*永遠の代償
まあ、なんて綺麗なお人形さん……。本当の人間みたいねえ……あなたを造った「お人形の職人」さんは、ずいぶん腕が良かったのねえ……。
「え、お人形……? いえいえ! 私は活き人形ではありません! 『土地のメルヘン研究家』というやつでして……!」
……あら、あらやだ、ごめんなさいね? あんまり綺麗なひとだから、わたしてっきりお人形だと……!
「ふふ、またまた、お上手ですね!」
ううん、全然お世辞じゃないわ! 絹糸みたいな長い黒髪、宝石めいた赤と青のオッドアイ……そうしてあなた、旅人さん? 土地のメルヘン研究家って、とても珍しいご職業……!
「ええ、色々な土地の『話』を探して、あちこち旅して回るんです。旅して回っては、集めた話をあちこちで語り路銀を稼ぐ……。まあ『歌わない吟遊詩人』みたいなものでして!」
まあ、本当に珍しいご職業……。それにしても、こんな荒れた土地までいらっしゃって、良いお話はあったのかしら?
「いやぁ……それがいまいち不漁です!」
あらあら、そうなの? 困ったわねえ……。ああそうだ、それならわたしが一つお話をしてあげましょうか。お人形と間違えちゃったこと、そのお話で許してね。
さあ、まずはごらんなさい。この崖の下に広がる海を……この海はひどい酸性でね、そんな特殊な環境を好む、特殊な生物が生きているの。そうしてそれ以外の生き物たちは、落っこっちゃったら「ジ・エンド」よ。
なんでも昔、「海中に棲む魔神」を退治した時から、魔神の血液が水に混じって酸性になったってことだけど……もちろんそれは伝説よ。科学的な理屈も、ちゃんとあるにはあるのだけど……昔学校で習ったけれど、もう忘れてしまったわ。
そうしてこの荒れた島は、ドーナツの穴みたいなものなの。簡単に言うと、酸の海が「穴あきドーナツの形」をしていて、この島はドーナツの穴の部分にあたるのよ。だから本当は「海」というのは間違いだけど……。
とにかくそんな凄まじい環境なものだから、めったにこの島には外部の人はやって来ないの。島から外に出ていく人もほとんどいない。
そんな荒れた島に生息するのが、わたしのような「神茜」という生き物なの。
神茜は赤い肌をしていて、不老長寿の生き物なの。……昔この島に流された罪人の子孫が、特殊な環境の中で特殊に進化したそうだけど。
神茜は罪人の子孫だけど、その気になればいつまでだって生きていける。子どもさえ産む気にならなければね。
わたしたち神茜の子どもは、決まって男女の双子なの。そうして子どもを産んだとたん、親の「老化」が始まるの……そのあと一月も経たないうちに、親の神茜はふたりとも干からびて死んでしまうのよ。
「それは……それは、いったいどうして?」
……おかしなことを聞くわね、あなた。子どもの分、土地にスペースを空けないと、このせまい土地が神茜であふれ返ってしまうじゃない。だからきっと「進化の過程」でそんな変化をとげたのね。
そうしてそんな生き物のわたしは、百年前に恋をした……もちろん相手も神茜だった。
互いに好き合って結婚するとき、ふたりは固く誓ったの。『子どもは絶対作らない』って。その気になればいつまでだってふたりで生きていけるんだから、互いに命を縮めるような真似はしないって。
「……それは、ふつうの価値観ですか?」
いいえ! 多くの神茜は、命と引きかえに子どもを遺す方を選ぶわ。本当は彼も子どもはほしそうだった。けれどわたしがうんと言わなかったの。だってずっと彼とふたりで生きていきたかったんだもの。
決断のせいで周りから異端あつかいされたけれど、それから百年わたしは本当に幸せだった。彼も心からわたしのことを愛してくれた。そうして百年目の結婚記念日が近づいた時、彼はわたしにこう告げたの。
「僕は島の外に出る。外に出て、大陸にしかないという『青いダイヤ』をおみやげにして帰ってくるよ」
彼はダイヤを百年目の記念日に、指輪にしてプレゼントしてくれるって言ったのよ。
わたしは止めたわ。今なら酸にも溶けない船が出入りして、外と行き来はできるけど、この強酸の海を渡るのだもの。「もしも何かあったら」って止めたけど、彼は行くって聞かないのよ。
大丈夫ってふり切って、彼はこの前出航したのよ。そうして帰ってこなかった。
なんてこと、出来たてのぴかぴかの船は整備不良で、船底に小さな穴が開いていたのよ。そこから船は酸漬けになって沈んでしまった。いくら彼が神茜でも、強酸に浸かってはひとたまりもないわ。彼は死んでしまったの。溶けて死んでしまったの。
……今日がその、百年目の結婚記念日にあたるのよ。
今は後悔しかないわ。どうしてもっとちゃんと止めなかったか。それ以上に、子どもを作らなかったこと。
彼とわたしが死んでも、子どもさえいればわたしたちのいた足跡が遺るのに、もう彼のなごりはどこにもない。
使っていた食器やカップ、そんなものはすぐに壊れてなくなるわ……わたしたちは長寿にかまけて、「本当は一番大事なこと」を置き去りにしていたんだわ。
だからもうわたしはこれで良いの。わたしもこれでおしまいにするわ。最期に話を聞いてくれてありがとう、優しいメルヘン研究家さん。
わたしも彼のところに行くわ。
酸に溶けてなくなって、天国で子どもを作りましょう……。
* * *
そう言い残し赤肌の女性は、酸の海へと身を投げた。止める間もなかった。女性はむしろ嬉しげに、躍るように落ちて……落ちて……おちて。
崖からのぞくと遠くとおく底の方で、小さな水しぶきがあがった。そうしてそれきり、海は臭いをあげながら波をしぶかせるだけだった。
私はしばし目をつぶって祈りを捧げ、弔いの足取りで歩き出した。淡い神茜の恋歌を、小さな声で語り出しながら胸に誓った。
永遠に色褪せぬ宝石のような一生を生きながら、愛の結晶を遺せなかった神秘の生き物……。そんな悲しいふたりのために、この話は百年先も、その先も話し続けよう。そう念じながら島を歩いた。
荒れた土地に咲く小菊のような白い花が、目に染みるほど美しかった。
* * *
そうしてふっと気がつくと、タルトとスグリは「夢と夢とのあわい」にいた。
スグリの大きな手の中に、青いルースのダイヤのような「夢の欠片」が光っている。夢魔の青年はのぞき終えた誰かの夢の小塊を、つるりと一口で呑み込んだ。
それから何か思わせぶりに微笑うスグリに、タルトはつなぐ手にちょっと力を込めて、訊ねようと口を開く。
(いったい誰なの、「土地のメルヘン研究家」って? さっき夢で見た綺麗すぎるお兄さん、スグリ、あなたにそっくりだったわ!)
そう言おうとしたくちびるに、スグリの指先が口づける。はっとして口をつぐんだタルトのほおに、じわじわと熱が上がっていく。夢魔の青年は無言で微笑い、己のくちびるにおのれの指を押し当てる。
「……さあ、そろそろ行こうか、次の夢に……なんたってぼくは『食いしんぼうの夢魔』だから!」
いたずらっぽくはにかんで手を引く青年の横顔は、何だか妙に懐かしくて。
(――それこそ、夢で見たのかしらね?)
とりあえずそういうことにして、タルトも手ごと自分を委ねた。
だってこの旅は楽しいから。ベットに寝たきりの現実より、ずっと「リアル」で心が揺れて、今はそれが全てだから……!
青年と少女、昨夜まで他人だった二人は兄妹のようにはにかんで、次の夢へと飛び込んだ。