魅了から解放された騎士様は今日も大変
少女は魅了の力を持っている。
その力を使い特待生として入学した学園では、第二王子と宰相の息子を魅了することができた。
すでに卒業していた王太子の第一王子は魅了できなかったが、在学していた彼の侍従は魅了している。第一王子がいなくなれば、第二王子が繰り上がって王太子になるだろう。第二王子を魅了している自分は、未来の王妃だ。
「殿下方は生徒会室で待っていらっしゃる」
学園の廊下で、少女は第二王子からの伝言を持って来た騎士を見つめた。
彼女の魅了の力は瞳に宿っている。
視線によって相手を射抜き、虜にすることができるのだ。
「わかりましたぁ。騎士様は生徒会室でお昼をお食べにならないんですかぁ? アタシぃ、騎士様も一緒がいいですぅ」
「ああ、食べない。俺は今、殿下に疎まれているからな」
甘えた声で言っても、低い声が返してくるのは四角四面な言葉だけだ。
騎士が第二王子に疎まれたのは少女との関係を諫めたからである。
少女は会うたび騎士を見つめていたが、彼が魅了された様子を見せることはなかった。騎士の家は王家の盾と呼ばれる侯爵家。第二子である彼は王家の剣と呼ばれる伯爵家へ婿入りすることが決まっているけれど、盾の血筋が魅了を遮っているのかもしれない。
(あるいは女に興味がないのかもね。……ケッ)
心の中で舌打ちして、少女はひとり生徒会室へ向かった。
騎士ひとり魅了できなくても構わない。
学園の主だった男子生徒と男性教師はすべて手中に収めている。
★ ★ ★ ★ ★
少女が第二王子と宰相の息子が待つ生徒会室へ向かうのを見送って、騎士は学園の中庭へ向かった。
茂みをかき分けて秘密の場所へ入り込むと、
「くわぁくわぁ!」
烏に歓迎される。
彼はただの鳥ではなく、術者を守護する精霊獣だ。
守護されている術者は王家の剣と呼ばれている伯爵家の跡取り令嬢。侯爵家の次男である騎士の婚約者だった。
令嬢は、騎士が大好きな笑顔で優しく言う。
「お疲れ様です」
「ああ。殿下方にも困ったものだ。あの女への傾倒が一向に収まらない」
騎士が婚約者の隣に座ると、そっと飲み物を差し出された。
「お食事は?」
「分けてもらえるとありがたい。学食へ行く気力もないんだ」
コップのお茶を飲み干して言うと、サンドイッチを渡された。
ぶ厚く切った肉が挟まれている。
明らかに最初から騎士のために作られたものだ。彼は大柄で筋肉質な軍人なので、婚約者の伯爵令嬢の三倍は食事を摂る。
「これは君が?」
「うふふ。屋敷の庭で苺が採れたのでソースに入れてみました」
「……甘酸っぱさがいいな」
食事が終わり、騎士は彼女に強請った。
「また膝枕をしてもらってもいいか?」
「ええ。お疲れですものね」
「……」
甘え過ぎだと視線で責めてくる精霊獣を無視して、騎士は伯爵令嬢の膝に頭を預けた。
彼女から漂う甘い香りが心地良い。
瞼を閉じて彼は思った。
(殿下方には困ったものだが、あの女は役に立つな)
第二王子達が夢中になっている女に見つめられると騎士の下半身が反応する。
上半身は婚約者である伯爵令嬢を愛しているものの、下半身の好みはあのような女だったらしい。もちろんだからといって体を交わす気は毛頭なかった。
この程度の情欲なら、いくらでも我慢できる。
あの女に会うまでは全身が伯爵令嬢を求めていたのだけれど、今は心だけが穏やかな愛を婚約者に注いでいる。自分も成長したのだろう。心と体は別物だ。
一時は自分の激しい情欲で愛しい令嬢を壊してしまうのではないかと不安に思っていたが、この分なら第二王子達にムッツリと笑われながらも研究してきた古今東西の性的な知識を駆使して、小柄な彼女の体に負担をかけることなく愛し合うことが可能だ。
婚約者の手が、騎士の黒髪を梳る。
少し不吉だと思われている烏の精霊獣を召喚したとき、彼女は騎士の髪と同じ色の羽だと言って喜んでくれた。
★ ★ ★ ★ ★
──その後、第二王子をはじめとする少女の信奉者達が、学園の卒業パーティでそれぞれの婚約者との婚約を破棄しようと企んでいたことがわかった。
少女は王宮魔術師によって調べられ、魅了の力で周囲を虜にしていたのだと明らかになった。
侍従を利用して第一王子を暗殺しようとしていたことも暴かれ、彼女は処刑された。
★ ★ ★ ★ ★
伯爵家を訪れた騎士は、婚約者である令嬢の部屋へ通された。
本来なら婚約者同士とはいえ、未婚の男女をふたりきりにするなど周囲が許さない。
しかし令嬢には彼女を守護する精霊獣がいたし、騎士は第二王子を虜にした悪女にも魅了されなかった強い精神の持ち主として知られていた。
第二王子達の婚約破棄計画を国王に報告したのも彼だ。
伯爵家の当主夫婦も、騎士の祖父である侯爵家の先代と親しい令嬢の祖父も、彼を信頼していた。部屋へ案内してくれたメイドや使用人達にも尊敬の目で見られていた。
(……不味い)
愛しい婚約者と久しぶりに会って、騎士は悪い汗をあふれさせていた。
自分の上半身と下半身は別物ではなかった。
単にあの少女に魅了されていただけだったのだ。魅了というか情欲を煽る力だ。
今の騎士は魅了を解かれて、下半身にも伯爵令嬢への愛が迸っている。
ふたりが少しだけ先走って関係を持っても責める者はいないだろうが、落ち着いて彼女に負担をかけない愛し方をする自信が持てなかった。
(殿下方は、あの程度の情欲を恋だと誤解していたのか?)
騎士の汗を見て、伯爵令嬢は誤解する。
「殿下達をお止めするためとはいえ、足の骨を折ったことを今も悔やんでいらっしゃるのですね。……大丈夫ですわ。王宮魔術師様が、後遺症が残らないように回復魔術をかけてくださいますわよ」
小さな手で自分の手を包まれて、騎士は跳び上がりたくなる。
嬉しくてたまらない。
彼は婚約者が大好きなのだ。だからこそ体内で暴れまくる情欲に身を任せるわけにはいかない。これから死ぬまで、ずっと一緒にいたいのだから。
卒業パーティでの婚約破棄計画を止めるために第二王子達の足の骨を折ったことについては、なんの痛痒も感じていなかった。
国王から許可を得ていたし、婚約者が言った通り回復魔術で治せる程度の怪我だ。
先代侯爵である祖父や現当主である父、仲は良いが訓練では容赦などしない兄との手合わせなら、ほんのかすり傷扱いのものである。
「くわぁくわぁ」
いざとなれば精霊獣が獣と化した自分を止めてくれるだろう。
魅了される前は我慢できなくなった騎士を精霊獣が追い出していたため、婚約者の伯爵令嬢には、彼らは仲が悪いのかもしれないと心配されていた。
とはいえ、激しい情欲に支配された自分の姿を婚約者に見せるのはできるだけ避けたい。
傷つけるのも怯えられるのも嫌だ。
がっついた余裕のない男だと思われるのは、もっと嫌だ。恥ずかしい。
だったら帰ればいいのだけれど、一応主君を怪我させたということで自主的に謹慎していたので、今日の逢瀬は一カ月ぶりなのである。少しでも長く彼女の側にいたい。
騎士は、魅了されていたときのことを懐かしく思い出した。
あんな風に落ち着いた気持ちで伯爵令嬢の側にいられるようになるのは、いつのことだろう。とりあえず今は、必死で情欲を抑える彼なのだった。