35.モルモランドの月恋紡ぎ
蓮さんや母さんと共に、月村先生から検査結果の説明を受けつつ、オレは内心で別のことを考えていた。
――ノックはしろと前世でも散々言ったのに、どうしたら治るんだ、あれは。
それは、蓮さんと母さんが駆け込むんで来る少し前、一足早く病室に駆け込んできた親友に対する愚痴。心配かけたのは顔を見ればわかったし、ただただ逸る気持ちで駆けつけてくれたのも、悪気がなかったのもわかる。それでも、着替えてる最中だったらとか、その辺くらい考えてほしい。邪魔とまでは思ってないが、飛び上がるほど莉音を驚かせたことは反省してほしいものだ。
「――というわけで、念のためもう少し経過を見て、問題なければ退院で良いかと考えています」
「ちなみに月村先生、入院の間に他も含めた全身の検査をお願いできませんか?」
「それは可能ですが、何かご心配なことでも……?」
考え事をしているうちに説明が終わったことに気付き、慌てて姿勢を正したところで、蓮さんの言葉に母さんと二人で首を傾げる。そんな中、蓮さんは笑顔を浮かべながらも、ジロリとオレを見て口を開いた。
「実は数ヶ月ほど前、コイツは転んで頭をぶつけたことがありまして……。頭の方は諸々検査していただいたとは思うのですが、全身擦り傷だらけだったので、念のため診てもらえたらと……」
「ちょ、蓮さん!? それは大丈夫だって……」
蓮さんと陸にしか話していない上に、そもそもそれは莉音との事故で遭った怪我だから、下手に探りを入れられるといろいろとマズい。焦るオレを他所に、月村先生は真剣な顔で蓮さんを見る。
「それはいつ頃のことですか?」
「去年の九月九日です」
「九月九日……。ちなみに、時間帯などは?」
「実習からの帰りと聞いたので、夕方ですね」
日付を聞いた瞬間、顔色を変えた月村先生と、無言で振り返りにっこり微笑む母さんに、オレの背中をだらだらと冷や汗が流れる。大人たちの有無を言わさぬ空気にオレは、伏せている肝心の部分が露呈しないことを祈りながら、蓮さんにした説明をもう一度することしかできなかったのだった。
***
蓮さんと母さんが帰ったあと、ドロドロの流動食だけの夕飯を済ませたあと、オレはベッドに仰向けに寝転がって独りごちる。
「明日も検査三昧か……」
携帯を取り出せば、説明のために病室を離れている間に帰った陸から、明日改めて行くというメッセージが入っていて。それに了解というスタンプを押して、送信したところで、ノックの音が聞こえた。
それに返事を返せば、開いた扉からそっと顔を覗かせたのは、看護師ではなく莉音だった。
「どうした……?」
「えっと、その……今って話せる?」
「ああ、寝るまで暇を持て余してるところだし、平気だ」
そう告げれば、ホッとした様子で莉音は病室に入ると、ベッド脇の椅子に腰かける。どこか落ち着きのない様子でそわそわと両手を弄る彼女に、小さく笑いながら問いかけた。
「昼間の続き、だよな?」
オレの言葉に、パアッと青の双眸をキラキラ輝かせ、莉音はコクコクと頷く。素直な反応が可愛らしくて、つい綻ばせそうになる顔を引き締めた。
「オレが莉音にしたかった話は二つあるんだけど……そうだな」
何からどう話そうかと改めて考えるも、やっぱり最初に言うべきはこれだろうと決めたオレは、ベッドの上で正座をして莉音に向き直る。固唾を呑んで言葉を待つ莉音を前に、オレは両手をついて頭を下げた。
「まずは酷い言葉で莉音を傷付けて、本当に悪かった。ごめん」
「ちょっ……えっ!?」
「莉音の気が済むなら、好きなだけ殴ってくれても罵倒してくれても構わない。気が済んだら、その上で聞いてほしいことがあるんだ」
土下座するとは予想もしていなかったのか、頭上で戸惑う気配がする。けれど、莉音を手酷く傷付けた自覚があるだけに、禊ぐことなく次になんて進めなかった。許して貰えなかったとしても、昼間の告白を撤回すると言われたとしても、受け入れる覚悟でじっと待つ。
しばらくすると、悩んでいたらしい莉音がおずおずと問いかけた。
「じゃあ、顔に一発だけいい?」
「もちろんだ」
そう言って顔を上げれば、どこか戸惑う莉音と目が合う。そんな彼女がいつでも殴れるように、目を閉じて待つこと数秒後にやってきたのは、ペチッという小さな音と僅かな額の衝撃だけだった。
さすがにこれが一発なわけないだろうと思ったものの、待てど暮らせどそれ以外は何も来なくて。まさかという思いで目を開ければ、莉音は苦笑しながら言った。
「一発は一発だから、これで十分だよ」
「いや、絶対にデコピン一発で済む話じゃないだろ! それで済むくらいなら、月神はわざわざ莉音を眠らせてまで――」
思わずツッコミを入れれば、『静かに』と言わんばかりに、莉音の人差し指がオレの唇に当てられる。病棟のあちこちは日常でざわめいていても、大きな声を上げれば誰に聞かれてもおかしくないのだと思い出し、口を噤む。
そんなオレから手を放すと、莉音は微笑んで言った。
「夢に助けに来てくれたとき、類先生すごくボロボロだったじゃない? 夢の中で痛みがあったかはわからないけど、すごく大変だったのは直接見てなくてもわかるから……。だからこれでいいの」
相変わらずの人の良さに、胸が詰まる。現実世界に戻ったときに痛みはなかったけど、夢の中の痛みはオレが受けて当然のものだと思っていた。何ならオレは、あれもまだ生やさしいとすら思っていたのに、ほとんど痛くもないデコピンで十分だと莉音は言う。
言葉を失うオレに対し、莉音は『それより』と半ば強引に話を切り替えにかかった。
「もう一つの話も聞かせて」
やや鼻息荒めに言う莉音の目は『何でもドンと来い』と言わんばかりだ。現実世界で最後に会ったときはボロボロ泣いていたのに、一週間ちょっとで逞しさすら感じる彼女の成長が、今のオレにはとても眩しく見えた。
そんな彼女に、オレは謝罪の次にずっと言いたかったことを告げるべく、口を開いた。
「オレは……莉音が無事で笑っていてくれたら、それでいいと思ってた」
「うん」
「いつか他の誰かを好きになって幸せになってくれるなら、それでいいと思ってたんだ」
「……うん」
やや間を置いて返ってきた相槌は、少しだけ沈んで固い。それに対し、口下手を申し訳なく感じる反面、どうしようもなく嬉しく感じる自分がいて。莉音は一体こんなオレの何がいいんだと、つい後ろを向きそうになる自分に鞭打つ。
「でも、例えそれがオレの信頼できる相手でも、実際はどうしようもなく嫌で仕方なくて……」
「……っうん」
「酷いこと言ってフッたオレがこんなこと言う資格はないかもしれないし、狡いんじゃないかとは思う。けど……」
つい俯いていた視線を上げれば、莉音は涙を溜めた目で真っ直ぐオレを見て、じっと続きを待つ。そんな彼女を前に、迷惑じゃないかとかいろいろ考えていたものが吹き飛んだ。
――莉音のことはお前に今一度預けよう。
――また我が娘を悲しませたら承知せんからな!
脳裏を過るのは、オレを信じて後を託してくれたルイスと月神の言葉。次いで、思い出したのは宝条先輩の言葉だった。
――どちらを選ぶのかを決めるのもあの子だっていうことだけは忘れないで頂戴。
この気持ちが莉音にとって害かどうかは、オレじゃなく、莉音が決めることだと思い出し、いい加減腹を括る。
「オレは……栗原 類として、リオンじゃなくて、月村 莉音が好きだ」
やっとの想いで告げた瞬間、青い瞳から涙が零れたかと思えば、オレは莉音に抱きしめられていた。病衣を濡らす涙と温もりに、オレは恐る恐る点滴の管がない腕を彼女の背中に手を回す。
「また間違えないと言い切る自信までは正直ない。けど、それでも莉音の傍にいたい。隣にいたいんだ……」
ずっと言いたくて言えなかった言葉を告げれば、莉音は抱きしめる腕を緩めて、少し離れてオレを見た。涙で顔をぐしゃぐしゃにさせる莉音の姿に、視界が涙で僅かにぼやける中、気を抜けば震えそうになる声で、それを口にした。
「ルイスみたいに強くもないし、情けないオレだけど……。それでもよければ、オレの彼女になってくれませんか?」
「……なるに決まってるのに、なんで疑問形で言うの。類先生のバカ……」
そう返す莉音は泣き笑いを浮かべながら、オレの額に自分の額をコツンとぶつけた。そんな彼女の返事が何よりも嬉しくて、これまで抑え込んでいた愛おしさで胸が一杯になる。そして、涙に濡れた瑠璃を覗き込んだオレは、心に突き動かされるまま、彼女の唇に自分のそれを重ねたのだった。
モルモランド:囁くように、呟くように




