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第一話 からすねこ





 飼っている三毛猫が仔を生んだと、年上の知人のIさんからメールがあった。

 子猫を見に行ってもいいですかとメールを打ったら、まだ生まれたてで目も開いていない。一週間くらいしたらおいでと返信があった。


Iさんの家の猫は外猫だ。

 外聞良く言えば外猫だが、正確には半野良である。

 三ヶ月くらい前からこの猫の姿を庭で頻繁に見かけるようになったらしい。猫が嫌いでないIさんのご主人が餌を上げたら、これ幸いと居ついたという話を前々から聞いていた。


 猫はI家でのびのびと暮らしていた。

 朝と夕に餌を貰い、好きなようにそこら辺を徘徊し、午後にはおやつの煮干しを与えられ、大きな物置の一角に作って貰った寝床で寝る。

 その猫が、どこから種を仕込んできたのか腹を膨らませて、昨日に仔を三匹生んだのだ。


 Iさんの家は郊外にある。

 五百坪近くあるという敷地は、マンションが林立する大都市で生まれ育った私が見たこともないくらい広大なものだった。

 それもそのはず、I家は代々大きな米農家だった。過去形なのは、I家の長男であるご主人が、農家を継がずに勤め人になったからだ。

 街の中心からは随分と離れているので、バス停はもちろん駅もかなり遠く、周りは家よりも田んぼや畑の方が多い。

「すごい田舎だし、家は古いし」

 そう言ってIさんは謙遜するが、駅のほど近くに開発された細切れの敷地に、似たり寄ったりの建売りが窮屈そうに並ぶ住宅地に住んでいる私からすれば、大人が二人で腕を回しても届かない大黒柱のある立派な古民家はどこもかしこも広々悠々としていて、訪れる度に憧憬の念で家中を眺め回していた。


 一週間後、Iさんから呼び出しがあり、私は子猫を見に行くことになった。

 Iさんからの連絡を首を長くして待ち構えていた私は、早速I家に車で向かった。

 時代物のドラマで使われるような古風な石造りの正門から車を乗り入れる。大きな門の両脇に植えてある松と(つげ)の見事な枝ぶりをいつものように目に映してから、車回しのある通路をゆっくりと進んだ。

 梅、しだれ桜、百日紅(さるすべり)、イロハモミジ、椿。

 季節を彩る植栽を配置した立派な日本庭園の右手の奥に日本家屋の大きな平屋がある。

 両開きの格子戸の少し手前で私は車を停止させ、エンジンを切った。

 車を降りると、玄関から出てきたIさんに猫がいるという物置へと、早々に案内された。


「驚かさないように、そっと見てあげて」

 そう言ってIさんは、親猫が通れるくらいに細い隙間を作った引き戸を、音を立てずに開けた。物置の一角に置かれた段ボールの箱を覗くと、丸まった母猫がいた。

「ミケ」

 Iさんが物置の入り口にしゃがんで猫撫で声で猫の名を呼ぶ。猫はにゃおんと返事して、Iさんに顔を向けた。

 三毛猫だからごく自然にミケと呼ばれるようになった雌猫の腹に、三匹の仔がむくむくと(うごめ)きながらぴったりと添っていた。

 右から順に、三毛、三毛、最後に黒である。

「ミケちゃん頑張ったんだねえ」

 私もIさんの隣にしゃがんで、ミケに優しく声を掛けた。ミケはIさんから私に視線を移すと、小さな声でにゃおんと鳴いた。

「あら嬉しい。私にも返事してくれるのね。お利口さんだね」

「ええ。ミケはとても賢い猫なの」

 まるで自分が褒められたかのようにIさんが相好を崩して何度も相槌を打っていると、黒い子猫が母猫の腹から、ひょんと顔を上げた。

 鼻と口がどこにあるのか分からないくらいに真っ黒だ。薄明りの中で目だけが金色に輝いているのが印象的だった。

「うわぁ、真っ黒黒助の子猫ちゃんだねえ」

 私が頓狂な声を出すと、隣にしゃがんでいるIさんが悪戯っぽく微笑んだ。

「ねえ。この黒い子、よぉく見てごらんなさい。他の二匹とはちょっと違うから」

 私は二匹の三毛と黒い子の違いを探そうと薄明りの中で目を凝らした。しばらく眺めていると、黒の子の体が子猫特有の極細ふわふわの(にこ)()で包まれていないのに気が付いた。

「うん?」

 もっとよく確かめようと、私は首を前に突き出して丸くなってる子猫に顔を近付けた。

 子猫はまるで見せびらかすような仕草で、体を大きく捩じった。


 これは。この子猫は。


「Iさん!この黒い子、ちょっとどころか、他の子猫たちとは全く違って見える!」

 私のぎょっとした顔と言葉にIさんは満足したのか、何度も深く頷いた。

「そうでしょう?それにはちょっとした理由があるのよ」

 Iさんが意気揚々と喋り始めた話を、私は目を丸くして聞き入った。



 Iさんの話はこうである。

 仔猫が生まれた次の日。Iさんがミケに餌をやりに行くと、物置の前に大きな(からす)がいた。

 烏は顔を斜めにして、引き戸の隙間から右の目で物置の中を覗いていた。

 生まれたばかりの子猫を烏が獲って食うというのを知っていたIさんは、その大烏を追い払おうとして、両手を振り回し叫び声を上げた。

 Iさんの挙動に驚いたのだろう。烏は慌てたように羽を上下させて上空に舞った。それでも逃げようとはせずに、物置の近くにある大きな柿の木の一番高い枝に止まると、Iさんをしげしげと見下ろした。

 小馬鹿にされているようで腹が立ったIさんは、庭から竹ぼうきを持ってきて、あっちに行けと烏に向かって何度も振り回した。

 Iさんの気迫が功を奏したのか、烏はどこかへ飛び去った。

 烏は、片足で子猫を掴んで空に舞い上がるのなど造作もないというくらい、大きな体をしていた。

 今回は難を逃れたが、物置に獲物がいると知った以上、子猫を襲おうと戻って来るだろう。

 子猫たちがしっかりするまでは目が離せないと思ったIさんは、足繁く物置の様子を見に行くことにした。

 数日経って、子猫の目が()いた。それから間もなくして、あの大烏が物置の周りを円を描くように歩いているのを見つけた。

 予想が的中したと、腕を振り回して烏に突進しようとしたIさんだったが、ミケが黒い子猫の首を咥えて物置の中から出てきたのを見て足を止めた。

 ミケが黒い子を烏の足元にそっと置く。想像もしなかった展開に、Iさんは両腕を空に向かって突き上げたまま、茫然とミケを見ていた。

 そんな滑稽な姿のIさん向かってミケがにゃあと、一声鳴いた。

 烏は初め、左右に顔を横に捩じりながら黒い子猫を見ていたが、そのうち太い嘴を器用に動かして子猫の毛繕いを始めた。

 烏の嘴で背中を撫でられている子猫に怯えた様子は微塵もない。それどころか、くるりと黒い腹を烏に見せると四肢を突き出して烏にじゃれ始めた。

 烏は子猫小さな爪を立てられても怒る様子もない。ミケは地面に体を伸ばすように横たえて、尻尾の先をぱたんんぱたんと動かしながら、烏と子猫の様子を眺めているだけである。


「あれは親子なのよ」

 一羽と二匹の和やかな様子を見て、Iさんは天啓を得たように悟ったのだと私に言った。

「親子?烏と猫がですか?」

 驚きを通り越して(ほう)けた顔になっている私に、Iさんは含み笑いの表情で幾度も頷いた。

「あなたも気が付いたでしょう?」

 ああ、そうだ。

 最初にこの子猫を目にした時、なんと奇妙な毛並みだと、目を見張ったではないか。

 私は再び、信じられない思いで黒い子猫を見た。

 子猫の全身は漆黒の羽に覆われ、日差しを浴びた部分が深い緑に輝いている。

 烏の濡れ羽色に光る子猫の体毛を眺めながら、私はIさんに尋ねた。

「あの黒い子猫の父親が大烏って、ことですね」

「ミケは雌だから、そうなるわね」

「じゃあ、三毛の二匹は?」

「ミケと同じ普通の猫よ。多分、あの二匹の父親は別でしょうね」

 少しばかり眉を顰めた私に、Iさんが意味あり気な表情でくすりと微笑んだ。

「まあ、猫だから。うんと自由な生き物だから」

「そうですけど、ねえ」

 ミケが私をまっすぐに見据えてにゃおんと鳴いた。

(たわむ)れに異種と(つが)って妊娠しちゃったなんて、人間では考えられないですもんね」

 そんな自由の果てに異形の子を成したとしたら、人としての幸福はないだろう。

「そうよねえ。ミケがもし人間の女だったら、あまりにふしだらで誰からも疎まれるでしょうね。だからね、私、この黒い子猫がどう育つのかすごく楽しみにしているの」

 そう言って、Iさんは嬉しそうに目を輝かせた。

 どうやらIさんには自由過ぎるミケが眩しく映るようだ。

 サラリーマンだが、古い慣習を残す旧家の長男に嫁いで大変な苦労をしているのを、逐一Iさんから聞かされている私は、ただ「そうですね」と、同意のようなものを口にしてからうんうんと二度、頷いた。

 それに、結婚して十二年、とうとう子に恵まれることのなかったIさんが、黒い子猫にどんな希望を託しているのか、私が知る必要はない。

 

 それから私はIさんの家に上がってお茶を頂き、取り留めのない世間話を三十分ほどしてから家路に就いた。



 一ヶ月経って、Iさんからメールがきた。

 黒い子猫はとても元気だという。

「墨のように黒い羽毛が全身を覆い、顔もずいぶんと尖ってきました」

 スマートフォンに送られてきた子猫の写真に、私は息を飲んだ。

 写真には母猫よりも大きく育った子猫が映っていた。

 子猫、否、猫とは思えない筋骨隆々とした背の上に、三毛の子猫が二匹乗っている。

 その顔は、尖ったという以上にがっしりとした上下の顎が前に大きく突き出していて、もはや猫の顔には見えなかった。

 写真の下に新しい文字が現れたので、私はその文面に目を走らせた。

「十日前から黒い子猫の左右の肩甲骨のすぐ上に突起物が生えてきました。この突起も体と同じく日を追うごとに成長しています。この子、猫じゃなくて烏になっちゃうかも(笑)」

 背中の写真が送られてくる。確かに羽である。だが、烏の翼とはかけ離れた形状だ。

 私はIさんに返信文を打ち始めた。

「かっこいい羽になりそうですね。まるで」

 

 まるで、竜の翼のような。


 ミケの番った大烏は、一体、何だったのだろう。

 烏というのは仮の姿で、もしかしたら、あれは。


(そのうち分かる。多分、近いうちに)

 私は文字の(うしろ)を半分消去して文面を訂正してから、Iさんにメールを送信した。


「かっこいい羽になりそうですね。小猫ちゃん、また見せて下さいね」


                            終


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― 新着の感想 ―
[良い点] これは不思議な話ですね。 ぜひ飛んでほしいな。 そらとぶねこ
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