた上に、強い人なんだね」
「そうだな。ちなみに、別れ際に『栗原くんは月か慧くんを好きな人として断る方が女の子には親切かもね』とも言われたな」
苦笑いしながら告げれば、莉音は切なげな顔で呟いた。
「元カノさん、類のこと本当に好きだったんだね」
「そう、だな……。オレは真剣に向き合ってたつもりだったから、当時はそれなりに衝撃を受けたけど……元カノの最後の厳しいお節介、みたいなものだったんだろうな」
過去の自分の失敗を自覚したのは最近だし、その理由が『本気で惚れた人ができたから』な時点で、今更元カノに謝ったところでどうしようもない。願わくば、彼女も彼女を本当に見てくれる人に出会って幸せになってほしい。
そんなことを考えていたら、神妙な顔を一転させて、莉音は不思議そうに小首を傾げた。
「ところで、どうして月か慧くんなの?」
「月を見るオレの目が、恋してる人のそれだったらしい。慧に関しては、実家にいた頃、オレが看病に回ることも多くて、デートをドタキャンしたのが何度かあってな……」
「慧くんに関してはしょうがない気もするけど、そんな風に月見てたっけ?」
意味がわからないと言わんばかりに怪訝な顔で、莉音は首を捻る。オレ自身、当時はかなり戸惑ったからその気持ちはわかるけど、今なら元カノの言わんとしたことが理解できる気がした。
「そう感じるのは莉音だからかもな」
「私だから?」
「昔から月を見る度に何故か胸が締め付けられて、なのに目が逸らせなくて、惹かれて仕方なかった。それは、莉音に対する気持ちを抑えてたときのものとよく似てるんだ」
事故のときに莉音の顔を見て苦しさを感じたのも、記憶がないのにたまにリアルに聞こえたリオンの声に胸が締め付けられたのも、きっと全部理由は同じだろう。
オレを見て何か察したのか、ハッとしたように莉音が口を開いた。
「もしかして、月を見てまだ会ってもない私を探してたのかもって言ってたのってそういう……?」
頷いて返せば、青い瞳が驚きを露わに瞬く。そんな莉音の頬に手を伸ばして触れれば、以前のような苦しさはなくても、募る気持ちで胸が締め付けられるのは変わらない。だからこそわかる。月を見てずっと求めていたのは、月ではなく、莉音だったんだと。
「リックから『リオンとルイスは、何度も生まれ変わる度に想い合って、その度にずっと引き裂かれ続けた』って聞かされる前世の夢を見たときに、気付くべきだったんだ。リオンの生まれ変わりがどうとか以前に、別の人生でも記憶に関係なく惹かれたことの意味を」
「惹かれた、意味……?」
「たぶんオレは、何度も惹かれた魂を持つ人に無自覚で惹かれて、求めるんだろうな」
そう告げれば、呆気に取られていた莉音が不意にボロボロ泣き出す。どこに泣かせる要素があったかわからず、思わず引っ込めようとした手を掴まれ、戸惑う中、莉音はしきりに『ごめん』と言いながら泣きじゃくる。どうやら、何かに申し訳なさが閾値を超えたらしい。
謝られる理由がわからないまま、どうにかこうにか莉音の隣に回り込んで抱きしめ、泣き止むまでその背中を撫でた。
しばらくして落ち着いたらしい莉音は、しおしおとした様子で鼻を啜って口を開いた。
「ヤキモチやいて、意地悪言ってごめん……。類も陸先輩も、高校まで遠くの場所にいたし、出会う前のこと気にしても仕方ないって頭ではわかってるんだけど。恵茉ねえも卒業しちゃって、私だけまだ子供で、大学には咲良先輩みたいに大人な人がいっぱいいるんだろうなって思ったら、つい……」
「まぁ、ヤキモチくらい構わないけどな。……オレだって妬くし」
オレの言葉に涙に濡れた瑠璃の双眸が丸くなる。さっきのやりとりでオレがした話を忘れたのか、あれは莉音の中でヤキモチの部類に入らないのか。雑誌で読んだ女心以上に複雑怪奇だけど、これ以上泣かせるのも忍びなくて、オレはずっと言おうと思っていたそれを口にした。
「なぁ莉音、これからオレも初めてなことをしないか?」
「類も初めてなこと……? え、何?」
「ちょっと左手を出してくれ」
何を想像したのかはわからないけど、頬を赤く染めた莉音は、どこか拍子抜けした様子で左手を躊躇いなく出す。その手を前に、オレはポケットから小さな包みを取り出し、中から出てきたそれを莉音の薬指に嵌めた。
「これ……」
「効果がどのくらいあるかはわからないけど、これからオレも忙しくなっていくだろうし、いつも一緒にはいられないから、虫除けのお守り」
オレが莉音の指に嵌めたのは、少し歪んだ青い月の意匠が刻まれたシンプルな銀のチタンリングだ。莉音にはもっと可愛いデザインの方がいいか迷いつつ、別の理由から結局これに落ち着いてしまったため、正直反応が少し怖い。
祈る気持ちで恐る恐る顔を上げれば、蕩けるような笑みをこぼす莉音がいた。
「嬉しい……」
その言葉に、思わずホッと胸を撫で下ろしていると、莉音はオレと自分の左手を交互に見る。彼女が何に気付いたかなど、言われなくてもわかるから、先んじて答えた。
「ペアでつけないと虫除けの意味が半減するだろ」
気恥ずかしさを誤魔化すためにそっぽを向いたけど、莉音の指輪は今オレの左手の薬指のものと揃いのペアリングなのだから。熱を帯びた頬に、莉音の視線が突き刺さる。その気配にそーっと振り返れば、顔を真っ赤に染めた莉音は、自分の指輪を触りながら口を開いた。
「今日は珍しく類が指輪つけてたから気にはなってたんだけど、もしかして元々渡そうとしてくれてた?」
「そりゃあ、莉音に聞かれたら渡す以外なくなるからな」
「何それ」
「……こういうのを渡すには早すぎないかとか、重くないかとか、いろいろ考えてたんだよ」
最初は莉音の虫除け用の指輪を単体で探していたんだけど、ピンと来るものがない中、目に入ったのがちょっとしたギミックを持つこのペアリングで。さすがにペアリングはどうなんだと、一旦その日は保留にして帰った。けど、寝ても覚めても頭から離れなくて、結局次の日には買っていた――のがかれこれ一ヶ月前の話。いい加減今日こそはと思って、退路を断つ意味も兼ねて、慣れないながらも先に自分でつけてみた、というのがことの真相だ。……あまりにも決まらないから絶対に言わないけど。
まだギミックについては気付いていない様子の莉音は、ペアリングを見てふにゃりと微笑んだ。
「これなら、類の虫除けもばっちりだね」
「……いや、主にオレじゃなくて莉音のナンパ対策だからな?」
オレがつけたところで、その影響はせいぜいペアリングのもう片方を持つ莉音と、莉音とのことを知っている人くらいだろう。そう本心から思って言っているのに、何故か莉音は口を尖らせる。
「類はもうちょっと、自分に向けられてるものに関心持っていいと思う」
「必要があればな」
「ええー……」
莉音の言わんとするものは関心を持ったところで、オレの答えは決まり切っている。どう転んだとしても断る以外の選択肢がないものに、関心を持つ必要性は今のところ一切感じられないのだけれど、莉音はどこか不満げだ。
「それじゃ自覚できないじゃん」
「恋愛に関しては莉音のだけわかれば十分だ」
「片想いしてる人が、あの手この手で迫ってくるかもよ?」
「武道でもしてない限り、その辺の女子にどうこうされるほどやわじゃない」
そう告げれば、何を思ったのか、急に莉音は立ち上がると少し横にずれてから、オレの両肩を思いっきり押した。何が何やらわからないまま、抗うことなく転がされれば、莉音は四つん這いになって『どーだ』と言わんばかりにオレを見下ろした。
「武道の心得すらない私に、こうもあっさりどうこうされてる癖に」
「莉音が相手なら別に問題ないからな」
やってることは結果がわからないと謎なことは多いけど、蓋を開けてみれば端々に気遣いを感じる。今だって、わざわざ回り込んで立ち位置を変えたのは、オレをフローリングの床ではなく絨毯の上に転がすためだろう。
そんな恋人がオレに対して、拒絶するようなことをするとは考えにくい。何なら、場合によっては止めないといけないことはあっても、本気で拒否するほど莉音にされたくないことが思い付かない、というのが正確なところだ。それに――。
「こうして見上げるのも新鮮だしな」
素直にそう告げれば、イチゴのように顔を真っ赤に染めた莉音の口から『……バカ』と返され、オレはつい頬を緩めてしまったのだった。




