37.月夢のセレナータ
「莉音ちゃんも類も、退院おめでと~!」
そんな陸のかけ声と共に、パァンとクラッカーが方々から鳴らされる。自分に向けられて降りかかった紙吹雪と紙紐に苦笑した。
「ただの快気祝いにしてはちょっと大袈裟すぎないか……?」
「莉音ちゃんの快気祝いも兼ねてるからね。細かいことは気にしない気にしない」
笑いながら肩を組んできた陸は、オレと莉音にグラスを渡す。未成年者もいるから、グラスに入ってるのは全員ただのオレンジジュースだ。そのグラスをみんなで鳴らすと、テーブルに並べられた食べ物へ思い思いに手を伸ばす。
集まったのは、莉音と陸の他に、場所として八剣家の道場を提供してくれた蓮さん。手伝ってくれた恵茉と末菜さんに、月村夫妻、そして珍しく宝条先輩も来てくれた。……まぁ、お約束というか、マールスさんも洩れなくくっついて、だけど。
宝条先輩を紹介した後、彼女が例の薬学部の人であることを告げれば、莉音が驚き声をあげる。
「えっ!? じゃあ、あの漢方薬調べてくれたの、咲良先輩だったの!?」
開口二言目に宝条先輩が告げた『調子が狂うから普通にして頂戴』というのもあり、陸相手の時とは違い、莉音の口調は既に砕けてる。対する宝条先輩も、いつもよりほんの少し柔らかく目を細めながら、すまし顔で答えた。
「ええ。多少は効いたと聞いたし、月島くんからも粗方話は聞いたけど、もう調子は平気なの?」
「……たぶん?」
そう言って、小首を傾げる莉音に、『自分のことでしょう』と先輩の呆れた様子で息を吐く。けれど、それを気にした様子もなく、莉音はホッとした様子で嬉しそうに微笑んだ。
「そっかぁ、咲良先輩だったんだぁ……」
莉音の反応に目を瞬かせた宝条先輩は、ニヤリと笑みを浮かべる。
「あら、もしかしてヤキモチでも妬いてたの?」
「ち、ちがっ……わなくないけど」
もごもごと紡がれた言葉に、宝条先輩もオレも、僅かに面食らう。どう反応していいのかわからず、手元のグラスを傾け誤魔化すも、内側からこみ上げる熱は増すばかりで、一向に冷めない。もう一杯とジュースのお代わりを注ぐオレを一瞥した先輩が、小さく息をつく。
「心配しなくても大丈夫よ。最初から莉音しか見えてないもの、彼」
「ぶっ……!! ちょ、宝条先輩!?」
思わぬ言葉に小さく噴き出し、口元を拭う。フォローしてくれてのことだろうけれど、今この場においてそれは、オレ個人にとって諸刃の剣に等しい。
恐る恐る月村先生と安那さんたちを振り返れば、穏やかな月村先生の笑顔がやや引き攣り、安那さんは『あらあら』と楽しげだ。好感触とは断言しにくい微妙な反応に、背中を汗が伝っていく。
そんな中、オレの肩をガシッと掴んで声をかけてきたのはニヤリと笑う蓮さんだった。
「お前も隅に置けないな?」
「い、いや、これはその……」
悲しげな莉音の視線と、どこか鋭い月村先生の視線の板挟みになる。もういっそこの勢いで、先生たちに挨拶してしまおうかとまで思い始めたところで、恵茉が横からそっと蓮さんの袖を引いて言った。
「類さんが困ってるから、そのくらいにして、お義父さん」
「いや、悪い悪い、つ……い……?」
軽い調子で笑っていた蓮さんの言葉が、不自然に途切れる。あまりにも自然で気付くのに一拍遅れたオレも目を見張る横で、動揺を露わに蓮さんが動いた。
「か、唐崎、今っ……!?」
いつもと変わらない蓮さんの呼びかけに、恵茉はしばし視線を彷徨わせる。そうして、数回ほど深呼吸をすると、両手を後ろで組み、柔らかな笑みを蓮さんに向けた。
「それ、お母さんと籍を入れたら、『恵茉』ってちゃんと直してね?」
告げられた彼女の言葉に、蓮さんが泣きそうな顔でくしゃりと綻ばせて笑う。少し後ろの方にいる末菜さんを振り返れば、恵茉と同じ琥珀色の瞳から溢れた涙が、頬を伝って落ちて行く。そんな三人……特に恵茉の事情を知っている陸が、オレたちの方に向けて突然クラッカーを鳴らした。
みんなが驚いて振り返る中、彼は柔らかな笑顔と共に恵茉にウインクを返す。茶目っ気たっぷりの笑顔につられたのか、恵茉が泣きそうな顔で笑えば、月村夫妻や宝条先輩たちの手元からもクラッカーの音が鳴る。
あの悲しいクリスマスから約一月半。もっとかかるかと思っていたけれど、恵茉はそれを乗り越えたらしい。その姿に思わずホッと息をつかずにはいられなかった。
オレのそれと被るように、隣から小さく息を吐き出す声が聞こえ、ふと振り返れば莉音と目が合う。どうやら考えていたことは同じだったようで、二人で笑い合ったあと、オレたちも少し遅れて三人へクラッカーを鳴らしたのだった。
***
そんなこんなで、快気祝いが終わったあと、オレたちは二人並んで道場の縁側に座り、やや曇り気味なガラス越しに月を見ていた。
「恵茉の部屋とはいえ、よく外泊許可下りたな?」
「うん。お父さんがちょっと渋い顔してたけど、恵茉ねえのところならって」
「そ、そうか……」
今後のことを考えると、胃がキリキリ痛むけれど、月村先生は授業や実習で私情は挟まないはずだ、……恐らくきっと。そんな希望的観測を願うオレの横で、暖房を入れただけの薄暗い道場を莉音は見回した。
「八剣先生、地主さんと苗字が同じだったから親戚なのかなとは思ってたんだけど、地主さんの息子さんで、この道場の師範だったんだね」
「ああ。じいちゃんたちが田舎に引っ越したときに、蓮さんが諸々継いだらしいぞ」
「じいちゃん……」
ポツリと呟いて、何やら考え込む莉音に首を傾げる。
「どうした?」
「ううん。類先生もお祖父さんと仲がいいようでよかったなって思っただけ」
「ああ、なるほど……。まぁ、うちの両親も駆け落ち染みたことはしなかったし、挨拶に来た父さんと予想外に意気投合したとかで、仲いいからな。ルイスが見たら、顎外れるんじゃないか?」
「そんなに仲いいんだね」
前世では、半ば駆け落ちに近い形で結婚し、幼い頃に亡くなった両親のことに対し、ルイスもルイスの祖父も罪悪感を持っていた。そして、互いに相手から距離を取っていたこともあって、長年勘違いをしていたけれど、今世ではそれがない。ばあちゃんが生きていて、じいちゃんの言葉を補足してくれてるのも大きいのだろうけど、それが当たり前と呼べる今の幸せを改めて噛みしめながら、満月を見上げた。
あの事故があった重陽の節句の夜、蓮さんと二人で月を眺めたのもこの場所だった。
「敷地内だと、ここから見る月が綺麗だから、泊まるなら莉音と一緒に見たかったんだ」
「うん、本当だね。私、類先生とこうして一緒に綺麗な月を見れて嬉しい」
彼女の返事に思わず振り返れば、ほんのり頬を染めた莉音がオレを見つめていた。
「ち、違った……?」
「いや、違わない……けど、よくわかったな?」
「だ、だって、ルイスだったときの告白の言葉、月だったし……」
「……覚えてたのか」
ルイスだった頃は、本音を問われて文字通り熱でぶっ倒れる寸前、『好き』の代わりに告げたのが『月が綺麗』という言葉だった。今世では何の因果なのか、有名な作家の逸話にもあるから、伝わる人間には伝わる告白なのだけど。あまりに照れくさくて、遠回しに忍ばせたものがバレると、余計に恥ずかしいと知った。
「類先生、顔真っ赤」
「莉音だって真っ赤だろ」
オレも火を噴きそうなほど暑いけど、そう言う莉音の顔も十分真っ赤で、二人で顔を見合わせて笑いながら、肩を寄せ合う。
ルイスが抱えたもの全てをどうにかできたわけでもないし、どうして記憶が戻ったのか、その目的だって結局よくわからないままだ。それでも、もう一度莉音とこうして話せる今、それらは些細なことに思えた。
「なんか、今振り返るとものすごく濃い数ヶ月だったな」
「だね。もし去年の私に、カテキョに来てくれた医者志望の人を好きになるって伝えることができたとしても、絶対信じないだろうなぁ……」
鈴がなるように笑う莉音の言葉には、オレも同意しかない。最初の塩対応を考えても、今のこの状況は本当に奇跡だ。そしてそれは、前世と違う形でも陸や恵茉、みんながいたからこそ辿り着けた。どうしようもなく悲しいことも辛いこともあったけど、今ならそれすらも必要なことだったんだと思える。
そうして二人で振り返る中、莉音を見ていて、何となく腑に落ちたことがあった。
「オレ、子供の頃からずっと月が好きで、何でなんだろうって理由を探してたんだけど、今やっとわかった気がする」
「え?」
首を傾げる彼女の頬に手を伸ばせば、ほんのり色付く頬をそっと撫でる。そんなオレの胸に切なく疼くそれは、月を見る度に感じていたものによく似ていた。
「きっとオレは、無意識に月にリオンを重ねて、ずっと莉音を探してたんだと思う」
「私?」
「月は月神の象徴で、それは月神の愛娘と呼ばれた月巫女の象徴でもあったからな」
「そっか……」
驚きを露わに目を瞬かせた彼女に、微笑みかける。傍にいてはいけないと思っても、いるかもわからない片割れを求めていたから、あんなにも苦しく切なかったのだと思えば、納得もいく。
そんなオレの言葉に顔を綻ばせていた莉音だったが、何故か一転して眉をつり上げると、人さし指を立てた。
「あ、でも、類先生。いくら前世の私でも浮気はダメだからね」
真顔で告げられた言葉に一瞬呆けたものの、内容を理解すれば頬が緩む。『真面目に言ってるのに』と言わんばかりの彼女の額に、自分の額をコツンと当てる。
「心配しなくても、オレが好きなのは莉音だ。もう迷わない」
「……な、ならいいけど……」
青い瞳を覗き込めば、莉音は口を尖らせ、気恥ずかしげに視線を逸らす。そんな様も可愛いなと思いつつ、オレは彼女の名を呼んだ。
「ところで、莉音」
「な、何?」
「いつまでその呼び方なんだ?」
「え?」
キョトンとした様子で莉音が小さく首を傾げる。意味が伝わってないらしい彼女に、オレは重ねて言った。
「家庭教師は継続するけど、オレはずっと莉音の先生のままなのか?」
そう問えば、意味を察したのだろう、ハッとした莉音の顔が瞬く間に真っ赤に染まる。しばらく視線を彷徨わせた彼女は、おずおずと恥ずかしそうに上目遣いでオレを見上げた。
「る、類……?」
ただの先生から恋人としてのそれに変わった呼び名に、嬉しさのあまり、思わず額にキスを落とす。すると、莉音は顔の赤みを増しながら、触れた額に手を当てて、金魚のように口をパクパクさせた。
「類が陸先輩化した!?」
「……してないから」
思わず素でツッコミを入れる。『ていうか、陸先輩化ってなんだ』と思い、苦笑しながら返す。
「そもそも陸だって、お前が思ってるようなこと、ホイホイとは普段しないからな?」
「え……? だって恵茉ねえのときはして……えっ!?」
オレの言葉の意味を理解したらしい彼女は、『信じられない』とばかりに目を口元を隠す。まぁ、親友に関する誤解が解けたのはいいんだが。
「そこは二人の問題だから、さておいて、だ」
いくらオレの親友で、彼女にとってはある意味兄貴分の存在であったとしても。目の前に恋人がいるのに他の男を思い出されるのは少々、いやかなり釈然としないから、彼女の意識をオレに戻す。
「前世でも今世でも、オレに名前を呼べと言ったように、オレだって、莉音に呼ばれる名前は特別なんだよ」
「そう、なの?」
「そうなんだ」
そう言って抱きしめれば、まだそれには慣れないのか、腕の中の彼女の身体が緊張したように固まる。まぁ、オレも別に慣れてるわけではないから、心臓がバクバクいってるのだけど、それには気付いてないらしい。そんな彼女にありったけの気持ちを込めて告げた。
「それだけ莉音は、オレにとって唯一の大事な存在なんだ。今もこれからもずっと」
「ずーっと?」
「ああ、ずっとだ」
少し身体を離し、真っ直ぐ彼女の目を見てオレは言った。
「この先もずっと、莉音と一緒に生きていきたいと、オレはそう思ってるよ」
そう言えば、ぼふっという音が聞こえてきそうなくらい、莉音の顔が首やら耳まで含め、熟れた林檎のように真っ赤に染まる。
「両想いになった途端、そういうことさらっと言うのズルい……」
「嫌か?」
「ヤじゃない、けど……カッコよすぎて困るというか、心臓がもたない」
ポツリとぼやくように言って、莉音は目元まで両手で隠すけれど、オレからすれば、その反応の方が可愛すぎて困る。まだ慣れないからか、容易に熱に浮かされながら、彼女の顔を隠している両手をそっと引いた。
「莉音」
「何……んっ!?」
そっとキスをすれば、莉音が思いっきり硬直したのを感じる。離れて目を開けば、真っ赤な顔で固まる彼女があまりにも可愛くて、仕方なくて。オレは華奢な身体をそっと抱きしめた。
「莉音がオレを望んでくれる限り、もう二度と離さない」
溢れて零れ落ちた想いに、小さく頷いた莉音の腕が背中にそっと添えられ、返された温もりに喜びで頬がしまりなく緩む。ルイスにだって、この温もりを譲るなんてことはできない。そんな、誰にも譲れない唯一の温もりをもっと感じたくて、目を閉じる。
そんなオレたちを、満月の光が優しく照らしたのだった。
※ セレナータ:セレナーデ、小夜曲




