大人の駄菓子屋さん
「あー、ムカつく」
家路へと急ぐ群衆の中、心の中でつぶやいた。
大学卒業後、夢だった広告代理店で働き始めて2年、夢はとうの昔に崩れ去り現実と戦っている真っ最中である。
「あのハゲおやじ」
周囲の群衆は特に気に留めることなく、軍隊のように行進している。
もっとアイディアを精査しろだの同期の檜山を見習えだの、いつも小言を並べてくる。
確かに私の出す企画書は在り来たりのものだし、同期はプロジェクトを任されている人もいる。だが、ムカつくものはムカつく。履いているパンプスで殴ってやろうかと思うこともあった。
ふと、ガラスに映る自分を見てみると肩で揃えられている髪が少し扇状に膨らんでいる。
そろそろ美容院へ行かないとな~、と思いつつ、再び家路につく。
明日しないといけないことを頭の中で整理していると、いつの間にか知らない路地に入っていた。
考え事に夢中になりすぎていたようだ。
まあ、大きい通りにその内出るでしょ、と思い歩みを進める。道幅は人が3人くらい横に並んでも通れるくらいの広さだ。両端に該当が立ち、暖かい光を発している。
少しすると、広いところに出た。
どっちに行こうか見渡してみると、ここで行き止まりみたいだ。そして、一軒の建物がある。
少し年季が入っており、入り口から光が漏れていた。
なんでこんなところに民家があるんだ?
と思ったが、入り口の上に看板が掲げられていた。
「駄菓子屋」
こんなところに駄菓子屋?
と不思議に思いつつ、小学校の頃に行って以来なので、好奇心の方が勝ってしまった。
入り口のドアを開ける。
入ると、瓶に入った飴やガム、スナック菓子等いかにも駄菓子屋といった雰囲気だ。
店の奥に目をやるとカウンターがあり、男が本を読んでいた。
私に気付いたのか、顔を上げる。
が、また本に目線を戻す。
出迎えの言葉が欲しかった訳ではないが、無視されるのもなんだか釈然としない。
私は男の元に近づき、カウンターの上に勢いよく手を置いた。
「こんばんわ、路地を歩いていたらたまたまここを見つけたんですけど。少し店内を見て回ってもいいですか?」
男は再び顔を上げる。
店の入り口からははっきりとわからなかったが、肩の下まである髪を後ろで束ね、前髪は左の方に流している。前髪の隙間から見える目は長いまつげを伴っており、小高い鼻が顔の真ん中にある。年齢は20代後半だろうか。
やばい、正直好みだ。
カウンターに手を置いたことを激しく後悔する。
そんなことを考えていたら、男から第一声が発せられる。
「どうぞ、ご自由に」
男はそう言い、また本に視線を戻す。
はっ、と我に返る。
見惚れていたことを気付かれないようにどうも、と言い、その場を離れる。これ以上は危なかったかもしれない。気を紛らわすために店内を見て回る。
瓶に入れられた飴たち、一つ一つ袋に包まれたガム、袋の中に小さなドーナツが3つ入っているものもある。
正直、地元の駄菓子屋にあったものばかりで、これと言って珍しいものは無かった。
ある一点を除いては。
商品の上に書いてある値段に目を疑う。
「飴 1個 10万円」
目を擦ってみた。
間違いない。
飴が1個10万円と書いてある。ガムは5万円、ドーナツに至っては30万円である。
私は再び店主の元へと詰め寄る。
「このお店って商品の値段を間違っていませんか?」
今日一番の声が出たかもしれない。
男は本を閉じ、ゆっくりと顔を上げた。
うん、やっぱり好みだ。
それからこう言った。
「適正な価格で提供させていただいているつもりです」
「どこがですか?飴が1個10万円ってどう考えてもおかしいでしょ」
男は飴のある方に目線をやり、続けた。
「あれは『思い出飴』と言って、舐めると自分の心の中で公開していることを追体験できます」
私はポカンとした。
今なんて?
男を見てみるが、どう見ても未来から来たネコ型ロボットには見えない。人型だろうか。
そんなことを考えている私を見て男は続けた。
「試しに1つどうですか?料金は後払いでもいいですよ」
私は病室にいた。
さっきまで駄菓子屋にいたはずなのに。窓の外は満開の桜が風に揺れている。そこで窓に映る自分に目が入る。高校の頃の制服を着ていた。
視線を下すと目の前のベットに女性が眠っている。
この時か、と心の中で呟く。
高校2年生の春、母が亡くなった。
当時は私が病院へ駆けつけた時には息を引き取っていた。
母が最期に何か言っていたらしいが、よく聞き取れなかったと父が教えてくれた。
父は窓際に座り、母の手を握っている。
私も傍の椅子に腰かけ、母の手を握った。
1時間経っただろうか。
母が目を覚ました。
私は顔を近づけ、お母さんと呼んだ。
母はこちらに顔を傾け、呟いた。
「香織、体に気を付けるのよ」
そう言い、微笑んだ。
そして再び眠った。
窓の桜が風に煽られ、花びらを散らしている。
私は立ち尽くしていた。
目の前が霞んで見える。
人影が私の前まで近づき、ハンカチを渡してくる。
「いかがでしたか?」
男が尋ねてきた。
手に持ったハンカチで目元を拭う。
「信じられない」
そう言いつつも、今の自分の状況を考えると、さっきの出来事は本物なのだろう。
男はクスッと笑った。
「この店は大人になった人々の心残りや無意識に求めているものがあるとき現れます」
男はカウンターの中へと戻りながら言った。そして、
「もうこの店に来ることがないように生きてください。では」
見覚えのある通りに戻ってきた。
支払いはクレジットカードが使えるとのことだった。
妙に現代的だなと感心しつつ、家路につく人々の波に乗る。
不思議なことに帰りの時間と変わっていなかった。
でも今では驚かない。
ポケットの中のハンカチを握りしめ、いつもより軽い足取りで家路についた。
(終わり)
気が向いたら別のストーリーを描いてみたいです。
拙い文章ですが、楽しんでいただけると幸いです。