第一章30 『解』
ユウとテイシアは長い廊下を歩いていた。明るい時は気がつかなかったが、壁の上部にある箱は照明だったようで今は明かりが灯っている。廊下には等間隔で赤い花の入った花瓶が台の上に飾られており、花からはステアと似た香りが漂っていた。
風呂から上がった後、二人はステアを探して孤児院の中をさまよっていた。シャルルにも会いたかったが、今日はもう遅いし眠っているかもしれない。
ただ、昼のこともあって神父には会いたくなかった。昼に殺されかけたユウは、曲がり角や背後の死角からあの神父が金属の十字架で狙っているのではないかと考え、ビクつきながら歩いていた。
もう眠いのか少し元気の無くなってきたテイシアの手を引いて歩くが、ステアはどこにも見当たらない。
教会の方に行ったのか、と思ってホールに戻ってくるとテイシアが急に歩くのをやめた。
気になって振り返ると、テイシアは目をこすりながらユウの足にもたれかかってきた。
「ごめんテシア、もう眠いよな。ちょっと悪いけど先に寝かせてもらおうか。結構時間も経ったし、風呂が空いたことにもそのうち気づくだろ」
「ありがと、ユウサンにい……」
頭をコクリコクリ、と縦に振りながら小さな声で答える。ユウはそんなテイシアを背中に乗せた。ホールの時計を見ると、もう時刻は十時を過ぎている。子どもが寝るにはだいぶ遅い時間だ。昨日、ユウもいつのまにか眠ってしまったため、ここでの就寝時間はよくわかっていないが。
この子の部屋に帰ろうか、ユウがそう思い立って今来た道をUターンしようとした時、ホールのがギイイと木の軋む音を立ててゆっくりと開いた。
トビラの隙間から小太りの男がホールへと入ってくる。小太りの男は園長のエドワーズだ。見回りをしているのかキョロキョロとホールを見渡すと、ユウ達の姿に気づいたのか足早に近づいて来た。
エドワーズが目の前まで来ると、彼の少し怒ったような顔に気がついた。
「君たち、今の時刻がわかっているのかね? 夜は暗くて実に危険も多い。やりたい事があるのなら、明日にしてくれないかね」
「ステアねえ、さがしてた」
ユウの背中から顔を出してテイシアが答える。エドワーズはそれを聞いてどこか安心したように肩を落とした。ユウはテイシアの返答を補足する。
「風呂から出た事を伝えたかったんだ。さっきまでここにいたんだけど、仕事があるって言ってどこかに消えちゃってさ」
「ステアならワシの部屋で帳簿をつけておる。伝達はワシからしておこう。君たちはもう寝なさい」
エドワーズの口から彼女の居場所がすんなりと出てきた。ユウは短くお礼を伝えてステアが見つかった事に安堵すると、今度は神父の事を思い出した。
昨日のシャルルの話と今日のファロムの話、それに昼間の殺気。どこを取って見ても、彼は普通ではない。エドワーズが神父のことをどこまで知っているのかは知らないが、報告しておいた方がいいだろう。
ユウはそう考えて、「それと、神父の話なんだけど……」と口を開く。
すると、エドワーズはユウの言葉を遮るように、
「君たちはもう寝なさい」
と威圧的な口調で先程と同じ言葉を繰り返した昨日までの温厚な雰囲気とのギャップに翻弄されてユウは何も言えず、園長に背を向けてさっき来た通路をくるりと振り返りこの場から逃げるように歩きだした。
エドワーズはなにかを隠している。そんな予感がしたが、明日話を聞こうと決意してテイシアの部屋を目指した。背中のテイシアはいつのまにか眠っていた。
薄暗い通路を一直線に進む。通路には両側にたくさんのトビラがあった。歩きながら横に顔を向けると、トビラには部屋の主の名前が書いてある。
今通ってきた通路にはラル、ファロム、ネイ、フロウ、ステアそしてテイシアの名前が書かれたトビラがあったはずだ。ここでは、一人一つずつの部屋が与えられているようだ。
ユウは突き当たりまで進むと『テイシア』と書かれたトビラの前で立ち止まる。
「あれ? はじめにこの子の名前を聞いたとき、たしか『テシア』って言ってなかったか? 俺の聞き間違いか?」
物音一つしない静かな廊下にユウの声が響くが誰も返事をする様子はない。誰かに話しかけたわけではないため、返事が来る事を期待したわけではない。
そういえば、ここの人間がテイシアを呼ぶときにどこか違和感を感じていた。おそらくどこか舌足らずなテイシアは自分の名前がちゃんと言えず、ユウは彼女の名前を間違えて覚えてしまったようだ。
「明日は、テイシアにも謝まらなきゃな」
ユウは背中で寝息を立てる少女を思い小声で呟いて、トビラを開いた。
ギイイイ、と木が軋む音が聞こえる。部屋に入り、静かな廊下にあまり音を立てないように、トビラを閉めて部屋の明かりをつける。
明るくなったテイシアの部屋の中を見渡すと、ベッドに机にクローゼットと他の部屋となんら変わりのない家具が置いてあった。大きく違う点は、部屋の壁にクレヨンで描いた大きな落書きがあることくらいだ。
白い髪の女の子とピンクの髪の女の子が手を繋いで笑っている絵が、子どもらしいタッチで描かれている。家からしてみればたまらなく迷惑な落書きだが、ユウにとっては微笑ましい光景だ。
部屋の壁を見て穏やかな気持ちになったユウは、テイシアをベッドへと寝かせると自分もその隣で横になった。肺から息を吐き出して天井を見つめながら、ここ『フォスターハウス』での出来事を振り返る。
(シャルルが昨日言っていた通り、あの神父はどこかがおかしい。明日エドワーズに伝えるか……。いや、神父だけじゃない、さっきのエドワーズにもどこか不審な雰囲気を感じた。表向きは普通の孤児院だが、ここには何か裏がある気がする。昨日の話をシャルルを詳しく聞きたいけど、まずはアイツと仲直りしないとな)
懐疑の念を抱きながらも、ユウは部屋を見渡し明日の計画を練る。少し開いた部屋の入り口の隙間から、何かがこちらを覗いているような錯覚を覚えたが、次第に大きくなる眠気に耐えきれずユウは意識を落とした。




