第一章37 『神殺し』
目を開けたユウの視界に映ったのは、ファロムの足元に転がる銀色の短剣と、その周囲に広がる赤い血痕だった。
「ぐっ……、ロイリィイィィィ!! 誰を攻撃してる! ふざけるなぁぁっ!!」
室内に響き渡る怒号、その発生源にいるのは鬼の形相でロイリーを睨むファロムだ。
右手からボトボトと血を流し、左手でそれを押さえていた。床をよく見ると、ファロムのが手が落ちている。
突き飛ばされたのか、ステアはファロムの横で地面に手を付いていた。
「なぜ俺を攻撃してる! オマエごときが、この俺様に手を出していいはずがないんだよぉぉぉ!」
その声にハッとして、罵声を浴びせられているロイリーに目を向ける。
彼には催眠がかけられていて、決してファロムを狙って攻撃はできないはずだ。
「確かに、私が崇拝する神に抗う事は難しい。ましてや刃を向けるなど、あってはならない話だ。だが……それならば、刃の矛先を変えればいい」
辛うじて意識があるのか、苦しそうに言葉を発する黒い神父。発声と同時にその巨体から右腕がボトリ、と地面に落ちた。
魔力を溜めていたはずの彼の左手は、まるで自身に向けて攻撃をしたかのような形をとっていた。
ファロムを攻撃する事ができないロイリーは自身の腕を狙って能力を発動し、背後にいたファロムにダメージを与えたのだ。
「やけに五月蝿い説教じみた言葉とこの痛みで、どうにか正気でいられるようだ」
血の溢れる右腕を気にもせず言葉を発する神父。神父は戸惑う事なく次の攻撃を仕掛けるため、再び左手に風を圧縮し始めた。
「右腕で駄目なら次は右脚を、それでも駄目なら左脚を。それでも、貴様に届かないのなら、後はこの首くれてやろう。私もかつては数え切れないほどの人間を殺してきた。同じ外道同士、ここで共に死ぬのも悪くない」
「ふざけんじゃねぇ、死ぬから一人で死にやがれ! おい、そこのグズ! さっさと起き上がって俺の盾になりやがれ!!」
暴言を吐き出して、ファロムは足元のステアの脇腹を蹴飛ばし命令する。
ステアは息の詰まるような声を上げ、蹴られて青黒くなった腹を気にもせず立ち上がる。そして覇気のない瞳のまま、両手を広げてファロムの前に立ちふさがった。
「いひひひひひひひひひ。流石の神父様でもコレ越しの俺に攻撃をすることはできないよなぁ! 俺に歯向かった罰は、そこのクソガキを殺した後でゆっくりと……」
言い終わる前に、ファロムが異変に気がついた。いつのまにか、教会の中にいたユウとシャルルの姿がなくなっていたのだ。
咄嗟に首を動かして辺りを見回すファロムだったが、不意に掴まれた腕の感触を感じて動きを止めた。
ファロムの腕を掴む力は恐ろしいほどに強く、掴まれた腕からはミシミシと骨が軋む音が聞こえる。
動きを止めたというのは正確には違った。彼に動こうとする意識はあるのだが、体は恐怖でピクリとも動かない。
目の前にある、不穏な空気を感じてファロムの額から汗が流れ悲鳴を上げようとする瞬間、突如彼の目の前にユウとシャルルの姿が現れた。
「ヒィッ!!」
ファロムは思いがけないユウ達の出現に対して、後ろに一歩退いた。
「私たちのこと忘れてたんじゃないでしょうね?」
ユウの右手を握るシャルルが勝ち誇った顔で問いかける。
ファロムの目前、ユウは思い切り握っていたファロムの腕を離すと、右足を軽く踏み出して左腕を振りかぶる。
そして拳を力強く握りしめると、ファロムの顔面めがけて思い切り振り抜いた。
「オッッラァァ!!」
ファロムは腕をクロスさせて攻撃を防ぐ。しかし、防いだ腕からはメキィッ! と骨にヒビの入る音がして、ユウは確かな手応えを左手に感じた。
と同時にユウの視界がぐらつき、パンチの衝撃で後ろに飛んだファロムの姿が、一瞬だけ子どものように見えた。
「クソガァァ! どうして俺の能力が効かないんだよぉぉぉ!! 俺は神話級の能力者すら支配した男だぞ! その俺が、こんな雑魚一人操れない訳が……負ける訳がないんだよぉぉぉ!!」
腕の痛みを堪えるファロムの口からは、汚い言葉が溢れ出す。彼の目は血走り、額の血管は今にも切れそうなほど浮き出ていた。
ユウの左手が触れた瞬間に魔力を媒介にした催眠の能力を発動したようだが、魔力がゼロのユウに効くはずもない。
重い一撃を受けてフラつくファロムを見つめて、ユウはすかさず前へ進み距離を詰めた。
「ファロム・フォスター、オマエの勝ち目はもう“ゼロ”だ!」
目前に迫るファロムに向け宣告。
「ああああっ!!」
対するファロムはもうなりふり構っていられないようでユウに向かって突進を繰り出した。ユウの能力も忘れて。
巨体を使った突進の迫力は凄まじく、一見するとユウの華奢な腕など吹き飛ばしてしまいそうな光景だった。
ファロムが巨体の肩を突き出して渾身の体当たりに対して、ユウは前に出した左手でそれを受け止めた。そして、
「オマエの速度をゼロにするッ!!」
叫ぶように一言。巨体と手のひらが触れた瞬間、ファロムの体は不自然に停止した。
その直後だった。ユウの背後から一つの黒い影が飛び出した。
小さな影は地面を押し込むかのような大きな一歩で踏み込み、そこから地を蹴って宙を舞う。
しなやかに飛んだ少女の体はユウの右手を支点にして、鞭のようにしなり、飛び出す。
「はぁぁぁぁっ!!」
シャルルは黒い長髪を揺らしながら空中で腰をひねった回し蹴りを放つと、少女の足がファロムの顎を横から打ち抜いた。
「が……はぁッ……!!」
弧を描くような軌道の一撃を受けて、ファロムはよろよろと足を動かした後、膝から崩れるように倒れ込むとピクリとも動かなくなった。
これでようやく終わった。
そう思った途端に緊張が解けて、ユウは胸をなでおろす。
黒幕であったファロムを倒して、全員が無事だった。言いようのない達成感を感じて、勝利のガッツポーズを突き上げようとするユウだったが、
「いってえええぇぇぇ!!」
腕の怪我から波のように流れてくる痛みで、その動作は取り消された。穴の空いた腕でおよそ四十キロ近い少女を振り回したのだから、当然の結果ではあった。
「まったく、締まらないわね」
呆れた様子で軽口を叩くシャルルだが、意識は既に地面に伏した姉に向いていた。
「ステア!」
「ステア姉!!」
二人はうつ伏せで倒れているステアに駆け寄ると、少女の体を抱き寄せた。ファロムのが意識を失ったため、ステアにかかった催眠は解除されていた。
破れた服と体の至る所にある血痕とで重症のように見えたが、薄く目を開いてゆっくりと息をしているのがわかった。
彼女の再生の能力のおかげか胸元の怪我は既に完治していた。
ステアの体はユウが触れるまで震えていたが、抱きとめられた後震えは止まり、ユウの服にしがみついてきた。
「ユウさんもシャルルも神父さんもみんな、どうして……どうして、こんなにボロボロになってまで私を助けたんですか! 私は魔族で、世界から嫌われた存在なのに、助ける価値なんてないのに。それに、私なんて気にせずにあの人と戦っていれば、もっと傷つかずにいられたはずなのに!!」
突然癇癪を起こしたかのように、ステアが叫んだ。
「私がファロムをここに連れてきたんです。身寄りのない、泥だらけの服を着た男の子を見つけて。ここが居心地のいい場所だと知っていたから、自分みたいに独りぼっちだった子を放ってはおけなくて……。私なんかが人の真似事をしちゃだめだったんです。私がいなければみんなもっと幸せでいられたのに。私はもう、ここにはいられません」
目から涙を零して話すステアを見て、彼女の持つ闇を覗き見た。魔族というだけの理由でここまで追い詰められている彼女には、想像もつかないような辛い過去があったはずだ。そんなステアに向けて、
「そんな大事な事、勝手に決めないでよ」
いつも通りの口調でシャルルが言葉を発した。
「私が好きだったステア姉は誰にでも優しくて、強くて、綺麗で、なんでもできて……私の憧れだった。ステア姉が魔族だった、で? それが何? 私の気持ちはそんな事じゃ何も変わらないし、他のみんなもきっと気にもしない。だから、勝手に出て行くなんて悲しい事、言わないでよ」
強がった口調で言ってはいるが、シャルルの目には涙が溜まっていた。
シャルルの震える言葉に続いて、今度はユウが口を開いた。
「俺もシャルルと同意見だぜ。今回の件で悪いのはそこのファロムだけだ。ステアが気に病む必要なんてまったくない。ステアはここにいたいんだろ? だったら、そうしたらいいさ。反対する奴は俺がぶっ飛ばしてやる」
ユウは拳を握って、ニカッと笑顔を見せる。作り笑いでも、嘲笑でもない心からの笑みでステアを見つめた。
「私はここにいても、いいんですか? みんなと離れなくてもいいんですか?」
「いつまででもいたらいい。誰もそれを咎めはしない。君が望むならそうしたらいい」
三人の背後で背中を柱に預けて立つロイリーが一言。
それを聞いたステアは両手を広げて、目の前にいたユウとシャルルに抱きついた。そして、くしゃくしゃの顔で更に大粒の涙を流しながら、
「私から、もう誰も離れないでください、ユウさんもシャルルも神父さんもこれからもずっと一緒にいてください――」
初めて、心からの本心を叫んだ。
「ははっ」
どこかで聞いたようなそのセリフに、ユウは腕の痛みも忘れて小さく笑い声を漏らした。
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全てが終結した後ユウは安堵の息を吐くと、自身の体の異変に気がついた。
「あ、あれ? なんだか体が寒く……」
急に体が震えて平衡感覚がうまくつかめない。
不意に足の力が抜けてユウの体は地面に勢いよく倒れこんだ。
「ちょっと、ユウ!?」
頭上からシャルルの慌てた声が聞こえてくる。続けて何かを叫んでいるようだが、段々とその声も聞こえなくなってきた。
(はは、何泣いてんだよコイツは。心配しなくてもこんなの少し寝たら治るって)
ユウが最後に見たのは焦燥した少女の顔だった。
次第に体の感覚が小さくなっていく感覚と襲いかかる眠気に逆らえず、ユウの意識は闇へと沈んでいった。




