第16話 1通の手紙
風邪で3日間寝込み続けた。
その間、昼間には信二、優紀、和尚の3人も毎日のように見舞いに来てくれた。
しかし、悪夢の影響で和尚の顔を見ることができなかった。
「なぜ、拙僧を避けておられる?」
和尚には何度も聞かれたが、悪夢の内容を思い出すのもイヤだし、そのことを和尚に説明するのもイヤだ。
だから春陽は和尚の問いには答えず、スルーしていた。
「これから拙僧は私用にて1週間ほど遠出をすることになった。後のことは信二殿と優紀殿にお任せいたす」と言っていた。
信二は1週間もどこへ行くのかと和尚に問いかけたが、和尚は一切、その件については話さなかった。
そして、休んでいた3日間の間、絵理沙先輩は夕方になると部屋にお見舞いに来てくれた。
その容姿は妖艶で、そして清楚、上品な雰囲気が溢れている。
絵理沙先輩が部屋の中にいるだけで清楚で艶やかな雰囲気が部屋中を満たしていく。
信二達3人は始終、絵理沙先輩に見惚れて、優紀と信二は喜びで涙を流していた。
信二達が一緒に部屋に居ることもあり、春陽が寝込んでいるので、絵理沙先輩は大人しく見舞いをするだけで部屋へと帰っていった。
少し不満そうに頬を膨らませている絵理沙先輩の仕草が可愛かった。
夜になると仕事を終えた綾香が部屋に来て、お粥を作って、寝ている春陽へ食べさせてくれた。
レンゲにすくわれたお粥に、綾香がフーフーと息を吹きかけて、熱さ加減を調整して食べさせてくれる。
しかし、一緒に布団で寝てくれたのは1日だけで、あとの2日は、春陽が甘えてお願いしてもダメだった。
「初めの日は特別よ。京香から、お隣さんとして清く、正しい交際って約束されてるんだから、恋愛が進展するようなことをしてはダメなんだよ」
春陽は綾香に優しく諭され、諦めるしかなかった。
しかし、綾香に看病してもらった3日間は、春陽にとっては夢のように3日間だった。
◆◆◆
元気になった春陽が3日ぶりに桜ヶ丘高校へ登校する。
校舎の中へ入ると生徒達の視線が、やたらと春陽に集中しているように感じる。
気のせいと思ってスルーするがやはり気になる。
靴箱を開けると封筒が入っていた。茶封筒で表にも裏にも何も書いていない。
嫌な予感がするのでゴミ箱へ捨てようかと考えるが、内容だけは読んでおこうとブレザーのポケットに仕舞う。
廊下を歩いていると男子生徒達の視線が春陽を捉える。
嫉妬の視線や殺気のこもった視線まで、春陽に向けられている。
春陽には何のことかわらかなかったので、とりあえずスルーして教室までの廊下を歩く。
教室の中に入った春陽は自分の席に座って、机の上に鞄を置く。
信二と優紀と香織が集まってきた。
優紀が困った顔で春陽を見る。
「今日の朝、妙な感じはしなかったか?」
「ああ、廊下を歩いていると生徒達から視線を向けられた。女子も少しいたけど、男子のほうが圧倒的に数が多かった」
綾香が険しい顔をして、胸の下で腕を組んでいる。
「春陽、大雨が降った日の昼休憩の時、絵理沙先輩から告白されたらしいじゃない! 千春から聞いたわよ!」
そう言えば、あの場に千春がいた。絵理沙先輩を止めるのに必死で、千春に口止めをするのを忘れてた。
「千春から聞いてるわよ。絵理沙先輩が食堂で、春陽のことが好きって宣言したって! 今、そのことで学校中が大騒ぎになってるんだから!」
周囲にも沢山の生徒達がいた。全員が絵理沙先輩と春陽に注目していた。これは隠しようがない。
信二が近くにある椅子に座る。
「俺の耳にも入って来てるぞ。絵理沙先輩が春陽に夢中だって噂になってる」
それは事実だから何も言えない。
「絵理沙先輩に憧れている男子生徒達が陰で春陽を狙ってるって噂だ。用心しておいたほうがいいぞ」
だから、朝から廊下で男子生徒達の嫉妬や殺気の視線を浴びなのか。それなら納得できる。
女性と達の視線は、絵理沙先輩に憧れている女子達だな。
優紀も近くにある椅子に座って足を組んで、厳しい表情で春陽を見る。
「俺達が見舞いに行った時、春陽も絵理沙先輩も、そんなこと一切、俺達に話さなかったよな。絵理沙先輩には何て返事してるんだ?」
「何も返事していない。何も返事しなかったら、絵理沙先輩が俺に好きな人がいるって勘づいた」
「それでどうなったんだ?」
「千春から俺の好きな人を絵理沙先輩が聞きだした」
「春陽が綾香先生のことが好きだって、絵理沙先輩にバレたのか?」
「バレた!」
優紀は額に手を当て、頭が痛いポーズを取る。
信二は肩を竦めて、ヤレヤレと首を横に振る。
「それを知った絵理沙先輩はどうなったんだ?」
「職員室へ乗り込んでいった! 止めようとしたけど止まらなかった!」
3人の予想を遥かに超えた春陽の答えに、優紀、信二、香織の3人も口を開けたまま呆然としている。
ショックから立ち直った優紀が口を開く。
「それでどうなった?」
「絵理沙先輩が綾香先生に質問して、綾香先生が生徒と先生の恋愛は禁止と説明した」
「それで?」
「俺が綾香先生のことを好きになっても受け止めないって絵理沙先輩に言ってたよ」
職員室の場だから、そう言われるのは理解してたけど、少しショックだったな。
「それで絵理沙先輩な納得したのか?」
「絵理沙先輩が俺にアタックするって綾香先生に宣言して、2人の話は終わったよ」
「結果的に春陽は綾香先生にフラれたことになるよな。お前はどうすんの?」
「俺の気持ちに変わりはないよ。綾香先生のことを想い続けるよ」
香織が顔を真っ赤にして両手で口元を押える。
「春陽って綾香先生のことが好きだったの! そんなの初めて聞いた!」
しまった! ここに香織がいることを忘れてた!
優紀がキリッとした顔で香織を見つめる。
「香織、春陽は生粋の年上フェチだ。大人の女性しか愛せない性癖の持ち主だ。だから、このことは絶対に誰にも内緒にしてくれ。騒ぎを起こしたくない」
「……わかったわ……」
香織の口元と頬が少し引きつってピクピクしている。
優紀と約束したのだから、香織は誰にも言わないだろう。
「絵理沙先輩のことはどうするんだ?」
「簡単に答えは出ないよ。だって絵理沙先輩とは文芸部からの先輩で、仲良くしてもらっているし、年上で好みだけど。でも……」
「でも?」
「絵理沙先輩を傷つけたくない。でも付き合えない」
優紀が複雑な顔をして、ため息をつく。
「仲良くしていたいけど、付き合えないか。難しい答えだな。絵理沙先輩も納得してくれないだろうな」
「うん。だからアタックし続けるって言われた!」
信二がいきなり立って、春陽の膝を思いっきり蹴飛ばす。
春陽は膝が痛くて、椅子にうずくまる。
「年上フェチの春陽には一生、わかんないかもしれねーけどな……」
信二の瞳には嫉妬の炎がメラメラと燃えている。
「絵理沙先輩は桜ヶ丘高校のNO1美少女で、アイドル並みに人気があって、男子生徒達の憧れなんだよ!」
そのことは春陽でも理解している。絵理沙先輩は妖艶で大人の魅力も兼ね備えた美少女だ。
春陽も綾香がいなかったら、今頃は付き合っていただろう。
「その絵理沙先輩に本気でアタックされるなんて……そんな羨ましい話ってあるかよ!」
信二の興奮は止まらない。
「春陽なんてな! 今までモテたことのない、俺の気持ちなんてわかんねーよ! あー羨ましい! あー悔しい! 俺も美少女にモテて―!」
春陽も今まで女性からモテたことはない。しかし今の信二にそのことを話せない。
優紀は信二のその姿を見て、何とも言えない渋い顔をしている。
ここで信二を止めるのは優紀の役目だが、優紀はイケメンのモテ男だ。
優紀が止めても、信二を納得させることはできない。
こんな時に和尚がいてくれたら、和尚は一体、1週間もどこへ行ったんだ?
信二の背後から美声が聞こえる。
「その気持ち、拙僧も理解できる。共にその気持ちを分かち合いましょうぞ。信二殿」
全員が振り返ると、袈裟姿で、見事な着物を着ている和尚の姿があった。
後ろから後光が差しているように見える。
全員、口をパクパクしている。
なぜ、和尚がここにいるんだ?
「信二殿、拙僧も生まれて今まで、女人にモテたことなどござらん。既に拙僧は諦めておる。しかし、美の権現様のことを心から敬っておる」
そこまで京香先生のことを和尚は崇拝していたのか。
「信二殿が女人と付き合いたいという気持ちも拙僧には理解できる。しかし、共に美の権現様を崇拝する身ではないか。そのことを忘れてはならぬ」
「俺は今まで京香先生のことを忘れていた。俺達には京香先生がいたんだ! さすが和尚! 心の友よ!」
すっかり茫然としていた香織は、意識を取り戻して、顔を激しく横に振る。
「なぜ、和尚が今、学校にいるの? 今日から1週間、お休みって言ってたじゃないの!」
「拙僧も今から旅立つ所。その手続きをするため、学校に参っておった。信二殿の心の声を聞き、馳せ参じた次第」
和尚って、信二の心の声が聞こえるのか。まさか方便だよな。
和尚と信二は友情の熱い握手を交わしている。
やっと膝の痛みが和らいだ春陽が椅子に座りなおす。その時、ブレザーのポケットから茶封筒がヒラリと落ちた。
優紀が何気なく茶封筒を取り出して、裏表を見て、軽い調子で封筒を破って、手紙を取り出す。
優紀の目が吊り上がり、怒りの顔へと変化していく。
「この手紙を読んでみろよ!」
優紀が和尚に手紙を渡す。
和尚が手紙を開いて内容を見て、春陽に渡す。
___
お前のことが気に入らない
絶対に潰してやるから校舎裏まで来い
___
手紙の内容を見て、春陽はやっぱりと、ため息をつく。
信二が春陽の持っている手紙を覗き込む。
「これ呼び出しの手紙だけど、名前書いてないってどういうこと?」
優紀がニヤリと笑う。
「行けば、すぐにわかるんじゃん。面白そうじゃん!」
優紀はイケメンなので、中学の時から喧嘩をよく売られていたが、1度も負けたことがない。
「ここに居合わせたのも何かの縁。拙僧もお供いたそう。怪我をすれば美の権現様に治療してもらえ、まさに一石二鳥」
「そうだな。心の猛りの炎をぶつける場所ができた。俺も久しぶりに参加するぜ。怪我をしたら、京香先生に優しく治療してもらえるなら本望だ」
香織は両手を口に当てて、慌てている。
「あんた達、なにをやる気になってるのよ。喧嘩なんてダメなんだからね」
優紀が香織の隣に立って優しく香織の髪を撫でる。
「黙っていてくれたら、次の日曜日、2人で映画にでも行くか?」
「うん! わかった! 黙ってる! 優紀も気を付けてね!」
なんて香織はチョロインだ。
和尚と信二が春陽の腕を引っ張って、席から立たせる。
「この機会を逃しては、京香先生に治療をしてもらえぬ。1週間、旅立つ前に是非、治療をしてもらいたい。春陽殿、すぐに校舎裏へ参りましょうぞ」
「ちょっと待って、校舎裏に行かなくて、無視する方法もあるよー!」
「それでは拙僧が怪我をせぬ。それでは京香先生に会えませぬ」
「俺も京香先生に会いたいぜ」
信二と和尚は目をキラキラさせ、怪我をする気満々だ。これは止められない。
2人に腕を掴まれた春陽は諦めた。一瞬だけ香織を見る。
春陽が香織に視線を合わせると、香織がコクコクと頷く。
春陽達が出て行った後、教師に知らせてくれるつもりのようだ。これで安心だ。
春陽の背中を押して、和尚、信二、優紀の3人は校舎裏へ向かうため教室を後にした。




