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甘い毒

マタンが「え?」と驚いて顔を上げると、ユージーンの青い瞳がマタンをひたと見つめていた。その強い視線は、マタンの心を射貫くかのようであった。


(『優しさ』が強くて美しい? 私は、このままでも良いの?)


ユージーンの優しさに喜びを感じると同時に、マタンの心はどこかツキリと痛んだ。


(甘えになってしまうわ。私は、ユージーン様の足手まといにはなりたくないのに……)


そうは思っても心は感動で打ち震えている。そのままでいて欲しいことと、散々妃教育で否定されてきた自分の性格を肯定されたのだ。嬉しく思わないはずが無い。


「……あ」


今度は喜びで涙が一筋流れた。


「私……」


悲しいときの涙と違って、嬉しいときの涙はなんて温かいのだろうとマタンは思った。


「このままで……良いのですか? ユージーン様の妃として『頼りない』と臣下から思われませんか? あ、呆られたり……軽蔑されたりしないでしょうか……?」

「マタン。君が思っているほど、周囲はそんなことを気にしてはいないものだよ?」

「……そう、なのですか?」

「―――そうなんだよ」


マタンはホッと安堵の息をついたが、最後のユージーンの言葉が一瞬鋭くなったような気がし、やはり考えてしまう。


(ユージーン様はーーー気にしていないの?)


王宮の奥にある離宮のことーーー


(だから、そんな風に言うの?)


気にしていないと言うのは正しくないはずだ。本当は誰もが欠点を持っていて、一時期周囲はそれを気にする。しかしその欠点を許し、享受することで、人と人は上手く付き合っていけるのだろう。


(だけどさっきの言い方では……ユージーン様は……)


時折見えるユージーンの()()を、マタンはいつも気にしている。案の定、次の瞬間にユージーンは王族特有の微笑に戻ってしまった。


「言っただろう? 君は王妃陛下とは違う人間なんだ」

「ユージーン様……」

「君らしさが欠けてしまうくらいならーーー」

「ユージーン様…!」


マタンの呼びかけに気づき、ユージ-ンは「ん?」と首を傾げた。


(そんな顔をしないでーーー)


しかしマタンは本当に言いたい言葉をのどの奥にグッと飲み込んだ。


「わたくし貴方の……ユージーン様の妃に相応しくなりたいのです。それがどんなものかは……まだ分からないですが……でも必ず、ずっと」


マタンはユージーンの手をギュッと掴み、自分の頬に寄せた。


「―――ユージーン様のお側におります」


マタンの突然の言葉と行動に、ユージーンの瞳はみるみるうちに見開かれた。


「だから、だから……」


マタンの瞳はまだ涙で潤んでいた。それ故に、ユージーンがマタンの本心に気づくことは無かった。ユージーンはマタンの不安を消すかのように目元をふっと柔らかくすると、マタンの手に包まれた手を握り返し、


「―――分かっているよ」


とマタンにだけ聞こえる位の声でささやいた。視線が絡まった次の瞬間、マタンはユージーンの腕の中に捕らわれる。慣れない抱擁にマタンの体は反射的にビクッとするのだが、ユージーンはそれを押さえるかのように強くマタンを腕に抱いた。


「待っている……。マタンが大人になるまでーーー私は君を待つよ」

「ユー、ジーン……様…」


吐息が耳にかかり、マタンはかゆみを覚えた。それと同時に背筋がゾクゾクし体が熱くなる。ユージーンの熱をもっと感じたいと思ったマタンは、ゆっくり目を閉じた後、彼の背に手を回した。


(あたたかい……)


ユージーンの高い体温に包まれながら、マタンはぼんやり思考する。


(優しさを強さに変えるのにはどうしたら良いのだろう……?)


相手の服から香る甘い匂いに、マタンは無意識に頬ずりした。お菓子でも花でも無い甘い香りだったが、とても良い匂いだとマタンは思った。


(今はまだ、よく分からない……。でも、見失わないようにしよう)


それが誰のためになるのか。マタンは分からないながらも正確に捉えていることは確かだろう。恋も愛もまだ知らない少女であるが、ユージーンへ向ける優しさは誰よりも深い。そして、ユージーンがマタンに向けるそれもまた、同じなのであった。




***




「そうだ」


と言って抱擁の手を先にゆるめたのはユージーンであった。


「練習をしよう」


マタンが「何のですか?」と顔を上げて尋ねれば、ユージーンの顔は名案が浮かんだと言わんばかりにランランと輝いていた。


「思ったことが顔に出ないようにする練習」

「え? それは今日の講習で……」


やっています。とマタンが言い終わる前に、ユージーンは自分の口元に指を立て、


「これは秘密だよ?」


と言ってマタンに顔を近づけた。


「―――え?」


あまりに一瞬のことで、何が起こったのかマタンには分からなかった。


(顔が近くに来て、え? ま、まさか……?!)


マタンの思考回路が追いついていないことに、ユージーンは余裕の笑みを浮かべながら言う。


「この事は家に帰ってもーーーバレないようにするんだよ?」

「え、えぇ!?」

「どうだい? 出来そうだろう?」


“出来るか出来ないかでは無くて、それどころでは無い”とマタンの乙女心は訴えていた。


(え? 今、本当に?? 初めてだったのに? こう言うのは心が通い合ってからするものでーーーえ?)


だが思い起こせば、先ほどまで良い雰囲気だったのは否めない。


キスをした事実を自覚し始めたマタンは顔がぽぽっと赤く染まった。


「え、あ、の……」

「耳真っ赤」


と言うや否や、今度は耳にキスを受けた。チュッと吸われた音が耳に大きく反響し、マタンの頭は沸騰寸前になった。言葉にならぬ声しか出せず、小動物のように縮こまる。


「はぅ、ぁわわ……」

「フフッ……かわいい」


可愛いと言われて嬉しくないわけが無いのに、今はからかわれたように思えてマタンは赤い顔をしながら少し頬を膨らませた。その様子もまたユージーンを喜ばせるだけなのだが、マタンはまだ気づかない。ユージーンは愛しい婚約者に顔を近づけて、甘くささやいた。


「マタン。私のために頑張って……ね?」


出来るかどうか分からなかったがーーー父に知られたら何を言われるかと想像すると、マタンは頷くことしか出来なかった。




***




その後のアフタヌーンティーはつつがなく行われた。


しかし、マタンはユージーンの口元が気になって始終動きがギクシャクし、ティーカップの中身は揺れてなかなか口に出来なかった。ユージ-ンのせいで落ち着かないというのに、彼は「もう1度しようか?」「足らなかった?」と会話の隙を見つけてはマタンに告げる。席を詰め寄られて顎を取られた際は脱兎の如く逃げだした。


いつも以上に機嫌が良く余裕を見せる婚約者に対し、マタンは反骨精神が高まりツンとそっぽを向いた。「機嫌を直して?」と言われてもツンとしていたのだが、クッキーを口元に添えられると柑橘類の匂いに思わず心がときめき、マタンはおずおずと口を開いてしまう。サクサクほろりと口の中でほぐれるクッキーにマタンがほわっと笑みをこぼすと、ユージーンは顔を下に向け手で隠し、大きな声で笑わないよう腕でお腹を押さえ肩を震わせた。その大仰な姿にマタンはムッと頬を膨らませると、またツンとそっぽを向くのであった。


スミレの砂糖漬けを入れた紅茶は、初めて口付けをしたからなのか、


(―――いつもより甘酸っぱい)


とマタンは思うのであった。




***




緑茂る庭園には秘密が沢山隠されている。


小さな恋人達の可愛らしい秘密から、大人達の秘密の逢瀬まで。


花々はそれらの秘密を、いつまでも枝葉で覆い尽くし守っている。



それは月日が経ち、秘密の番人達が死ぬまで守られる約束。

永久とわに色せることのない永遠の秘密。



だが、忘れてはならない。


綺麗な花で有ればあるほど、自分の身を守る鋭いトゲを持っていることを。

可憐で慎ましい花に見えるのに、その身に毒を持っていることを。


秘密は甘い誘惑。

愛という名のかんばしい毒。


知らずおかされ、その身を喰らいつくす。


気づいたときにはもう抜け出せやしない。




―――ユージーンの甘い毒に気づくのは、彼女がもう少し大人になった後……






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