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*薔薇雲母のキセキ

 彼女は玉ねぎみたいなひとだ。

 彼女はへびみたいなひとだ……と、ぼくはいつでも思っている。


 でもぼくがそう口にするたび、病院の皆は「違うよ」と言う。


「エーデル嬢は玉ねぎでも蛇でもない。彼女はうんだよ」


 まあ何だって良いんだけど……とにかく彼女は、普通の人とは違っている。


 エーデル嬢の体はいつだって薄くめくれて、白い日焼けのように皮がぱらぱらひっきりなしに落ちている。それは蛇の脱皮みたいに、またいても剥いてもきりのない玉ねぎみたいにぼくには見える。


 でも他の人たちはその皮が薄くて、ちょっぴり桃色がかっているのを見て「薔薇雲母」だと口をそろえる。


 ぼくは雲母のことを知らない。本物を見たこともない。ただ薄くきらきらして綺麗なものだと、そうぼんやりと考えている。


 エーデル嬢はこの病院の患者さんで、「一種のお薬」でもあるみたい。彼女の体から欠けた雲母を口にすれば、病気が軽くなるらしい。健康な人はもっと健康になるらしい。だからこの病院の人たちはぼく以外、全員が彼女のかけを食べている。


 この病院には奇病の人がたくさんいる。ひたいに三つめの目がある人、背中に羽根が生えた人、体からつるが生え出ていい香りの花をたくさん咲かせた人……。


 だから皆、当然のようにエーデルのお薬を食べている。けれどぼくには、それでちっとも良くなるようには見えないんだ。


 ただ三つめの目のある人はいっそう目が輝いて、背中の羽根は色艶が良くなり、お花はむせるほど香りが強くなるだけに思える。その他の人も病気の特徴がより激しく、妖しく美しくなっていくように見える。


 そうして何故だか、エーデル嬢はぼくにだけ雲母を食べさせてくれない。ぼくは生まれつき肌も髪も真っ白で、瞳は赤い病気なのに……けれど彼女はぼくが雲母を食べることを、決して許してはくれないんだ。


 ぼくは納得がいかなくて、思いきって訊ねてみた。


「ねえ、エーデルお嬢さん。あなたはどうしてぼくに雲母をくれないの?」


 エーデル嬢は静かに青い目を見はり、それから柔らかく微笑んだ。


「簡単なこと。わたしがあなたを好きだからよ。誰より愛しているからよ」

「愛しているならどうしてなの? 好きでいてくれるならなおさら、お薬をくれたって良いじゃあないか!」


 言いつのるぼくのくちびるへ、エーデルがそっと指を当てた。びっくりして口をつぐむぼくの頭を優しくでて、エーデルは穏やかな笑みを浮かべる。


「……それじゃあ言うわね、ほんとのことを。わたしは病気なんかじゃないの。違う世界から連れて来られた、珍しい鉱物人間なの」


 ささやくように話すそばから、きらきら雲母ががれて落ちる。心臓が跳ねる、どきどき動悸が高まっていく。思わず胸を押さえるぼくに、エーデル嬢は小声で明かす。


「本当はね、この『病院』は病院なんかじゃないの。とある物好きな貴族様が建てたコレクション館なのよ。他の『病気』のひとたちも、いろいろな世界から連れて来られた生き物なの」


 ぼくは言葉を失って、ただエーデルを見つめるばかり。さらさらの金髪を優雅に揺らし、鉱物のひとは微笑みながら打ち明ける。


「『お医者さん』は管理のために住まわされた、この世界の人間たち。でもわたしは本当はみんな嫌いなの。管理と監視のために雇われた人間たちも、さらわれていながらこの生活に甘んじている生き物たちも。――だからわたしはここのひとたちに、意趣返しをしているの」

「……いしゅがえし?」


 言葉の意味が分からなくて、同じ響きをくり返す。そんなぼくに微笑みかけて、エーデルは柔らかく口を開く。


「薔薇雲母の鉱物人間は弱い生き物。もとの世界で乱獲されて食べられるままだった一族は、やがて進化を遂げたのよ。防御のためにその体にだんだん毒性を持っていったの」


 はらりはらりと落ちゆく雲母が、薔薇色の光をちらちら放つ。床の上を淡くはかないきらめきに染め、エーデルは女神のように清く妖しい笑みを浮かべる。


「だからもう、あなた以外のここの生き物は毒に侵され、もうじき死ぬの。わたしと同じ運命さだめをたどるの。あなたばかりは幼いころにさらわれて、事情をなんにも知らなかった。だから純なあなたには、わたしは手を出さなかったの」


 きらきらと、はらはらと落ちる甘い薔薇色に、頭が染まって混乱する。くらくらしているぼくの手をとり、エーデル嬢は羽根のない天使のように微笑んだ。


「だからさよなら、可愛いあなた。もうじきみんなわたしと共に無にかえる……そしたらあなたはここを出て、自由に暮らしていくと良いわ……」


 語尾がもろもろ崩れて溶けて、エーデル嬢の体が光を放つ雲母になって舞い散った。光の乱舞に目が犯される。


「エーデル! ……エーデル!!」


 悲鳴のような呼びかけに、彼女の欠片はこたえない。光に()()()()目がくらむ。ぼくは目がくらんだまま、泣きながら扉を開けて外に出た。


 まぶしい。よけいに目がくらむほど、病院のホールはひどく明るく輝いている。輝きにようやく目の慣れた僕は、息をするのをすうしゅん忘れた。


 ――病院の中は雲母のうずだった。


 ひたいに三つめの目があるひとも、背中に羽根が生えたひとも、お花をたくさん咲かせたひとも、みんな体から薔薇の雲母を散らしていた。お医者さんたちもおんなじだった。皆がみんな甘い悪夢に酔ったような顔をして、きらきらの光をこぼして舞い死んだ。


 ぼくだけが、雲母を食べていなかったぼくだけが、病院の中に残された。


 ぼくは今は泣くのも忘れ、たった独りでしんとした建物の外へ出た。外は一面の雪だった。細かなこまかなせっぺんが、真っ白な雲母のように舞っている。


 ぼくの他には人影もない。病院の他には建物一つ見当たらない。ぼくはどうして良いのか分からず、ただ白の渦に立ち尽くした。


 ――もう病院には戻りたくない。あの美しい死で満ちた、異様な空間に戻りたくない。だからぼくはこごえて体が痛くなっても、痛みが遠ざかり不思議なくらいに眠くなっても、そのまま雪の中にいた。


 柔らかくてあたたかい白にうずまり、ぼくは深い眠りに落ちる。……眠りの中に死んだはずのエーデル嬢が現われた。彼女の体はあいかわらず美しく、きらきらと透明薔薇を散らしていた。


 その薔薇雲母を手にとって、エーデルはぼくの口もとへさし出した。「食べても良い」と許しをもらえたような気がした。


 ぼくは嬉しくてはにかみながら、薔薇色の光の欠片を口にした。薄いうすい氷砂糖を食べているように、口の中でひいやり甘く溶けていく。


 それから後は頭の中が真っ白になって、真っ黒になって、やがてなんにも無くなった。……


* * *


 ――あらあら、何て綺麗な夢でしょう。


 貴族の館の飾りだなの中、お昼寝から目覚めた意思持つずいしょうが、うっとりとしてつぶやいた。


 ――水晶じゃなくて雲母だったのが残念だわ。もういっぺんお昼寝をして、違う夢を見ようかしら。


 そう思った水晶は、またも眠りに落ちていった。彼女の夢がどこかのほんとうになることを、彼女自身は知らないままで。


 桜色の淡いあやを持つ薔薇水晶が、甘い吐息をつくように、天井のシャンデリアの白い明かりを反射した。……

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