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日没する処の天子

 恋愛と云う概念は人間の抱く最も非自明な、(しか)し或る処では最も自明な感情とも言えぬ「何か」である。

 私は食後の珈琲に手を付けると、砂糖もミルクも入れて居ない事に気付いた。平生の私は喫茶に入る事は有れども、其処で満腹に成る(まで)食事をする事は無かった。精々珈琲を一杯飲み、小洒落(こじゃれ)たケーキを微苦笑と共に頂く程度だ。それが今日は大盛りのカレーライスを頬張らずには居られない。そんな気分であった。

 何時もの様に(おびただ)しい量の砂糖とミルクを投入し、冷めたそれを一気に飲み干す様な嘆かわしい所行を行う心持ちでも無かった。人目も(はばか)らずに興冷めな真似を遂行する平生の自分を責めた程でもある。それ程に今の私の心は廃れていた。

 何処と無く良い雰囲気を醸し出して居る、最寄り駅から数個は離れた駅前のこの喫茶店は、その佇まいに似つかわしい食器を使って居る。それが余計私を腹立たせた。何時もは食器や店の風貌など、気に掛からぬのに。此処へ最初に訪れた理由だって、ミコのバイト先であっただけだと云うのに。

 慣れない事はしない方が良い。運ばれたばかりの珈琲は、苦くて熱くて、溜まったものじゃない。だのに私の体はこのブラック・珈琲だけを受け付けて居るに違いないと迄思わせる。今朝の牛丼チェーン店の朝定食も、昼の立ち食い蕎麦屋の海老天掛け蕎麦も、三時のチョコレートも、須らく私の第六感を刺激しなかった。今日だけでは無い。昨晩に私の通って居る学校の部活の友達と行った焼肉も、先週の鍋もバーベキューも全てである。この珈琲だけが、私の淘汰された欲望を飽和してゆく。暗い暗い夜道を照らす様な、それでいて(ひかり)と云う程強烈な光でも無く、母親の寛容的な包容のような、父親の高圧的な威厳のような―。

 別段、恋愛について造詣が深い訳でも無い。だからこそ、この失恋の傷だけはやはり収まる処を知らないのだ。知識で答えられる問題を閃きで挑戦しようとする試みに良く似ている。疎いからこそ、一定量の考察と解釈は必須項目だ。

 恋愛とは何か、其の様な月並みな質問には私は何時もこう答える。「統御される訳でも無く、然しその(たが)を外しては行けない。自明さと非自明さを一心に背負う、誠に面白くも憎らしい、興味が(そそ)られもするし無関心で居ようとする気持ちも煽られる、そんな渾沌とした深い深い洞察の末に存在する―」と、この辺り迄語ると質問者も傍聴者も諸共離れて行く。世の人間達は恋愛という概念的学問をそうだとは思って居ないのだろう。だからこそ恋愛学は美しい。心理学と身体論の二面性を兼ね備えた多義的な思考材料で在る。恋愛の成就をそれ程難しく捉えて居ない彼等にとって、恋愛解釈は不必要なのだ。冷静な分析を必要とするのは私の様な恋愛弱者のみだ。

 また感情が沸々と煮え(たぎ)って来るのを感じる。私の悪い癖でもある。腹の中と裏腹に冷めてしまった珈琲を一気に口に入れる。やはり苦いだけの珈琲では無い。世界一の珈琲、そう呼ぶに相応しい代物だ。一流の反物(たんもの)職人は日本中にごまんと居るが一流の珈琲職人は聞かない。反物は珈琲よりも一流に、それを織った人間に価値が有るからだろう。恋愛が反物で満たされず、珈琲で感化されて仕舞うのにも通ずる。

 ミコは今、何をして居るだろうか。高二の夏は未だ長い。七月の下旬、誕生日と云う皮肉な一日を、自らの生を祝福する契機と為すと共に、一方では自らの死を追悼する役目も引き受けようと再決意して、再びこの街に身体を溶かそうとした。

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