☆旅もそろそろ十年目
……いやいや、本当にごちそうさまでした。
いやしかし、私は実に幸福ですな。旅のとちゅうで出逢った方と気が合って、お家に呼ばれてお茶とお茶菓子をごちそうになってしまうなんて……。
いや、まことに美味しかった! 花の香りの桃色のお茶もさることながら、この「食べられる宝石」は何とも素晴らしいですな!
見た目が宝石に似たお菓子、琥珀糖とも違うらしい。このがりがりした触感が何とも本物の宝石らしく、色もとりどり、食べていると華やかな気持ちになってきますな!
「ふふ、良かったわ……あなたの『最後の晩餐』を、そんなに喜んで食べてもらえて……!」
――はい? これは妙なことをおっしゃる、いったい全体どういう意味で?
「ふふ、今まで黙っていてごめんなさい……実はアタシは魔物なのよ! しかも人を食う魔物なの! この綺麗なお菓子は毒がある本物の宝石を、魔法で食べられるようにしたものなのよ!」
……ははあ、なるほど……つまりあなたは私を殺してむさぼり食おうと、美しい食べ物にまぎらかして毒を盛ったと言う訳ですか……!
それはそれは、あなたの方こそ災難でしたな。実は私も魔物なのです。しかも私は「魔物を食らう」魔物でしてな。それも今ははらぺこなんです。
「――え? ちょっと待って、そんなのアタシ聞いてないわよ……!」
やあ、それはそうです、言っておりませんでしたから……実は最初から分かっていたんです、においであなたが魔物だと……。しかしね、まさかごちそうになった相手を食うとは、そんな道に外れたことは出来ないと……、
「そ、そう、そうよね! アタシあなたにごちそうしたわ、美味しいお茶までふるまったわよ! まさかアタシを食べるだなんて……!」
やあ、確かにごちそうしていただきましたね。「とびきりの毒入りのお菓子」をね……!
「ま、待ってよ、アタシたちおんなじ魔物じゃないの! 人間だと思ったから毒入り菓子なんてふるまったけど、おんなじ仲間なら話は別よ! お、お友だちになりましょう、アタシたち!!」
そう、そうですな! 私も最初はそう思っていましたが、あなたの方が先に私を食おうとしていたと知った今、お友だちとはしゃらくさい。こんな可愛らしいお茶菓子で埋まらん胃のスペースを、あなたで埋めさせていただきましょうか。
しかし鼻のきかないというのは不便極まりないですな。あなたもにおいで「私の正体」に気づいていれば、こんな馬鹿なことを企まなかったでしょうに……。
「……く、くぅう……こうなればもう、イチかバチか――っ!!」
ヤケになって立ち向かっても無駄ですぞ! 実は私は「食べた物の特徴を百倍にしてコピー出来る体質」でしてな! ほらほら、見る間にこれほど体がふくれ上がって硬くなって、こんな岩石のゴーレムのように!
この腕であなたの華奢な頭をこうして一発殴りつければ! ……ほぅら、ね? 痛いと感じる間もなく、息が絶えてしまったでしょう?
では、改めていただきます。
うう……うぅむ、この肉は何とも美味い……! さすがは花の香りのお茶と、お菓子のような宝石をふだんから食べつけているだけのことはある……。何とも上品な味と香り、そしてふくよかな脂の甘み……! これは何ともたまらんな……!
……ふう、ごちそうさまでした。それではそろそろ旅を再開するとしようか。故郷を発ってもうじき十年目になるが、節目の年にこれだけ美味しいものが食べられれば、この後も元気に旅が出来そうだ!
* * *
「……あら、目が覚めた? 旅はどうだった?」
「うん、ママ。さっきね、また魔物を食べたよ。美味しかったよ、本当に……」
起き抜けと薬でひどくぼうっとした瞳で、十歳の少年は母に夢を報告する。
母親は何も言わずにあきらめたように微笑んで、少年の小さな口に流し込むために、林檎のすりおろしをいつものように作り始めた。さりさり、さりさり、おままごとのようなおろし器でリンゴは白くおろされていく。
すりおろすそばから酸化して黄ばんでゆくもろもろになったおろしリンゴを、母親は優しくガーゼでくるんで汁をしぼる。その手つきをぼんやりとした目で眺めながら、少年は二三度ゆっくりとまばたきした。少年の心は、いまだ夢の世界に遊んでいる。
夢は、きっと救いなのだ。
おそらくは少年が生まれてすぐに見るようになった、夢の中での魔物の旅。それはきっと、現実に絶望しないための、文字通り彼の「夢」なのだ。
実は少年の夢と、どこかでの現実がリンクしているとか……。考える余地が色々あっても、それはあくまで想像にすぎず、夢はいつまでも夢でしかない。
そんな夢でも、少年の心が生きる糧になるならば、母親にも「そんなことあるものか」と否定する気などまるでない。
「はい、出来たわよ……大丈夫? 自分で飲める?」
少年は微笑してうなずいて、リンゴの汁の入ったプラスチックのおわんをそっと受け取った。
生まれつきひどく体が弱く、一度たりとも自分の足で歩けたことのない少年。その少年は、わずかに口に出来る食物のひとつ、リンゴの汁を儀式のように飲みほした。
飲み終えて舌なめずりをしたのは、決して果汁のためではない。眠りの中で味わった、生肉の美味を思い返したからだった。
またしばしばと眠そうに目をまばたいた少年に、母は何も言わずにていねいに歯を磨いてやり、また横にならせて白いふとんを優しくかける。
夢と、現実と。
好きな方に生きれば良いのよ。ただ、生きてさえいてくれれば。
そうささやいた母の言葉は、少年の耳には届かない。……また眠りについた少年のひたいを撫でてやり、年若い母はふっと病室の窓から外を見る。枯れきった桜の木に幻の花を咲かせるように、白く初雪が降り出した。
「…………――!!」
母親は思わず我が目を疑った。ぐっと空がかげるように暗くなり、岩石の塊のような巨人が、窓からこちらをのぞいたのだ。巨人の目は火のように赤く恐ろしく、それなのに妙な懐かしさを感じさせた。
巨人はまるで聞いたこともない言語で、何ごとかごつごつと口にする。それなのに、若い母にはその言葉が全てはっきり理解できた。
『おやおや、病室に男の子とお母さんと二人かな? 魔物ほど腹の足しにはなるまいが、おやつにはちょうど良いかもな。……いや、それではあんまり気の毒だ。止めておこう……それに何だか、男の子にはどこかで見覚えがあるようだ……』
そうして岩石の化け物は、ずうんずうんと音を立てて病院の庭を歩いていった。甲高い悲鳴やサイレンの音が、母親の耳に他人事のように遠く聴こえる。
と、ふっと少年が目を覚ました。とたん化け物の姿は消えて、戸惑いきった人々のざわめきが窓の向こうからざわざわ響く。行き場を失ったサイレンの音が、どことなく間の抜けたふうに赤いライトのにぶい色彩をばらまいている。
「ママ……ぼく、また夢を見た……夢に出てくる魔物がね、病室のぼくらを見ていたよ……」
母親は言葉を失って、すがりつくように息子を抱きしめた。
夢が夢でなくなった今、この子の夢は現実の悲劇を引き起こす。もしこのことが世間にばれたら? ……次にこの子が眠りについたら?
母親の血を噴くような思いをよそに、少年は「面白かったな」と罪のない笑顔を浮かべている。そんなことも知らぬげに、冬桜の枝に雪の花がちらりちらりと咲き出した。
少年の目が、またうっとりと夢の世界に吸い寄せられて、長い羽根のようなまつ毛がちらちら、ちらとまばたき始める。
――母親の目に、息子の瞳が一瞬火のように赤く見えた。