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第一章10 『なにかひとつ』


 辺りには滝の音と、草木を揺らす風の音が響いている。ユウが目を覚ますと辺りは少し肌寒く、空は雲で覆われている。湖に飛び込んだせいで、水に濡れた服はいつのまにか乾いていた。



ーーギイギイ


 突然、未だ意識の覚醒しきっていないユウの耳に、どこかで獣が鳴くような声が聞こえた。

 興奮しているのだろうか。その声色は張り切るように段々と大きく聞こえてくる。


ーーギイギイギイギイギイギイ


 もしかして、魔物だろうか? 声の主の姿は見えないが、聞いたことのない不快な音に背筋が寒くなる。


 クエストを受けた際、ギルドにいた猫耳の女の話では、おそらく魔物はいないとのことだった。まあ、彼女の雰囲気から信用できそうな感じではなかったが。


「あれ?」


 起き上がったユウが滝の方を凝視すると、滝の落ちる裏側には少しの空間が目に入った。空は今にも雨が降り出しそうな天気だった。


「一雨来そうなことだし、あそこで雨宿りでもするか。少し経てば、この不快な音もそのうち止まるだろ」


 早速、湖の外周を移動して滝の裏までたどり着く。小さな空間に見えた場所には、さらに奥へと続く石の洞窟があった。

 あいにく、ユウは探検が嫌いではない。彼はゲームでも全てのダンジョン、家、通路を通らないと気が済まない性格だ。


「もしかしたら、お宝でも眠っているかもな」


 先の見えない洞窟の内部を考えると頬が緩む。ふと、ユウが視線を足元へ向けると赤いシミがいくつもあることに気がついた。まだ乾いていないのか、微かに鉄の嫌な臭いが鼻をつく。



「マジかよ」


 さっき聞いた声はどうやら、この奥から聞こえてくるらしい。洞窟の中で反響した不快な声はユウの不安を駆り立てた。


「この血の跡と不審な声。何か嫌な予感がするな」


 そう呟くとユウは手に湿ったものを感じた。どうやら緊張しているのか、尋常ではない汗をかいている。


 かつてのユウなら怪しい気配にここで引き返し、街へと帰っていただろう。しかし、非日常な異世界で自分の常識を超える出来事をいくつか経験したせいで、ユウの感覚は麻痺していた。


「もし、もしも中で誰かが襲われいるとしたら……この世界にはおそらく助けを呼ぶ手段はない」


 この星の技術レベルなどまだ理解していないが、街の発展具合から見てもたぶん中世レベルだ。スマホも、携帯も、もちろんポケベルだってまだないはずだ。


(危険だとしても、誰かが助けにいかないと、な)


 ユウは苦笑いを浮かべ、洞窟内へと足を踏み出す。硬い石の地面の感触を足に感じた瞬間、中から絶叫が聞こえた。


「きゃぁぁぁぁ!」


 おそらく女性、それもたぶん子どもの悲鳴だ。悲痛な声を聞いて、ユウの中のかつてはヒーローに憧れた気持ちが再び沸き起こる。


「俺が、助けにいかないと」


 外から聞こえてくる滝の音に紛れた雨の音を背に受けて、ユウは暗い洞窟の中へと踏み入れた。





***********





 洞窟内には幸い壁に松明がいくつもあり、夜の街程度の明るさがあった。道の幅は十メートル、洞窟の高さは七、八メートルくらいか。あまり遠くは見えないが、進む分には問題はない。


「ギイギイギイ!」


 腰に挿した短剣に手をかけ、慎重に足を進める。声の主はどうやらもう近くにいるようだ。


 ユウは目を凝らして洞窟の奥を凝視する。すると、そこには三つの跳ねるような小さな人型の影と、尻餅をつきながら後ずさる人の影が見えた。


 ユウは急いで影に近づくと、そこには醜い顔をした生物が見えた。おそらくこの世界で魔族と呼ばれる種類の魔物だ。その近くには、倒れている服の乱れたピンク色の髪の少女がユウの視界に入る。少女はどうやら手と足を布で縛られているようだった。


 少女は震える体でユウを見つけると小さく「助けて」と口を動かしているが、どうやら恐怖で動けないようだ。


(おいおい、ふざけんなよ!! ここには魔物はいないんじゃなかったのかよ! 三匹もいるじゃないか!)


 軽い口調の受付嬢を思い出し、彼女のいい加減さを振り返る。あの女は明らかに信じちゃいけない人種の人だった。


 クソッと悪態をつき、ユウは後悔するがその声はギイギイという魔物の声にかき消された。

 今になって彼は自身の軽率な判断を呪うが、そんなことで事態は好転するはずもない。


 魔物はユウの姿に気がついたのか、ユウを見て固まっているようだ。

 ユウは魔物の能力を確かめるべく、瞳に力を込めた。金色に輝く瞳に映る魔物から、その能力が頭に流れ込む。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

名前:ボブゴブリン

種族:魔族

能力:なし

力:A

体力:A

早さ:C

魔力:E

状態異常:なし

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 どうやら目の前にいる魔物はゴブリンのようだ。豚のような顔には牙があり、口元からはヨダレを垂らしている。


 少女を囲む三匹の魔物はこれからの”お楽しみ”を途中で邪魔されたせいだろうか、怒った様子でユウを見ていた。ゴブリンの百三十センチほどの小さな体は追い払うのは容易く思えたが、手に持った大振りの棍棒と魔物の能力を見てその考えは吹き飛んだ。


「クソッ! ゴブリンって雑魚モンスターじゃないのかよ! それより女の子相手になにしてんだこのエロ豚共!!」


 ユウは悪態を叫ぶがゴブリン達に言葉が通じる様子はない。一番近くにいた一匹のゴブリンが手に持った棍棒を振り回してきた。


 ブォン!! 空を切るその一撃は風を切り、凄まじい風圧が巻き起こる。ユウは驚き後ろに倒れるが、それを見て三匹の魔物はギイギイ嬉しそうに笑っていた。


(このステータス差じゃ、俺にはどうしようもねえ。クソッ! こんな役に立たない目じゃなくてもっとチートな力をくれよ、女神様!)


 ユウは悲痛な表情を浮かべ後ずさる。すると魔物の一匹はユウから目を離し、少女の方へと歩み寄った。


「こ、来ないでください……」


 少女の声と思われる、小鳥が鳴くような声が聞こえてくる。それを無視して魔物はゆっくりと近づいて少女の服に汚い手をかける。そして勢いよく引っ張ると少女が着る布の服を思い切り引きちぎった。


「きゃあああッ!」


 泣き叫ぶ少女の服はボロボロに破れ、こぼれ落ちそうな二つの大きなかたまりが剥き出しになる。それを拘束された手で必死に隠す少女の姿は痛々しく、とても見てはいられなかった。少女の下半身には、もはや秘部を守る一枚の布しか残されていなかった。


 嫌らしい笑みを浮かべたもう一匹の魔物は、さらなる陵辱を試みるべく少女へと近づいた。少女は恐怖に耐え切れず、チョロチョロと黄色の液体を垂れ流す。醜い魔物はそれすらも嬉しそうに眺めていた。

 少女の体は、体のあらゆる穴から出た自身の体液でぐちゃぐちゃだった。


 自分の泣き声が魔物を喜ばせる餌でしかないことを理解して、少女は声を潜めて泣いた。


(こわい、コワイ、怖い)


 少年は震える自分の体を抱きしめその場でうずくまる。

 

 いつもこうだ、と少年は頭を抱える。


(俺が出くわす場面はいつもこうだ。自分が望む結果は来なくて、必ず別の困難が降りかかる)


 ユウはもう何もする気がないように、壁に背を預けその場に力なく倒れこむ。そして、かつて逃げ続けていた自分を思い出す。




『だれかが代わりにやってくれる』



 幼稚園でいじめっ子が暴れるのを止める先生を見て、ユウは思う。


 通学路、目の前で胸を押さえて倒れこむ老婆を抱えるサラリーマンを見て、ユウ思う。


 高校で好きだった女の子が柄の悪い男に呼び出された翌日、三階の窓から飛び出して自由になったのを見て、ユウは思う。


 自分の代わりに誰か他の人が助けてくれるはずだ、と。


『キミはここに来て、何をした?』


 ユウの心を責めるように、頭の中でだれかの言葉が荒んだ心に流れ込む。


(この星にきて……いや、生まれてきてなお、俺は何も、何一つ成していない。俺が生まれてきてからしたことは、何かから逃げる言い訳ばかりだ)


 自分の心を押し殺し、地面を這う感覚を覚えた、麻痺した体に言い聞かせる。

 

「嫌っ! もうこんなの嫌! どうか、はやく、はやく私を……殺して」


 恐怖が限界に達したのか、少女の悲痛な声が洞窟の中に木霊した。


 今回だって、と何もしない理由を探し、魔物が自分を見ていないことに気がつき安堵していた。

 魔物の奥にいる少女を見ると、一瞬目が合うが少年は素早くそれを逸らした。



(ここでまた逃げたら今までの自分と何も変わらない。今だけじゃない、きっとこれからも。俺は何も出来ない、ただの引きこもりのままだ)



 魔物の荒い息遣いと、少女のすすり泣く声しか聞こえなくなった空間で少年は、



「俺はヒーローには向いてない」



 そう呟くと震える足で立ち上がった。


「強いやつに刃向かったことなんてないし、虫だって怖くて殺せない」


 言葉が通じるはずはない。しかし、自分を奮い立たせるためだけに少年は吠える。


「特技もない。スポーツも勉強も苦手だ。もちろん努力だって嫌いだ」


 足の震えは止まらない。しかし目の前にいる魔物をしっかりと視界に入れ、力強く睨みつける。


「でもな……俺は、目の前で泣いてる女の子を前にして、何もできない自分が、何よりも一番、嫌いなんだよ!」


「うおおおおおおっ!」


 雄叫びをあげ、ユウは左手に短剣を構えると自分から最も近いゴブリンへと突撃した。


 勝算なんてない。

 ここで死んだっていい。


 何もしない自分を恥じると体が動いてしまった。それだけだった。


「ギギイ!」


 突然の咆哮に連動しゴブリンは威嚇するように吠え、棍棒を両手で持ち、振りかぶる。ゴブリンが目線の先に狙うのはユウの頭だった。


 ユウがゴブリンの間合いに入ると同時に、ゴウッ! と大きな風を切る音と風圧が巻き起こる。


 避けられない! そう判断したユウは、左手を前に突き出し咄嗟に棍棒の軌道を変えようと試みた。


 ゴキィィィ!


 今までに聞いたことのない、大木が折れるような音を聞き、ユウは自分の右腕がおかしな方向に曲がっていることに気がついた。が、不思議と痛みは感じない。


 棍棒はそのままユウの頭に当たることなく空を切る。

 振り切った後の隙だらけのゴブリンに対して、ユウは迷わず喉を目掛けて短剣を突き刺した。


 風船を刺すような感触の後、グニュリ、と腐った豚肉を切るような気持ちの悪い感触を感じ、ユウは短剣を強く押し込んだ。

 首から素早く短剣を引き抜くと、ゴブリンの傷口からは血が溢れ、絶叫をあげながら苦しそうにのたうちまわった後、魔物は動かなくなった。


 血に濡れた短剣と、返り血にまみれ肌に張り付く衣類を気持ち悪く思っていると、遅れて激痛がやってきた。


「ぐっ……あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」


 あまりの激痛に耐え切れず短剣を落とし、右手を抑える。どうやらこっちの手はもう動きそうもないようだ。


 仲間の死に興奮した残りのゴブリンが棍棒を構えてユウに飛びかかってくるが、もはや避ける気力もない。


(ティア、悪いな。神様のお願いは、どうやら叶えられそうにないみたいだ)


 ユウは剣を手放すと、目を閉じて最後の瞬間を待つ。


 目を閉じたユウの耳に届くのは、地面を転がる短剣の音。加えて嬉しそうにゴブリンが鳴く声とその足音。


 ーーそして最後に、棍棒が振り下ろされる音がした。

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