第一章7 『異能力』
鼻から赤い液体が溢れないよう、ユウは鼻を抑えていた。鼻の頂点はトマトのように赤く腫れ上がって、今もジンジンとした痛みを放っている。
「まったく、信じられませんわ!」
ユウの前には気の強そうな目に涙を浮かべ、顔を赤らめた少女が一人。さっきまで無残にも晒されていた足の付け根と、自分の胸辺りを守るように手を置いてこの状況の元凶を睨んでいた。
「私がこっそりと隠れてるところにいきなり現れた後、身体の上に跨ってきて口を塞がれたかと思ったら、今度は急に足を撫で回して。最後にはわ、わたくしのし、下着を脱がそうと……」
今にも泣き出しそうな少女は、丁寧にこれまでの状況を説明し始めた。震える少女の体はユウよりも小さく、肩まで伸びた金色の髪までも小刻みに震えていた。翠色の澄んだ瞳は力強く、ユウを睨んでいる。
どこかのお嬢様だろうか? 幼いながらも、どこか気品のある仕草と、白色の高そうな手袋に白と赤のドレスがそう思わせる。赤といってもドレスの太もも近くは、ユウの血で赤く染まっているが。
今までに遭遇したこともない場面に慌てふためくユウだが、先程の教訓を忘れず、目の力を発動する。ユウの瞳が金色に輝き、視界には少女のステータスが現れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
名前:レイア・トールライト
種族:ヒューマン
能力:不可視の聖槍
力:E
体力:C
早さ:C
魔力:A
状態異常:なし
《不可視の聖槍》
この槍で突かれた物体は、その質量と同じ爆発物へと変化する。
その威力は一キロの物体であれば、半径一メートル以内の物を無へと返す。
槍はマナの出力によってその形を自由自在に変えられる。
槍本体には殺傷能力はなく、先端から貫かなければ能力は発動しない。
生きているものは爆発物には変化しない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「誤解なんだ、信じてくれ!」
「鼻血を出して喜んでる変態の、何を信じろっていいますの! 私の身体に無断で触るなんて死刑! 死刑ですの!」
「鼻血はアンタのせいだろ! それにアンタの下着を見たのだって、俺の意思じゃない!」
「人のせいにしないでいただけるかしら! 元はと言えば貴方が私の身体に興奮して、その……淫らなことをしようとしたせいでしょう!」
「誰がアンタの幼女体型に興奮するんだよ……俺が好きなのはもっと巨乳な大人のお姉さんだ!」
貧相な体型の少女からピキリと、嫌な音。不穏な音に反して少女は急に不自然な笑顔を作るが、その目はまるで笑っていなかった。自身の控えめな体型を指摘された為か、今度は怒りで真っ赤になった顔でこう言い放った。
「十六の少女に向かってその言葉。貴方、どうやら死にたいようですわね。それならお望みどおり、爆死させてあげますわ!」
少女は体の横に手を伸ばすと何かを握る動作をした後、ユウに向けて片手を突き出す。ユウは咄嗟に半歩横に移動してそれを躱す。
少女は見えない槍を避けたユウに一瞬、不思議そうな顔を浮かべると、指をパチン! と打ち鳴らした。
その動作で魔力の槍は一本の線へと変化して、線上を火花が走る。
直後にユウの背後で爆発があった。
ゴウッ!と燃え盛る爆炎と爆風で、ユウの体は藁の山へと吹き飛ばされた。
「うおっ!?」
突然の爆発に頭の中が真っ白になる。これがこの世界の、少女の能力か。能力の種は瞳の力で分かってはいたが、ここに来て初めて見る常識を超えた力を見て、一瞬動揺してしまう。
予想以上の衝撃に反応が遅れ、受け身も取れずに倒れこんだが、藁が緩衝材となり大きな怪我を負わずに済んだようだ。
自身の強大な能力を見せつけ、少女は満足したのか嬉しそうに無い胸を張って高笑いをした。
「私の能力不可視の聖槍はすごいでしょう! この魔力の槍で貫かれた物体は同じ質量の爆弾に変わりますのよ!」
そして再び右手で何かを振るような動作をし、少女はニヤリと笑った。
(こいつ……本当に俺を殺す気かよ。いくら掲示板での炎上に慣れた俺といえども、あれを貰ったら流石にまずい!)
槍の威力を見て冷や汗が背中を伝う。しかし、いかに見えない槍でもそれが魔力の槍ならば、賢者の瞳の前ではただの爆発する槍も同然だ。そこは問題ない。槍自体にも殺傷能力はないため、苦にはならない。
槍で貫かれた物体が爆発するまでにいくらかのラグがある。彼女の指の動きだけに気をつければ、攻撃を交わしていくことは難しくはないはずだ。
「まるでこの槍が見えてるみたいな反応ですわね。その金色の瞳が貴方の能力かしら?」
「まあな。アンタの全ては俺に丸見えだぜ」
そう言って藁の山から立ち上がると、手で輪を作って少女の体を見た。ユウの言葉を聞いた少女は、嫌悪の表情を見せ自分の体を抱くようにして身を守る。
「本当に、殿方は下品な方ばかりで嫌になりますわ!」
少女の手を見ると右手に細い棒状の形をした魔力がある。魔力の槍ははゆらめくように揺れている。目で見た能力の分析通り、どうやら槍の長さ形は彼女の意思で自由に操作できるらしい。
少女をなだめるか、とユウは考えたが、怒りと爆発で興奮している少女を止める術は思いつかない。
時折頭上から落ちてくる粉塵が気になって、ふと天井を見上げると爆発の衝撃でできた大きな亀裂が目に入った。亀裂は壊れた壁から反対の壁まで伸びており、天井は今にも崩れそうだ。
「おい! 上を見ろ! 危ないぞ!」
「はっはーん、その手には乗りませんわよ!」
少女は見下すように笑みを浮かべてユウを見るが、決して上を見ようとしない。相当プライドが高いのだろう。
ユウは危険をかえりみず少女に向かって駆け出した。
「ちょっと、気安く近づかないでよ! この変態!!」
突き出した腕からは魔力の槍が伸びるが、ユウは紙一重でそれを交わし、少女の懐に抱きつくように飛び込んだ。
「キャッ!」
少女が短く悲鳴をあげると、ドドドドッ! という爆音が頭上から聞こえ、少女が元いた地点に天井の岩が降り注ぐ。そして二人がいた小屋は瓦礫の山へと徐々に姿を変えた。
天井の瓦礫が崩れ落ちる中、ユウは少女の小さな体を守るよう必死で抱きしめた。
一つの塊がユウの頭に直撃すると、鈍い痛みの中ユウの意識は次第と闇に堕ちていった。
*************
ーー夢を見た。
何もない草原でただ寝転んでいるだけの夢。体は動かせないが、後頭部には柔らかな感触がある。どうやら誰かに抱かれているようだ。元の世界ではこんな経験はなかったが、案外気持ちがいいものだ。
ユウは抱きしめる人物の正体を見ようと上を見上げる。しかし、思ったように目が開かず、人の形をした影がうっすらと見えるだけであった。
頭上から自分の頬にポツポツと水滴が垂れていることに気がつき、その感触で段々と意識が覚醒する。
ユウが目をゆっくりと開くと、目の前に涙で顔を濡らした少女が視界に飛び込んできた。
「よかったあ……グスッ。死んじゃったのかと思った。ヒグッ、喧嘩してる相手を助けるなんて貴方、ほんと……バッカじゃないの」
「俺を殺すなんて言ってた癖に、ずいぶんと優しいんだな」
「あんなの冗談に決まってるじゃない、グスッ、このバカ!」
少女は泣きながら悪態を吐くが、その様子はどこか安心しているようであった。
ユウは後頭部に当たる幸せな感触を噛み締めていたが、カシャリ、と近くから聞こえた鎧の音に驚くと頭の中が真っ白になった。
「お前たち、こんな時間にこんな所でナニしてるんだ? よかったら俺も混ぜてくれないか?」
鎧の男が、まるでポルノ雑誌を見るようなニタニタとした笑みを作りながら二人の前に現れた。
突然冷やかしのごとく出てきた男に対して少女は一度目を拭うと鎧の男を睨みつけ、
「別に、貴方が想像していることなんてしてませんわ。それより貴方、私達に何か用かしら? 見ての通り今、手が離せないのだけれど。貴方のような無粋な男とダンスを楽しむ暇はありませんわ」
「おうおう、お前言うじゃねえか。そこのガキに用があったんだが、気が変わったぜ! 嬢ちゃんに相手をしてもらおうか。 正直、俺はガキでもイケるぜ?」
不快な笑顔を見せる男は、不快な言葉を投げかける。少女は、
「どうやらヒトの言葉が通じないようですわね」
と言った後、ユウだけに聞こえる声で、「私が相手をしているからその隙に逃げなさい」と耳打ちし、肩を支えてユウの体を立ち上がらせた。
「アンタは逃げないのかよ? あの男、たぶんアンタより強いぞ?」
「弱きを見捨てること勿れ。そう教わってきたのよ。貴方を置いて逃げられませんわ」
少女はユウの肩から手を離して立ち上がると、鎧の男がいる方へと振り向いた。無論、女の子を一人置いて逃げ出すなんて、できるわけがない。
しかし、
「名前」
少女が短く言うと、ユウは理解して自分の名を口にした。
「ユウ。ナルセ・ユウだ」
「そう、いい名前ね。忘れるまでは忘れませんわ。私はレイア・トールライト。ではまた、何処かで」
そう言うと、レイアは彼女の小さな手に再び魔力の槍を展開する。鎧の男はニタニタとした余裕の表情を見せている。どうやらレイアの力量を理解し、すでに勝負の後のことを考えているようだ。
いきますわよ、とレイアが声を発し前に出ようとした瞬間、遠くから獣のような大声が聞こえた。
「――姫様!!」
ビクリとユウが驚いた後、目を凝らすと、遠く離れた先にある家の屋根に人影が見えた。しかし、ユウが瞬きをしたその一瞬にその人影は姿を消し、気がつくとレイアのすぐ隣に細身の女が立っていた。
女はユウと同じくらいの背丈で、銀髪のショートヘアー、前髪は彼女の片目を隠している。まるでモデルのような体型だが、なぜか男性用の執事服を身につけていた。年はユウと同じくらいに見える。顔色一つ変えない表情からは、彼女の意思は伺えない。
どういう仕掛けかは知らないが、一瞬であの距離からここまで移動したようだ。
「到着。どこかお怪我はありませんか?」
そう言うと、女はレイアの埃で汚れた服の上から彼女の体を探るように撫ではじめた。そうしてレイアに目立った傷がない事を確認すると、今度は服の中に手を入れて彼女の体を弄り出し、また体の無事を“確認”しはじめた。彼女の目は相変わらずの無表情だが、少し上がった口角からはハアハアと心の本音が漏れている。
「貴方、どうして息が切れてますの?」
「申し訳ありません。ですが、姫に近づくと自然と脈が……」
その様子を見てユウは一人確信した。どうやら彼女の頭は普通ではないらしい、と。
レイアは慣れているのか女の行動に特に驚いた様子はない。時折何かに耐えるように片目を瞑り、甘美な息を漏らしている。
「私は大丈夫ですわ、フラジール。それより、人前よ……こほん、人前ですわよ、控えなさい」
「今まで心配していた。一体何をしていたの?」
「そこの野蛮な雄猿に舞踊のお誘いをされましてね。それで少し、今日の予定が狂っただけですわ」
「なるほど。でも……掃除は、私の仕事」
フラジールと呼ばれたその女はレイアの体を撫でるのをやめ、彼女の服から手を出した。手に張り付いた汗で服がめくれ、チラリとレイアの白いおへそが視界へと映る。
フラジールは何を勘違いしたのかユウの方に顔を向け、隠れていない方の目で殺気を放った。
ユウが慌てて首を横に降ると、彼女は次に鎧の男に目を向けた。
鎧の男は待ってましたと言わんばかりに声を荒げる。
「へえ、今度は3Pか。悪くない! まとめて可愛がってやるよ」
「不快。今すぐここから……消えろ!!」
フラジールが言い終わると同時にボゴォッ!と爆音が響き、鎧の男の足元にはまるで隕石が落ちたかのような大きな空洞が出来上がった。
一体、何が起こった? とユウが疑問に思う間も無く第二、第三と幾重もの衝撃が鎧の男が立つ周囲の地面を削り取る。
鎧の男も何が起こったかわからないというような顔で自分の足元と執事服の女を交互に見た。何度かそれを繰り返した後、目線の先にいる執事が只者ではないとようやく理解したようだ。そして鎧の男は後ずさりをしながら震える声で、
「ちいっ、白けちまったぜ。今日は気分じゃねえから帰らせてやる。次はねえからな!」
と言い残し、大通りの方へと続く道へ小走りで消えて行った。男が完全に見えなくなると、フラジールはレイアの腰に手を回し自身の体に引き寄せた。
レイアは彼女の行動を気にもせず、嬉しそうに彼女に言った。
「フフっ。やりすぎですわよ、フラジール。けどナイスタイミングですわ」
「反省。でも姫を守るのが私の仕事」
「ありがとな、助かったよ。それより、さっきから気になったんだけど、姫ってどういうことだ? もしかして、どこかのお偉いさんだったり……します?」
先程から疑問に感じる姫という単語。その意味を確かめる為、強い者には巻かれろ精神のユウは彼女に敬語で問いかけた。レイアは小さな胸を張るように突き出し、彼の問いにこう答えた。
「ああ、言っていませんでしたわね。私はレイア・トールライト。霧と消炎の国ハーメリア。その国を治めるトールライト家の第一王女ですわ」