1.幕開けのユニゾン
改稿に伴い、物語の開始時期を9月に変更いたしました。
「類、今夜はスーパームーンが見れるらしいよ」
白衣を脱ぎ、紺色のユニホームから普段着に着替えるオレにそう言ったのは、月島 陸。彼が着替えもそこそこに覗き見ているのは携帯端末だ。察するに、何かネットとかSNSのニュースにでも載っていた情報を見ての発言だったんだろう。ただその情報は……。
「知ってる。というか、ここに来るまでの間、窓から見えてただろ?」
「やー見えてはいたんだけどさ。中秋の名月は昨日だったし、なんかいつもより明るい気がする、くらいだったんだよねー」
そう言って彼は、頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
月のような金髪を地毛で持っていて羨ましい限りだと言うのに、陸は月に全く興味がないらしい。栗原、なんて月と一字も被らないオレと違って、月の字を名字に持っているのに、本当に勿体ないなと小さくため息を吐く。
「中秋の名月が必ずしも満月とは限らないし、昨日はそのいい例だ。ちなみに、スーパームーンは地球と月が最接近したときの満月、あるいは新月を指す。だから、陸がいつもより明るいと感じたなら、その時点でもう見てるんだよ」
「さっすが月オタク」
「月オタク言うな」
揶揄する陸の頭に軽くチョップを入れる。そんなオレに高校時代からの友人は、悪びれた様子もなく揶揄い混じりの碧眼でオレを見た。
「えー……だって、望遠鏡持ってる割に、月以外の天体には興味なくて。月に関することなら神話からちょっとした雑学にまで詳しいとか、立派なオタクでしょ。今日のスーパームーンのこと事前にチェックしてたみたいだし?」
「……ただ好きというか、気になるだけだ」
昔から月――特に満月が好きで、そのために昔、誕生日のプレゼントに望遠鏡を強請った。どうして好きなのかと問われれば、そこに月があるからとしか言いようがない。なんせ、自分でも何故こんなにも心惹かれるのか、全くさっぱりわからないのだから。
そんなことを考えつつ、ロッカーの荷物に手を伸ばしながら、陸に問いかける。
「ところで、陸はこのまま自主的に当直の見学でもしていくのか?」
「まっさかぁ。学外実習最終日だし、帰ってのんびり……って、ちょ、もう支度終わったの!?」
オレを見て慌てて青緑色のスクラブを脱ぎ始めた陸を横目に、空になったロッカーの扉を閉めた。
「お前がスマホを見てる間にさくさく着替えたからな。急がないと置いてくぞ」
「四十秒待って!」
「はいはい」
もはや定番となりつつある掛け合いに、思わず苦笑する。『お疲れー』と同級生たちが更衣室を出て行く中、律儀に四十秒で支度を整えた陸と一緒に正面玄関へ向かう。その途中で、今いる月村総合病院の院長で、大学の客員教授も兼任している月村先生から労いの言葉を貰いつつ、挨拶をしてオレたちは帰路についた。
九月ともなれば、日が落ちるのも少しずつ早くなってきていて。更衣室に向かうときはまだ夕焼け程度だった空には、ほんの僅かな赤を残して濃い青が広がっていた。その中でいつもより大きく輝く満月を、隣で見上げた陸は感心したように言った。
「確かにいつもよりかなり明るいね」
「あと一時間もすれば、エクストラスーパームーンの時間になるしな」
「エクストラスーパー……? 聞いた感じなんかすごそうなだけど、それ、どういう月のことを言うの?」
訝しげな表情を浮かべる彼に、改札口の方を指さしつつ、彼の問いに答えた。
「地球に一番近付く時間の前後一時間に、ちょうど満月を迎える月のことを言うんだ。そう滅多にお目にかかれるものじゃないし、加えて今日は重陽の節句だから、いろんな意味で今夜の月は貴重なんだ」
「へぇ……そういうものなんだ」
気のない生返事的に、陸は見ないで寝そうだな、と確信する。何せ今日は金曜日だし、約一ヶ月続いた臨床実習の最終日で正直オレだってクタクタだ。
それでも、今回を逃したら二度とお目にかかれないかもしれない貴重な満月。オレに見ないという選択肢は皆無だった。
蓮さんが帰って来たら、道場で月見酒と洒落込むのもいいかもしれない。陸と話ながら夜の予定を組み立てつつ、帰宅ラッシュの満員電車とは逆にスカスカの電車に乗って、都心の方に向かって移動する。数駅先で降りる予定の陸に見送られ、最寄り駅で降りて、高架から少し離れた川沿いの道を歩いた。
ワイヤレスイヤホンから流れるのは、もう生では聞くことのできない柔らかなピアノの音色。去年早逝したピアニスト――唐崎 奏佑が奏でるパルムグレンの『星は瞬く』に耳を傾けつつ、夜空を見上げる。
実家ほど空気は澄んでいないし、明かりも多い。それでも住宅街の中を北に走るこの川沿いの道ならば、背の低い戸建て住宅が多く、空が拓ける。人通りも少ないから、のんびり月を眺めながら歩くにはもってこいだ。
徐々に登っていく満月はとても綺麗で、帰ったら望遠カメラで一枚写真を撮ろうと決意する。ただ、それでも携帯のカメラで一枚は撮っておきたくて、良い感じになる場所を探り、立ち止まった。
望遠カメラのクオリティには及ばないけれど、携帯でもなかなかよく撮れていて、思わず顔がにやける。そんなときだった。
――ルイス!
やけにハッキリと聞こえたのは、少し高めの楽しげで明るい女性の声。どこか懐かしく感じる名前を呼ぶ声に振り替えるも、オレの周囲に人影らしいものはない。
「空耳、か?」
どこかで聞いたことのある声だった気もするが、思い出せない。ただその声に感じるものは、月を見るときに感じる切なさや苦しさに、どこか近いものがあった。
謎の事象に戸惑いながら、もう一度月を見上げる。すると心なしか、いつもより胸が苦しく感じたものの、その理由はやっぱりわからない。
「月を見ていると無性に胸がしめつけられる理由は、追いかけ続ければ、いつかわかる日が来るのかな……?」
無意識に満月に向かって伸ばしていた手を引っ込め、『詮ない話だ』と頭を切り替えて足を踏み出そうとしたときだった。
甲高いブレーキ音と共に、背中に固いものがぶつかる感触と衝撃が加わり、撥ね飛ばされるように前方へ倒れ込む。痛みに呻く間もなく、続けざま小さな悲鳴と共に後頭部に鈍い衝撃が走った瞬間、膨大な情報が洪水のように雪崩れ込む。
まるで誰かの一生のような映像が、一瞬のうちにオレの脳裏を過ぎ去ると、次いで襲ったのは、頭が割れそうなほどの痛み。頭痛に堪えながら首だけで振り返れば、オレの上に重なり、女の子が俯き倒れていた。
半袖のセーラー服に、赤紫色の襟と同じ色のチェックのスカート。ハイソックスとローファーを履いた足はすらりと細くて、長い黒髪をハーフアップに結んだ緑のリボンが風に揺れる。どこの学校かは知らないが、制服は大学近くでよく見かけるものだ。傍にはパステルカラーの自転車が倒れ、カラカラとタイヤを空回りさせていた。
それを見て、夜道とはいえ前方不注意が過ぎないかなどなど内心で毒づくも、音楽聴きながら歩いていたオレにも非はあるかと反省する。疲れと痛みで回らない頭で状況整理をする間、オレの上に倒れたままの人物はうんともすんとも言わない。
「あの、退いてもらえると助かるんですが……」
そう声をかけるも、相手が動く気配はない。嫌な予感を覚えつつ、そっと体をひねり起き上がるも身動きしない相手をそーっと仰向けにすれば、オレよりも年下に見える女の子の顔がそこにあった。彼女の顔を見た瞬間、さらにズキズキと頭痛が増す。
それを無視して、意識がないらしい彼女の状態を観察する。呼吸も脈も乱れはない。オレの頭にぶつかったであろう額は腫れているものの、目立った外傷もない。……はずなのに、意識を取り戻す気配がないことに焦りを覚える。実習や授業の記憶に思考を巡らせた末、肩を叩いてみたものの、微かに反応はしても目覚める気配は一向に見られなかった。
――今度こそ助けなければ。
脳裏に響いた声に突き動かされ、半ば焦り混じりで見回したところでオレの携帯が目に入り、慌てて救急車を呼んだ。
そうしてホッと一息ついたところで、ハタと自分の置かれた状況に気付く。この場合、オレと彼女はどういう扱いになるのか。
状況的には自転車の人身事故で、加害者は彼女で被害者はオレだけど、オレは頭痛こそあっても意識がある。対して、加害者側の彼女には意識がない。それを第三者視点で見た場合を考えた瞬間、痴漢冤罪などの見出しや保身の文字が頭を過った。
――彼女を助けるためにもオレは傍に居てはいけない。
また脳裏に響いた声に、傍から離れなければという感情が沸き上がる。助けなければ。離れなければ。相反する考えに頭痛はどんどん酷くなる一方で、考えがまとまらない。そんな中、最後に残ったのは医学生としての矜持――彼女を救急隊に預けるまでは傍に居なくては、という結論だった。
それから間もなくやってきた救急隊員が、オレを見てギョッと目を見開いた。
「通報にあったのは女の子というのは君……」
「違います、この子です」
食い気味に女の子を指し示せば、手際よく彼女を担架で運び込む。これでもう一安心だろうと、息を吐いたところで、救急隊員の一人がバックドアから手を差し出した。
「君も怪我をしているようだし乗りなさい」
「いえ、オレは自分で病院に行けますので大丈夫です。それよりも、彼女の意識レベルが低いので早めに二次救急病院へお願いします」
救急隊員は少し迷いを見せるも、もう一人の隊員の報告を受けると『必ず病院を受診するように』と言って、バッグドアを閉めた。
そうして、走り去る救急車を見送ったところで、自分の手を見たら思いの外、ベッタリと血がついていて納得した。頭痛が酷すぎて気付いていなかったけれど、それなりに酷い怪我をしているらしい。一難去ってまた一難な状況にため息がこぼれ落ちる。
明日も痛むようなら、転んで頭をぶつけたとでも言って病院に行こうと心に決めて、月明かりの下、オレは帰路についた。
正直、このときのオレは災難に遭遇したとしか思っていなくて、ずっと後になって気付くことだけれど。この事故こそが、全ての始まりだった。
これから語るのは、平和な現代世界に生まれ変わったオレたち――騎士だったオレと巫女姫だった彼女が紆余曲折の末にもう一度恋をして、手を取り合うまでの記録。オレと月村 莉音の、前世から続く恋の物語だ。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
当作品は、月夢シリーズの派生で、現代パロディ作品になります。
ちょっぴりファンタジーも混ざった恋物語になりますが、よろしければお付き合いくださいませ(*´ェ`*)
なお、プロローグは月夢本編をご存じない方向けのざっくり説明になりますので、本文を読んでいる最中に確認をしたいときにでもお役立ていただけたら幸いです。
もし、読んでいる過程で類と莉音の前世の物語にご興味を持っていただけたときは、シリーズリンクより月夢本編も合わせてお楽しみいただけましたら嬉しいです。
【蛇足】
本文中で類が聞いていた曲がどんなものか気になった方がいらっしゃいましたら、下記URL先の動画でお聞きくださいませ。
[ https://www.youtube.com/watch?v=Ws-lgbib70Q ]




