白い壁と死んだ魚の目
目を覚ますと知らない天井だった。
目の前にはただ白い天井が広がっていて、自分はベッドか何かに寝かされているようだ。
意識がはっきりしない。僕はさっきまで何をしてたんだっけ?
……ああ、そうだ。
いつも通り高校から下校しようとしてて、ホームで電車を待ってたら…後ろからいきなり突き飛ばされて…。
それから…ちょうどやって来た電車に……。
てことは、ここは病院?
確実に死んだと思ったけど、一命はとりとめたのか。よかったよかった。
身体も動くようになってきた。ここは近所の大学病院だろうか?
そう思って首を捻り、窓があるであろう方向を見る。
一言で言えば、知らない場所だった。
もうちょっと踏み込んで言えば、僕の記憶にある何処の風景とも一致しない場所だった。
町並みは世界史の授業で見た中世フランスの絵の風景ににていたが、
空を巨大な生物が飛んでいる。
それは、ドラゴンとしか言い様のない見た目をしていた。
その向こうに、微かに大きな城のような建物が見える。
…どういうことだ?
もしかしたら、頭かどこかを打って、世界がおかしく見えるようになってしまったのかもしれない。
そんな風に不安になった時だった。
「あら、気が付いたのね」
窓と反対方向から声が聞こえた。
首を回転させて、そっちを見る。
女医さん、なのだろうか?
夕焼けのような赤毛のその女性は、およそ見たことのない白衣のようなものを着ていた。顔立ちも日本人離れしている。
「貴方、冒険者?『深淵の森』には自殺志願者くらいしか行かないわよ?」
「深淵の森…?」
「覚えていないの?貴方、この『エスプリの町』の北にある深淵の森に落っこちて来たのよ。落ちた先に“彼女”がいなければ、今ごろモンスター達のおやつになっていたわ」
モンスター?彼女?
僕の困惑が伝わったのか、女医さんは怪訝そうに首を傾げた。
「…もしかして、記憶喪失?貴方、名前は?どこから来たの?」
「名前…名前は…」
その時、爆発音とともに足側の壁が崩れた。
爆風とともに、壁の破片が身体に降り注ぐ。
「あーらら…またかしら…」
驚いて飛び起きた僕の横で、女医さんは呆れたようにため息を吐く。
“電車に引かれたはずなのにどこにも異常がない”という事実よりも、目に入った光景はあり得ない物だった。
少女だ。
僕と同じくらいの年の少女が、爆発した部屋の真ん中にいた。
呆気にとられていると、彼女は、爆発で消し飛んだらしい窓側へと走っていく。
そして、そこから飛ぼうとした。
瞬間。
「『アトラペ』!!」
女医さんが右手を彼女にかざして叫んだ。
と、少女の身体がぎりぎりの位置で止まる。
よく見ると、彼女は透明な輪のようなものに捕らえられているようだった。
「やめなさい、イザベル」
その声に、少女はこっちを見る。
腰まである長さのブロンズの髪を持つ、いわゆる美少女だ。
ただ、エメラルド色の瞳は濁りきって光がなく、まさに死んだ魚の目だった。
その大人しそうな見た目とは裏腹に、彼女は鼓膜が破れそうな声で叫んだ。
「邪魔すんじゃねえババア!!死なせろっ!!」
「ババアじゃなくネル先生。医者が自殺なんて見過ごさないわよ」
呆然とする僕に、女医さんはトドメのように言った。
「彼女はイザベル・トーマ。貴方の命の恩人よ」