表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

八十平瓮に載せて

 雑踏の中に身を潜めて居ると、その人混みに贖罪(しょくざい)を埋没させたくなる。非常に無責任極まりなく、逃げの一策である。

 灯篭流(とうろうなが)しと似たような感覚だろうか。灯篭流しは、生者の勝手な御都合で、あたかもそこに死者の精霊(しょうりょう)が坐って居るかの様に扱う。予算が足りないと言い、適当な木製の舟を、磐舟(いわふね)だと自分で自分に言い聞かせ、其れをご利益の意味も分からない(まま)流す。流しさえすれば死者を(いた)む時間は須臾(しゅゆ)とは程遠い。直截(ちょくせつ)懺悔(ざんげ)など無いに等しい。

 間接的な悔恨を如何(どう)にかして、一寸(ちょっと)だけ紛れさせた。思考は救いだ。思考により人の精神は安寧を保つ。思考する脳味噌の欠落は精神叛乱(はんらん)を呼び起こす。

 蜘蛛の偉大さを思い起こした。蜘蛛は糸を放射状に張って、雨水にも負けない丈夫な巣を構築する。考えを蜘蛛の糸の様に巡らせれば、疲労による綻びが来ても決して壊れる事は無い。病む者は糸が張り切れていないのだ。一箇所が切れただけで張り直せなくなって、それで焦り過度に戻そうとするから、病みという形で身体に反作用が表れる。体の調子が悪くなるのも精神疲労が身体に及ぼす悪影響の一つだ。

 だから人々は揃いも揃って精霊を年に一度、夏に流す。灯篭流しと蜘蛛の糸、一見無関係に見える二者が、恋愛というまた無関係そうな事象を媒介して一般人の常識を凌駕するほどの高次に複雑な関係性を築いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ